家庭訪問

「ほー。これで近くいるお仲間が分かるってわけね」


 日出社長の野太い声が車内に響く。助手席でカーナビを見ていた志穂は視線を斜め上に移し、バックミラーで後部座席の様子を確認した。三人がけシートの中央に座る長谷川が自分のスマホを取り出し、右隣の日出社長に画面を見せている光景がミラーに映る。


「こういうのは若い子の文化だと思ってたけど、年寄りも結構いるんだねえ」

「逆に、本当に若い子はマッチングアプリ以外で出会ったりしてますよ」

「ハッテン場ってやつ?」

「公開範囲を限定できるインスタっぽいアプリがあるんです。そこに写真アップしてコミュニケーション取って、みたいな」

「君たちはどうやって出会ったの?」

「マッチングアプリですね。佑馬の方から誘いが来ました」

「へえ。春日くんは、長谷川くんみたいな子がタイプなのかな?」

「はあ……まあ……」


 長谷川の左隣に座る春日が、話を振られて答えにくそうにどもった。個人の恋愛事情にデリカシーなく踏み込む日出社長を前に、志穂は春日たちの心証を考えてひやりとする。今まで悪印象を与えないよう丁寧にやってきたのに、最高責任者がこれでは全てがパーだ。やはり春日たちと話がしたいという要望など突っぱねて、助手席に乗せるべきだった。いや、そもそも、連れてくるべきではなかった。


 ドキュメンタリーの撮影として斎藤の家に行く話を志穂から聞き、日出社長が発した第一声は「なにそれ」だった。


 そして第二声が「じゃあ、僕も行こうかな」だった。理由を聞いたら「お宮参り前に出産祝い渡したいし」と答えた。そういうことではなく、一人で別の機会に訪問すれば良いだろうと思って聞いたのだが、それは来るなと言っているも同然なので言えなかった。


「長谷川くんはどういう風に登録してるのかな?」

「さすがに見せたくないですね。社長さんも登録すれば探せますよ」

「お誘いが来たら困るからなあ」

「乗っちゃえばいいじゃないですか。男とヤるノンケなんていくらでもいますし」

「男とヤるのにノンケ?」

「その辺は説明が難しいですね。概念なので」


 長谷川と日出社長が下世話な会話を交わす。一方、春日は後部座席の窓から外を眺めて居心地悪そうにしている。早く解放されたい。そういう想いが伝わる表情に志穂は胸を痛め、カーナビに向かって早く着けと念じる。


 十五分後、志穂たちはコインパーキングに車を停めて外に出た。そのまま徒歩で斎藤の住むマンションに向かい、志穂の先導で部屋の前まで来る。「カメラどうします?」と聞いてきた山田に「まだいい」と指示を出し、インターホンを押すと、すぐにドアが開いて中から斎藤が現れた。


「いらっしゃい」


 斎藤がにっこりと笑った。後ろでまとめた髪とゆったりとしたグレーのワンピースが醸し出す生活感に、志穂は戸惑う。仕事外で会っているのだから当然と言えば当然だが、前は個人的に会う時でも、もう少し外向きのエネルギーがあった気がする。


「お久しぶりです」

「久しぶり。元気だった?」

「こっちの台詞ですよ。大丈夫なんですか?」

「産んでからもう半月以上経ってるし、大したことないって」


 斎藤が奥に引っ込んだ。流れでリビングに通され、全員で大きなローテーブルを囲むようにカーペットに座る。日出社長が手にしていたトートバックから、包装された直方体の物体を取り出して机の上に置いた。


「はい、これ。出産祝いのカタログギフト。お返しはいいからね」

「ありがとうございます。迷惑かけてすいません。なるべく早く仕事に復帰できるようにしますので」

「いいって。子ども優先でパーッと休んじゃってよ。その間は志穂ちゃんが二人分働くからさ」


 日出社長が、隣に座る志穂の肩に手を乗せた。志穂は反射的に顔をしかめ、斎藤は困ったように笑いながら「分かりました」と小さく頷く。


「ところで、赤ちゃんはどこなの?」

「あっちの寝室で寝ています。見に行きますか?」

「うん。行こう、行こう」

「ちょっと待ってください」


 志穂は手を伸ばし、日出社長を制した。いくら何でもそれは今日の目的をはき違えている。


「先に、私から今ドキュメンタリーを撮っているお二方を紹介します。あちらの黒髪の方が春日佑馬さん、そしてその隣が長谷川樹さんです」

「春日です。よろしくお願いします」

「長谷川です」


 テーブルの端に座る二人を示す。斎藤が二人に向かって丁寧に頭を下げた。


「初めまして。茅野の先輩の、斎藤尚美と申します。今日はわざわざご足労頂きありがとうございました。産休に入っていなければお二人のドキュメンタリー撮影は私が進める予定でして、どうしてもやりたい仕事だったので未練が出てしまい、会えるものなら会えないかなと……」

「構いませんよ。どうせやることなくて暇でしたし。むしろ、ドキュメンタリーの素材をどう提供しようか悩んでいたぐらいなので、ちょうどいいです」


 斎藤と春日がにこやかに言葉を交わす。斎藤の隣に座っていた山田が、カメラを構えて話に割って入った。


「撮りますか?」

「そうね。じゃあ、今から私と春日さんと長谷川さんで対談するから、山田くんはそれを撮ってくれる?」

「うっす」

 

