第四話:鳥瞰
遠く孤立無援の笹ヶ岳より、発砲音が響く。空気を裂く。
「おう、よくやるわ」
などと、備蓄庫にて手をかざして見上げながら禁軍第四軍が士大将、
佐古家庶流の者にして、此度族長たる直成直々の命にて輸送の任を仰せつかった。また、この宗主の気質をよく受け継ぎ、豪放な猛者であり、今回の遠征においてもすでに自らいくつかの首級を挙げている。
「しかし、あの調子で玉薬が保つのかよ」
と、これは純粋素朴な疑問であった。
「おそらくは空鉄砲による威嚇でござろう」
応じたのは、
が、当代同士の関係においては良好であり、此度も東殿は物資の運搬、西殿がその吏才により管理、ときっちり分業を果たしている。
「しかし、先生。空砲とは言え、連日です。あのように手を尽くして勇戦している守備兵たちを、救わずにいて良いものでしょうか」
線の細い眼差しの先に、荒子瑞石がいる。
搬入品の目録に目を通しながら、佐古の軍師は問い返した。
「……では御両所にお尋ねしますが、笹ヶ岳を救う手立てがございますか?」
その上で被せるように、あるいは先手を打つかのように言い放った。
「ちなみに小生は非才ゆえ、持ち合わせておりませぬ。あるいは全軍を犠牲にお救いしたとて、それを戦略的に活かす道を見出せませぬ」
両将は苦笑して返した。
「ご謙遜を」
「先生も知らぬすべ、どうして我らが答えられましょうや」
この血筋も年齢も下の書生を、その知性と人品を、彼らは宗主同様に敬っている。
やや盲目的、とも言える調子で合わせ、そして瑞石本人もまた、その反応を読んだ上で鷹揚に頷いてみせた。
「哀れとは思いますが我らに出来うることは、彼らの散らすであろう儚き命を、一人とて無駄にはせぬことです。その死を魂魄に刻み、天下静謐がための智の礎に、我らの気焔の種に」
――そして、我ら佐古が勇翔のために。
無論、当主直成と瑞石の密議は、内外の誰にも打ち明けてはいない。
だが、それでも家中の者らは肌身に感じるのだろう。
暗雲漂う藤丘。だが一方で佐古の家に、天下の目が開けてきたのではないか、と。
それぞれが、言葉にせずとも瞳に静かに野心の火を輝かせる中で、水を差すがごとき報がもたらされた。
「も、申し上げます! 後続の大杉勘十郎さまの部隊、野党の襲撃を受け荷駄を奪われましたっ」
「……狼狽えな」
駈けこんで来た使い番に、わずらわしげに好広は舌を打った。
「大杉は一騎当千にして当意即妙の猛者ぞ。一度は奪われようとも逃げ道所在を懸命にたどりし後、忽ち取り返そう」
「しかしながら、ここのところ多うございますな」
丈弼が言った。
「大方、戦の混乱に乗じて暴れる野武士のたぐいではあると思いますが」
丈弼も他の者も、同様の見解であるらしい。
順門府方とて、こんな小競り合いに兵を差し向ける余裕はないし、報告に上がるその賊徒の出で立ちも、真っ当な武士のそれではない。
「まぁここまで混沌とした状況ですから」
瑞石が吐息まじりに返した。
「これより佐古が示すのは、天下を資するに相応しい王道の戦。我らの手勢は、末端の足軽であろうともそのような者どもとならぬよう、軍紀を引きしめていただきたい」
「無論、承知しております」
だが多少の気にかかるのは、その進退が妙に的確であることだ。
こちらの補給路が、いくら変えようとてすぐに見つけられてしまう。そして虚を突かれた兵士たちが態勢を立て直している間に、さっと離脱してしまう。
襲撃してくる被害は軽微ではあるが、見過ごせないような規模となるならば、いずれ手は打たねばなるまい。
とはいえ、富める此方の軍を、そういった悪党どもや敵方が付け狙うのは承知のうえ。その損耗に耐えうるだけの余裕も持たせてある。
瑞石にしても、この状況はさほど重要視するような案件とは思えなかった。
――笹ヶ岳砦よりは、遠く軍鼓の音が響いていた。
~~~
――だが、戻ってきたのは物資兵糧に非ず。
東輪島家が物頭、大杉勘十郎が首であった。
「な……」
何があった、とその主君好広は問い質したかったことであろう。だが、舌はその下顎の裏に貼りつき、言葉にならなかった。それでも、言わんとしたことは敗兵に伝わったようであるが。
汗と涙にまみれて逃げ帰ってきた手勢が伝えるには、大杉は一度は不意を突かれたものの、瞬く間に手勢を立て直し、その賊どもの後尾が山間に逃げ込むのを捕捉した。事を成して逆に油断し切っているであろう悪党どもを成敗してやろうとその地点へ踏み込んだ瞬間、矢石の雨が頭上より注がれた。
多くの者が死傷のうえ敗走。
大杉自身は賊どもに首を獲られるは恥辱と、その敗走の中腹を切ってその首を小者に持たせて逃がしたという。
「……なんだこのザマはぁっ!?」
ようやくにして、好広は明確な言語を発した。が、それは当初彼が伝えんとしていたことよりもはるかに荒げた罵声であった。
「落着きを」
瑞石は好広に掌をかざした。
が、彼の者に沈着を求める瑞石も、精神の海に多少の波を立てていた。
「よもや、賊ごときが計略を用いるとは」
丈弼の驚きは、そのまま軍師の動揺である。
