第八話:信を守る者

「わ、我らはお受けしかねる!」

「我が子入丸はまだ九歳! そのような子を残していけようか!?」

「負けと決まった戦で命を賭けるは武人の道にあらず!」


 元より頼みもせぬのに、めいめいの拒む声があがる。

 そもそもこの手合いが砦に籠ったとて一日と保つものか。包囲される前に逃散することも考えられる。


「よぅし分かった。ではお諫め役は典種公に買っていただくとして、いましばらく儂が耐えてみせようではないか」

 などと直成が胆の太い所を見せたが、それは軍師が首を振らない。


「いいえ、殿には何としても帝とご対面いただきたく」

「強いて儂が戻らねばならぬほどに、癇癪を発せられておるのか?」

「……然り」


 軍師、首肯。だがそこに作為めいたものを信守は嗅ぎ取っていた。

 主の生命を永らえさせるための方便か、あるいは……。


「そも、これは捨て石ではございません。いわばこの笹ヶ岳砦は戦局全体を城と見立てた場合の、出丸馬出の類とお心得あれ。ゆえに中間に兵を配し、連携を密とし、決して見捨てることはありません」


 なるほど瑞石の弁、たしかに筋は通っている。

 筋の通った、詭弁だ。

 そも、その中継わたしを誰に割り当てるというのだ。当然、相手もこちらの分断を図るべく、その地点に猛攻を仕掛けるだろう。禁軍半壊、諸氏族戦意喪失となった今、誰にそれを支え得るというのか。


 当然そのことに臆病武者どもも気づいているし、瑞石とてそれが机上の論であることは承知しているだろう。だがそうまでして、捨て石を捨て石に非ずと言い聞かせてでも、なにがしの守将を供物に捧げねばならぬのだ。


 ――分かってはいる。そう、分かっている。誰しも。


 だが誰も、何も発さない。

 そして時の浪費と沈黙のうち、流れは何やら見えざる縄のごときものにより、ある一点へと結びついて手繰られていくかのようだった。知らず推移していく彼らの目線。その先の席には、かの禁軍の老将こそが……


「はっ! お任せください!! 御国の危急存亡の秋、この地田綱房、必ずや逆賊どもに一矢報い、華々しく散ってみせましょうぞ!!」


 ――お前じゃねぇ座ってろ、とその場にいた誰もが思ったことだろう。

 どうやらこの青侍の沈黙の理由は自分が注目されるのを今か今かと待ち望んでいたがためであろう。

 もはや、その存在自体が場の空気の読み方を知らぬ男であった。


「恐れながら、兵力の減退した第六軍では聊か心許ないかと」

 などと瑞石はやんわり拒んだが、本心ではその兵力を減らす要因となったその将器自体を理由として挙げたかったことだろう。


 だが、この愚者のおかげで何処かへ向かおうかとしていた場の空気が、撓んだ。

 そしてその弛緩に、乗ずるかたちで

「では、私が共に残りましょう」

 と、名乗りをあげた。


「おいおい」

 直成が苦く唇を吊り上げた。だが彼が何事かの文句をつけるより早く、信守は告げた。

「元はと言えば、笹ヶ岳を無理に攻め取った私の策が原因でありますれば」

 ――本当にそうか、と心の中で反芻する。

「さりとて、そのおかげにて聊か我が武辺にも自信がつきました。十日ほどであれば、耐え忍んでみせましょう」

 ――自信、というよりもこの有象無象どもに任せるよりもはるかにマシだ、という明確な認識がために。


「……むろん、それも荒子先生ならびに諸将にご助力いただけるという安心あっての蛮勇ではありますが」

 信守はそう言い添えて横の書生を眺めた。瑞石は涼やかな目をそっと伏せた。


 もちろん、この男が、第四軍が援護などするまい、戻って後する余裕もないことは知っていた。

 だが、それならそれで良いと思っていた。死んでも。

 正直に言えば、自暴自棄である。感傷的になっていた。

 どうあっても、ここに至るまでに己に非があったとは思えなかった。枉げる道理ではなかった。笹ヶ岳に折り重なった骸は、壊滅した禁軍は、この戦自体が、根底から無意味なものだった。

 その主張とこの世の常識とやらが相容れぬとあれば、もはや生きている甲斐などありはしない。そこまで思い詰めての、自殺願望であった。それもまた、唾棄すべき無駄と自覚しつつも。

 だがそれで生き延び、この地獄から上社家が存続できるのであれば、あながち犬死でもあるまいと、せめてもの理を求めている。


「――否、やはり居残るのは俺でなければなるまい」


 だが、その決死の願い出もむなしく、流れは本来集約せんとしていた人物に向かう。それも当人の、上社鹿信の意志によって。


「籠城となれば、内々の結束こそが肝要。才に溺れ蛮勇に奔り、単独行動をしたお前に、信が集められようか」


 おそらくそれは、信守を、我が子を生かすための方便であったことだろう。

 だが、間違いなく本音もそこには紛れている。その苦さと重みを感じさせる。


 ――信、信とはなんだ。

 協調の真似事をして互いを慮る振りをして慢性的に累積していったのが、罪もない足軽たちの屍ではなかったのか。その時点で信などあったのか。


(そして信無き者の名に、何故貴殿は『信守』などと名を付けたのですか)


「……お、おぉ! 鹿信卿こそまさに適役!」

「ご立派なお志、士の鑑たる方よ」

「信守殿、よき父御を持たれましたなぁ」

「貴殿も、お父上の御心を汲みなされよ」

 信守の言外の問いかけ、内々の煩悶など知るべくもなく、場はこの禁軍第五の将を贄として仕立て上げるべく、強引にまとめられようとしていた。


「鹿信殿……すまん」

 などと頭を下げる直成のみが、なけなしの誠心を見せたようにも思えるが、信守にしてみればそれも欺瞞だった。


 下手な芝居を見せられている。この場に蔓延る作為のすべてに、耐えがたい憎悪を覚える。

 死にたくないのにそれをひた隠しにして人道と士道という相反する道を言い分として使い分ける愚将ども。そうと知りつつ咎めもせず、これ幸いと便乗せんとする佐古の主従。それを罪人のごとく甘受する父。


 そして、それを世の流れを滑らかにするためのものと知りつつ、童のごときく聞き入れられぬ己自身。


 本来責任を負わねばならぬ者が逃げを打ち、その丸投げにされた責任をあたかも人足奴隷が荷駄を運ぶように正直者が担ぎ担がれ、語るに値せぬ者が道理を説き、正しいはずの理と論を吐けば拒絶される。


 ――欺瞞。欺瞞欺瞞欺瞞欺瞞欺瞞。

 そうした世の仕組みの何もかもに腹が立つ。


(こんなものを)

 下らぬ一切のしがらみを。

 すべて焼き捨てることが出来れば、どれほど痛快であろうか。


 父に命を捨てさせるその傍らで、信守はふとそんな空想を抱いた。

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