第六話:虚実錯綜
明る朝。
順門府軍、笹ヶ岳を奪還すべく押し出す。
搦手は宗善が先における兄の『折檻』が効いてか慰労なく取り固め、正門方ではその兄宗流が物々しき軍兵をずらりと押し並べ、重量感たっぷりに間を詰める。
「笹ヶ岳砦が一同に物申す!」
寄せ手の先陣に立つ宗流は声を高らかに張り上げた。
「貴殿らの勇戦は戦略的に無意味であり、その抵抗は一切合切が無価値である! 何故なら、もはや藤丘の勝ちの目はすでに無く、貴殿らの大将はとうに逃げ出しているからであるっ! この上は頭を垂れて命乞いするか、さもなくばことごとく死ぬか、選ぶが宜しかろう!」
その口上を傍で聞いていた副将の幡豆由有は、かすかに苦い顔をして、
「降伏勧告とは思えませんなぁ」
と、軽く諌めた。
「なぁに、降る降らぬは彼方の勝手だが、別に我らとしても生かしておく理由もないしな」
凶猛な言葉が返ってくる。
真実、この仁にしてみれば、寧ろ敵方が恭順するよりも無様に足掻いて己の勇の下に屠る方が楽しいのだろう。それゆえの、高慢かつ挑発的な物言いであった。
返礼は、あった。
一筋の弾丸であった。
届くかどうかの間合いから放たれたそれは、宗流の頬を掠めた。悲鳴をあげ、動揺を見せたのは旗本らの方であり、本人は微動だにせず、砦方を睨み据えていた。
畝掘の先、塁壁の上に、一人の青年武将が腰掛けている。細々と残煙を吐く銃から顔を離し、そしておのが頬を指した。
宗流のその箇所の皮が裂けて、流血している。
その裂傷を教えた短髪の若武者は、手元から一枚の大布を引き出した。
それは、先に笹ヶ岳陥落の折に鹵獲したと思しき、鐘山の軍旗であった。
ひらひらと、これ見よがしにそれをはためかせた後、あろうことか縦に引き裂いた。
これで拭えと言わんばかりに、攻め方へ向けて放り出す。
むろん、風があったとしても容易に届く距離ではない。
途中、浮力を喪った旗の残骸は、地に墜落して泥土に塗れた。
それを見届けた後、壁の後ろへと飛び降りた。
無言で行われた一部始終は、豪語を連ねた宗流のそれより遥かに雄弁で、かつ感情を逆撫でした。
宗流は口端を右のみ吊り上げた。細めた双眸より、光が抜けた。
「
にこやかに物騒なことを言い放ちつつ、自ら率先して前進し始めた御曹司を、慌てて由有は押し留めた。
「お待ちください! 此は明らかな敵の挑発! 迂闊に乗せられれば、罠が待ち構えておりましょうが!!」
「たかが敵の小勢ごとき、その罠ごと食い破れば良い。流血は承知の上ぞ」
「ならばせめて、物見をお遣わしくださいませッ、御身みずから進み出ることは危のうございますればッ」
などと足を止めぬ宗流と議論を交わす最中、爆発音が砦方より、否その後方より轟いた。
「……あれなるは、搦手の攻め口」
ついぞ戦場でも聞いたことのない異音に、ぞくりと背筋を震わせながら由有は呟いた。
何が、起こっているのか。
沈思する彼だったが、その音に負けず劣らずの大音声が、すぐそばの男より響き渡った。
先までの殺意はそのままに、宗流が豪笑を放ったのだった。
「脆くも馬脚を顕しおったわ」
「と、申されますと」
「呆けたか由有。あれは所詮見せかけ、虚勢。本命は惰弱な愚弟であろうよ。我らがこうして罠を怪しんで足を止めている間に、一挙に搦手を突破せんとする悪あがきだ」
そう断じる宗流であったが、そこには多分にかくあれという願望もまた潜んでいるような気がした。
だが、主家がそう断じた以上は、確たる根拠もなく拒む理由もない。その言い分が合っていたとすれば、それは弟君の危機でもある。
というかそもそも、諌めて意を翻す精神状態では無かろう。
「罠などない! このまま突破して砦を制圧、然るのちに宗善と挟撃して無礼者どもを皆殺しにいたせっ!」
待ちに待った号令のもと、彼の麾下の勇者たちは獣性をそのままに突撃を開始した。
やむを得ず、由有もその意に従った。
だが果たして、進入路を狭める堀も、射掛ける矢狭間も、前途を塞ぐ正門も抵抗なく突破に成功した。
手近な曲輪を占拠し、咆哮とともに拳を突き上げる。
口ほどにも無し、あの小憎たらしい挑発など、ただの負け犬の虚仮威し。