目先の兵糧目当てであればまだ良し。だが、これは明確な、佐古への殺意を伴った敵対行為である。
「ひとまずは輸送路の変更を。これはその都度変更のうえ、警戒を厳としましょう」
だが、この釘差しが裏目に出た。
果たして、例の略奪者たちは経路の変更ごとに自身も襲撃場所を移り、幾度となく襲ってきた。
だが、命ぜられた通り、あるいは過剰な防衛本能に従い、兵糧を奪われつつも「その手には食わぬぞ」と慎重となって追撃を取り止め、後になって確認に斥候を放てば、空の俵や桶などが転がって人影さえも残っていない――ということがざらにあった。
いよいよ看過できぬ被害の規模ともなり、ついに瑞石自身が思案を巡らせ、そして指揮を握ることとなった。
「石くれを俵に詰め込み荷と偽装して護衛付きで運ぶ。その後、敵にとって都合の良きこの地にてあえて小休止を取り、あえて敵にこれを襲わせる。そこを前もって伏せていた兵を以て殲滅すべし。その伏勢は私が指揮します。指揮する者の一人でも召し捕れば、彼の者らの出自も、背後の事情もおのずと知れましょう」
速やかに策と陣立てを整えた荒子瑞石の下知のもとに日取りを選んで決行された。
またぞろ、笹ヶ岳方の砲声がやかましい中、作戦は決行に移された。
~~~
夜陰に紛れる瑞石の視線の先、これ見よがしに篝火を焚く輸送隊の姿がある。
皆、いかにも油断し切って任務を軽視し、酒に酔った体にて盃を交わしてはいるが、皆の眼は据わり、手にしているのは水杯である。
いつ敵が現れるともしれぬ情勢下。瑞石自身にも囮、伏兵両部隊にもいささかの懈怠もない。
だが一向に現れない敵を待つ時間を拱手して過ごしながら、偽りの宴を傍観しているほかないこの状況は退屈な芝居でも見ているような心地となる。
「……本当に、方々に触れ回ったのだろうね」
瑞石は流言を飛ばした細作をひそかに招き、あらためて確認した。
「しかと」
忍びはそうとは見えぬ町人風の装いのままに答えた。言葉少なに、しかし明確な自負を伴って。
勝手知ったる付き合いである。この者らにして断言した以上は慰労仕損じはあるまいと、瑞石もまた信頼している。
「あまりに露骨すぎて、勘ぐられたかな」
顎を撫でさすりながら独りごちると、同様に迎撃のために同伴していた好広がそれを拾って答えた。
「であれば、様子見の小者を飛ばしておりましょう。現状、その影さえ認めておりません」
それは瑞石も承知していることである。
となれば、今宵は何らかの理由からして襲撃を取り止めたのか――そう疑い出した、矢先であった。
熱と冷たさとが同時に襲ってきた奇妙な感覚を、軍師の背は感じて振り返った。
轟、と火柱が上がっている。燃えている。佐古勢の陣所が、その備蓄庫に位置する方角の空が、紅く照らされている。
「なっ……!」
さしもの瑞石も言葉を喪った。喪いつつも、取るべき判断を下した。
すなわち、総転身。囮も伏兵も、皆引き上げさせ、その庫へと急行させた。
が、すでに瑞石らが戻ってきた時には遅かった。
手薄となっていた備蓄庫は深くまで侵入してきた賊に襲われ、金目の物や兵糧などは荷車や牛馬ごとにひったくられ、持て余したものや文書目録や、諸将と今後のことを取り決めた起請文まで、ことごとく焼き払われていた。
その手口というのがまた狡猾で、割符を持参してきた佐古兵が、瑞石の遣いだとして着到し、その応対に当たっていた西輪島丈弼を突如として拘束。文治の人たる彼には、抗う術はなかった。
その使い番の背より賊徒百名ばかりがどっと押し出し、瞬く間に要点に踏み入って荒らすだけ荒らして引き上げたという。
最後の間際となって、奴らの安全の保障として質とされていた丈弼は解放されたが、責任を痛感のうえ、みずから首を刎ねてしまった。
偽の使者の具足は大杉の組より収奪したもの。割符は何処からか確保したと思われ、禁軍の内で用いられる本物であった。
「そ、そんな……」
同胞の死に涙を流す、怒りと恐れとで、声帯は震えている。
「ここには……諸将に配る米だけではない……第四軍の糧秣もあったのだぞ……これでは我らの進退さえもおぼつかぬではないかァ!」
瑞石もまた、つとめて平静を装いつつも、奥歯を噛みしめ、拳を震わせた。
が、同時に強烈な違和感さえも覚えていた。
おかしい。
いくらなんでも読まれ過ぎている。後手に回り過ぎている。
襲撃の時機も経路も正確に読み当て、こちらの罠さえも逆用している。
内通者がいたとしても得られる情報など限られている。それこそ、遥か頭上から観ていなければ出来もしない芸当ではないか。
おそらく瑞石と守備部隊を釣り出すための、計画的な小競り合い。本物の割符。奪った具足とともにそれを悪用する周到さ。
それらが意味するところとは……?
――どおん、どおん。
軍鼓が響き渡る。瑞石は、息を呑んでその残響を辿るようにして目線を上げた。
顧みた軍師の眼の先には、笹ヶ岳砦。おのれらの高みに位置していた。
「…………まさ、か」
ありえもしない、だが妙な現実味を持つ自身の思いつきに、瑞石は愕然とした。
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