第五話:たったひとつの冴えたやりかた

 佐古の陣所が燃える。

 賊を使嗾し号砲と陣太鼓にて遠隔操作して、味方を殺してその財を奪った。


「もういい加減、荒子が如き凡夫でも察した頃だろう。陣太鼓を二度。西へ撤退。そのうえで陣貝を吹き、以上をもって作戦の完遂と即時撤退の合図とせよ。これ以上奴らが欲をかいて深入りしても、最早知らん」


 如何にも愉しげに、夜中指図を飛ばす貴公子の背を、貴船我聞は遠望した。


「……違う。こんなものが栄えある禁軍の、帝の戦であろうはずがない……」


 もう一方の禁軍の指揮者の方は、見るも無惨な有様である。

 軍権を取り上げられて放り出された地田綱房は、本人の自己陶酔とも言うべき敏感な気質も相俟って見る見る間に精神を摩耗させていた。

 目元は窪み、理不尽な暴力を振るわれた浮浪児のごとく縮こまって震えて、頭を抱えている。


 それを憐憫の情にて脇目に見送りながら、上社信守へと歩を進めた。


「何か言いたげだな、我聞」


 その問いに、我聞の草鞋は止まった。

 今までにないこの若君の高揚を削がぬよう、足音が忍ばせていたはずであった。

 だが背に眼があるがごとく、信守は完璧に間合いと頃合いを計らって我聞を見ないままに声を降らせた。


 遠くの残党を音のみで操り、第四軍を手玉に取った若武者は、側近くにも当然の如く気を配っていた。

 山深く地の利は順門に帰す。いかに高所を取っているとは言え、見えぬ部分は存在し、そこは信守は天性の戦目と想像力で補っているように見えた。

 ――だがあるいは、この才児は視ずとも戦場を支配できてしまうのではないか、と慄然とした。


「顧みずとも分かる」

 とまた信守は言い、我聞をぞっとさせた。

「この策が気に入らんのだろう」


「……是非はともかくとして、その成否には疑問を抱かざるを得ません」

「理由は?」

 階を上り、信守の背に達した我聞は、膝を屈して言った。


「一つには、賊めら。奪った兵糧の割譲を求めたところで、約定通りに一度手にしたものを譲るとは思えませぬ。仮にあの娘が義理を重んじ部下たちにそれを強いたとて、素直に従いましょうや。あるいは総意を得たとて、この包囲では運び入れる手段がありませぬ。我らの突破により、敵方も念を入れ直しておりましょう」

「それがまず一。と言うことは理由は複数あると言うことか」


 当たり前だ。このような出鱈目な方策、問題が一に留まるはずがあるまい。


「そして第二の理由。確かにここ笹ヶ岳砦には鉄砲が試用のため、兵糧よりも寧ろ火薬弾薬の類が多く備わっており申す。されども、それとて無限ではございませぬ。いくら空撃ちといえこのような浪費を繰り返せば、いずれは……」

「次」

「は?」

「次の理由だ、我聞、手早に挙げねば、夜が明けるぞ」


 誰のせいで……という訴えは噛み締めた奥歯に押し込め、我聞は続けた。


「されば細かな理由はさておくとしてもっとも重要な問題を……悪戯に味方を追い込むがごとき真似は、お慎みあれ」

「味方、な」

「仰りたいことは分かっております! 我らを見捨てた者どもなど、味方に非ずと。されど、諸将の助力なくして単身の突破が能いましょうや!? このまま佐古勢始め官軍が窮すれば、あるいは狼藉し、あるいは無謀な突貫し、悲惨な有様となりましょう!」


 我聞は膝を寄せた。諫止を超えて難詰とも言える口吻の鋭さで物申した。


「若……いやさ殿!! ただ瑞石殿や綱房卿などに当てつけるがためだけのご乱行であれば、即刻お取り止め下さいませ! 我らにとっては何ら益になるどころか、戦場がますます混沌と化してしまいますぞ!?」


 その直言は果たして信守の心に届くや、否や。

「我聞」

 そのことを知る前に、信守が顔を横に向けた。捻られた首が、やや非人間めいた感じを起こした。

「お前は、良い家令だ」

 などと、突如として称賛する。


「たしかにそれは、お前の本心ではあろう。だが一方で、『よもそのようなことはするまい』とも考えている。『上社信守は、そのような私怨から戦を起こしたわけではない』『自分は危惧しているようなことを、とうに考え付いて、そのうえで決断したのだ』と……いや、そう信じたかった、という方が正しいか? ゆえに、この凶行を看過した」

「……お戯れを。拙者など、新たな主人の一挙一動に戸惑う愚物ゆえ。どうか、ご本心を打ち明けていただきたい一心の」

 我聞は奇妙な敗北感、負い目を覚えつつ謙遜してみせた。

「ならば覚えておけ……お前の新たな主人は、そういう迂遠な問い方は好かぬ。聞きたくば直截に問え。応答するかは、別としてな」

 そこについては、信守は真顔で答えた。


 亥改水軍の火遊びは、無事鎮火されたらしい。

 遠望していた劫火は消え、再び外界に闇が訪れ、信守の輪郭だけが、おぼろげに月光に照らされている。


「まぁお前の危惧は分かる。確かに敵は十重二十重に我らを囲みて蟻の這い出る隙間なく、我らの死を待望する官軍よりは援軍の余地はなく、補給の術はなく、持久戦ともなれば、真っ先に立ち枯れるのは我らである。これを救うには、官の全軍を犠牲にでもせねばならず、しかして此度の悪戯で、官軍さえも進退窮まり、暴走しかねん状況と相成った」


 言葉に乗せるだに絶望的な状況を、さも楽しげな調子で、韻を踏んで信守は紡ぐ。

 だがそこで、信守の唇の動きがぴたりと止まった。細められた眼差しが、我聞めがけて投げかけられる。


 暗に問われていた。

 そのことについてどう思うか? ――否、自分が何を考えているか、お前が当ててみせよ、と。

 その手掛かりは、あるいは答えは、ここまでの問答ですでに仄めかしたはずであろう、と。


 我聞は曲がりなりにも上社家執事としての矜持に賭けて、懸命に想起し、追憶し、模索する。


 信守は賊ども嗾し、佐古を襲撃した。それは私怨ではないという。まして兵糧が返って来ることがないとも承知している。

 ならば、それにより変化した状況。そこから行き着く先、待ち受ける結果とは――何だ?


 その予想と、つい今しがたの信守の説明が結びついた瞬間、我聞は思わず跳ね上がった。身体を大きく崩し階から仰向けに転落しそうになった。


「ま、まさか……なんという、なんということを……」

 それだけ言うのが精いっぱいであった。だが当の信守は満悦気味に笑っている。

「さすがさすが、まこと我聞は優れたる家令よ」


 信守が完全に我聞の方へと顧みた。

 そして己を十文字に見立てるがごとくに両腕を水平に掲げ、戦場を背に、右眼を眇め、口端を左右非対称に歪めた。


「そうだ、我聞。。官軍と順門府軍を煽り、追い詰め、奴らに総力戦をさせる。それを以て、この包囲を解く。官軍を暴徒と変え、順門府の国そのものが立ち行かなくさせるほどに荒らして回らせる。これが我らが生き残り、かつ早期にこの戦を終結させる唯一無二の手段である」

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