奪還者らはそう嗤った。
まるでその弛緩を衝くように、あるいは嘲り返すかのように。
音と光の洪水が、順門府兵らを襲い包んだ。
どこからともなく浴びせられた鉄の豆礫は、血飛沫とともに屍を築く。味方の断末魔を聴きながら懸命に木楯を並べて堅陣を敷かんとするも、木が金物に勝る道理は無く、鉛玉はそれらや鎧を貫通して人皮に食い込む。
その痛みよりも寧ろ、未知にして不可視の脅威によって傍らの同輩が瞬時に息絶えるという状況に、兵らは悲鳴をあげた。
「鎮まれぇ、迎え撃て!!」
宗流が剛毅に声を張る。
だが具体性を欠く指示である。四方からの攻めの何れを攻めるのか、一方を攻めるとして他方への備えは如何とするのか。その説明が不足していて、ますます状況は混乱の坩堝に至る。
攻防何もままならぬ状況に、痺れを切らした宗流、ついには自ら陣太刀を抜いて乗り出さんとした。
由有など左右の者らが、慌ててその袖を引き戻す。
「もうお分かりでしょう!? 搦手の破裂音こそが我らを誘き寄せる餌! 激情しては敵の思う壺ですぞ!」
「猪口才なッ! 伏兵の位置は今ので大半が知れた! 奴らは陣屋や土塀に穴を穿ち、そこに銃口を通して撃っている! よって奴らにも退路などないッ! 五十から百は死ぬがその倍は殺せる!!」
なるほど刹那的にそれを見抜き、彼我の被害を即時見積るその目利きは、尋常ならざる天賦であった。
だがこの場合は、無謀というものだ。曲輪一つ取るのにそこまで死人を作らねばならぬ理由などあるべくもない。
誂えられた防壁を乗り越えてなお進み出でんとする宗流を、懸命に押し留める。まるで虎を鎖で引いているような心地で悪戦苦闘。
だがその懸命の努力の甲斐もあって、また搦手よりの退き太鼓もあって、幾多の死者を残したままに宗流勢は退却した。
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かく言う宗善勢もまた、砦前で立往生していた。
突如眼前で巻き上がった爆発。だが宗流勢がそれを機に突撃したのに遅れまいと、先走った武者たちは堀に潜んでいた伏兵の斉射の餌食となった。
すかさず宗善は後退と待機を厳命。裏門前にて睨みあう形を取る。
そのうえで、鐘山が次子は傅役三戸野五郎に問いかけた。
「こちらの被害は?」
「死者十数名。中には組頭以上の者らも含まれておりますわい」
「……で、敵と鉄砲の数は?」
「しかとは……小勢のようでもあり、その裏に大軍が潜んでいるおそれも。再突入なさいますか?」
「する必要はないだろう。兄の側も含め、一旦体勢を整えるべきだ。陣太鼓を鳴らして、兄上に警告せよ」
「しかし、あの御気性ですぞ。素直に退きますかどうか」
「手遅れかもしれんが、兵まで危険な賭けの道連れにされては困る」
弟の語調は、冷ややかであった。兄それ自体はべつに死んでも良い、とさえ聞こえるほどに。
そのことを多分に自覚しながら、宗善は苦笑を浮かべた。
「殴られるぐらいの覚悟はしておくさ」
……果たして、殴られた。半ば冗談で言ったつもりのことが現実となった。
帰還するなり供回りを連れて宗善が攻め口を訪れ、足を止めず前置きもなく、出迎えた宗善の頬を拳で打った。
「出過ぎた真似を……っ」
戦の興奮冷めやらぬままに声を絞る兄、それを弟は冷ややかに見返しつつ、
「負け戦の鬱屈はこれで晴れましたか、兄上」
と平坦に問うた。
「貴様ァ!」
腰のものを抜かんとする宗流とそれに怖じずに白眼視する宗善を由有が仲立ちして取り持った。
「宗善さま、買い言葉といえあまりのお言葉! 若も、身内にて争うている場合ではないというお父上の訓戒、お忘れか!」
そう叱責されれば、双方ともに立場がない。
宗流が落ち着いた頃合を見て、あらためて話し合いの場を設けることと相成った。
「……結局のところ、いずれが敵の主力であったのか」
ほぼ独語に近い宗善の問いかけに、兄は鼻で嗤って答えた。
「知れたこと。敵の多くを我らが受け持っていた。怖気づいて機を逸したは、貴様ではないのか」
「いやいや、そうとも限りませんぞ」
反論したのは三戸野の翁である。