 山田が立ち上がり、位置取りを始めた。合わせて日出社長も腰を上げる。


「それじゃあ、僕と志穂ちゃんは赤ちゃんを見てるね」

「え?」


 思わず、間の抜けた声が漏れた。逆に日出社長はなぜ分からないのか分からないと言った風に、毒気のない顔で志穂を見る。


「だって僕たちがいたら邪魔でしょ?」

「でも私はディレクターですし、撮影は見ておく必要が――」

「そんなもんは山田くんに任せて、後でチェックすればいいじゃない。尚美ちゃんだってプロなんだからさ。行こ」


 日出社長が志穂の背中を叩き、先ほど斎藤が示した寝室に入っていった。中途半端に腰を浮かせて悩む志穂に、斎藤と山田が声をかける。


「こっちは大丈夫。行ってきて」

「任せて下さい! 志穂さんが欲しい映像ブイは手に取るように分かるんで!」


 安心と不安が交互にやってくる。とはいえ不安だから残るとも言えず、志穂は「じゃあ、よろしく」と言い残して寝室に向かった。部屋に入るなり、ベビーベッドの傍で赤ちゃんを見下ろしていた日出社長が志穂の方を向き、ひとさし指を唇に当てて沈黙を促すジェスチャーをする。


「気持ちよさそうに寝てるから、静かにね」


 分かってますよ――と口には出さず、ドアをそっと閉めてベビーベッドに近寄る。ベッドの真ん中で眠る赤ん坊は、関節の分からないぷにぷにした腕を大きく広げており、体格に見合わない豪快さに思わず吹き出しそうになった。日出社長が赤ん坊を眺めながら、感慨深げに呟く。


「若い頃は分かってなかったけど、やっぱり子どもは宝だよねえ」

「昔は子どもが苦手だったんですか?」

「そうだね。自分の子どもが生まれた時も、なんか不気味だと思ってた。そんなんだから離婚されちゃったんだけど」


 急に重たい話が挟まれた。知っているとはいえ、やはり気まずい。逃げるように意識を撮影に移し、寝室のドアに視線をやる志穂に、日出社長が話しかけてきた。


「あっちが心配?」

「それは、まあ」

「もっと山田くんを信用してあげなよ。本人から聞いたけど、カメラマン以外のこと何もやらせてないんでしょ。志穂ちゃんだって山田くんを上手く使えば、もっと楽になるよ」


 使えるならとっくに使ってます。すぐに思い浮かんだ返しを、分厚いオブラートに包んで外に出す。


「あの子、変に口が軽いところがあるので、対人交渉とかやらせるのは不安なんですよね。映像編集は色が出るから、私が一貫してやりたいですし……」

「そんなこと言ってたら、いつまで経っても成長しないじゃない」

「それはそうですけど、何かあったら大変なので」

「そうなったら志穂ちゃんがどうにかしなさい。先輩なんだから」


 ――は?


 無責任に放たれた言葉を耳にして、志穂は思わず漏れそうになった不適切な反応を抑えた。だがそこに、日出社長が追撃を加える。


「ところでさ、尚美ちゃんの胸、すごくなかった?」

「……胸?」

「産後はおっぱいが大きくなるっていうけど、本当だねえ。びっくりしちゃった」


 目尻に皺を浮かべ、日出社長が志穂の胸を見ながらにたりと笑った。


「志穂ちゃんのより、おっきくなってたかもよ」


 ――茅野さんが許せないなら、許さなくていい。


 春日の上司、久保田にかけられた言葉が脳裏に蘇った。おそらく、日出社長に悪気はない。笑みがいやらしく見えるのも自分のバイアスであって、誰にでも同じように笑っているはずだ。だけど、それと日出社長を許せるか許せないかは、はっきり言って何の関係もない。


 許さなくていい。許さなくていい。許さなくて――


「あーーーーーーーーーー!」


 空気を裂くような甲高い声が、部屋中に大音量で響き渡った。


 いきなり泣き出したベビーベッドの赤ん坊を見て、日出社長がせわしなく目線を動かした。「どうしよう」と呟き、手をベビーベッドの中に差し入れる。


「とりあえず抱っこして……」

「ダメですよ! 変な抱き方したら脱臼したりするんですからね!」

「そうなの? じゃあどうすればいい?」

「そんなこと聞かれても……」

「おしゃぶりとかガラガラとかないかな。尚美ちゃんに聞いて来ようか」

「……それなら、普通に斎藤さんを呼べばよくないですか?」


 寝室のドアが開いた。


 現れた斎藤が、ベビーベッドに歩み寄る。そしてベビーベッドの赤ん坊をひょいと抱き上げ、「どうしたのかなー?」などと声をかけながら赤ん坊を揺すり出した。やがて赤ん坊はすうと泣き止み、日出社長が感嘆の息を吐く。


「すごいねえ。やっぱり赤ちゃんはお母さんじゃなきゃダメなんだね」

「そんなことないですよ」


 早口で食い気味に、斎藤が日出社長の言葉を否定した。人当たりのいい斎藤らしからぬその言い方に、志穂は違和感を覚える。だけど続く言葉はいつも通りの穏やかな口調で、志穂はその違和感をすぐに忘れた。


「社長だって子守りぐらい出来ますって。抱っこしてみます?」

「いいの? じゃあ、せっかくだし」


 斎藤が赤ん坊を日出社長に差し出す。日出社長はおっかなびっくりな手つきで赤ん坊を受け取り、両手で腰と背中を支えながら「重たいねえ」と感想を漏らした。赤ん坊の大きな瞳がころりと動き、日出社長を視界に捉える。


 赤ん坊が、もっちりとした顔をくしゃくしゃにしかめた。


「あーーーーーーーーーー!」

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