「双方の経緯を詳らかとした限りでは、いずれが主力でもおかしくはなく、あるいはいずれとも偽勢であったのやも」
「何だそれは、どっちつかずのことをさも見識ぶって言いおって」
「敵の主将は上社卿ですが、みずからの実態を明らかにせず霧に隠す戦ぶり、とても往年のそれとは思えませぬ」
その三戸野の言を受けた由有が、考え込むかのごとく眼を伏せ、顎を摘んだ。
「なんだ由有、貴様も貴様で勿体ぶった振る舞いをしおって」
訝しげに問い質す嫡子に、イエと一度言葉を濁して後、
「……たしかにこの奸計を弄する戦ぶり、とても剛将鹿信卿のものではありません。あるいは、誰ぞの計略では」
「敵にそんな智慧の利くヤツがおるものかよ」
「たとえば、今防戦の指揮を執る、桃李府の桜尾公、あるいは直成卿が組下には荒子瑞石なる智者の名も聞こえてきております」
名を挙げたところで、はたと由有は膝を打った。
「そうとなれば、すべての線が繋がるのではありますまいか」
「と言うと?」
宗善は気品ある目を眠るがごとくに凝らした。
「鹿信卿らしからぬこの敵の防戦、たしかにこれに我らは謀られましたが、いたずらに怒り猛らせるのみで痛手というほどのこともございませぬ。このような高火力を投入したところで、戦略的にも戦術的にも何ら益するところでもない。不合理そのものです」
「……ということは、砦そのものが我らを誘う餌だと?」
三戸野に、由有は肯じた。
「はい、我らが官軍相手にしたようなことを、逆用されているとすれば……怒った我らの眼がここに釘づけとなっているとするならば」
「……遠からず、敵本隊の総攻めがある、と」
ぞっとしない想像である。
だが由有の言には、敵の行動よりも理があるのも確かであった。
あの敵の悪辣かつ激烈な、かつ計画性の感じられぬ反撃は、敵の増援があるがゆえだと。
「はっ、空論だな」
だが宗流はそれを笑い飛ばした。
「どのようにして、籠城中の敵に策を授けるというのか……いや、あったな。一度のみ、その機が」
曰くありげに、鐘山が嫡子は弟に目を向けた。
「愚弟の麾下がむざと取りこぼしたという小僧。我らの眼前にふてぶてしく座しておった。奴が瑞石らより内意を与えられて動いているとするならば」
と、納得する姿勢を見せた。
自身に向けられた悪意は明確に無視し、宗善は立った。
「いずれにせよ、このまま砦に主力を傾けるのは危険です。兄上と幡豆殿は赤池卿とともに父上の脇備としてお付き下さり、本隊の逆寄せを警戒なされますよう。ここは我らが受け持ち申す……戦略的には無意味なものなのでしょう? 兄上から見て、この砦は」
「……だとしても、俺を差し置いて指図をするな!」
だが、確たる反論がないところを見ると、その方針自体には同意らしかった。
――しかし、と宗善は想った。
兄に糾弾された通り、砦攻めの際、宗流信奉者を除く将兵たちが必要以上に委縮していたのもまた確かだ。
おそらくこの者らの脳裏に思い浮かんだのは、うかうか敵の誘いに乗って死地へと踏み入った饗庭宗忠の末路であったことであろう。
だが、そうした心象も、読み切っていた敵がいたとしたら?
あるいは、今日に至るまでの点在していた事象を拾い集め、おのが策として再構築している何者かの存在がいたとするならば。
宗善や由有が見出した糸が、繋ぎ合ったと思い込むよう膳立てられたものであったのなら……
ぞっとしない、空想であった。が、完全に否定しがたい不透明な空気がどんよりと淀んでいるのもまた一方の見方である。
「……何やら、恐ろしゅうございます」
軍議の終わり、ぽつりと由有は漏らした。
「おのが考えが、今になって正しかったのかと不安になってきました……まるで得体の知れぬ
由有は府内でも多大な影響力を及ぼす、盤竜宮五の宮の宮司でもある。
武将に非ざる神職としての面が、そう感じ、率直に言わせたのかもしれない。
宗善は神など信じない。およそ現において重んじるべきは、規律と法と道理である。
だが、この時ばかりは、由有を言下に否定することができなかった。
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