第三話:亥改の女
亥改水軍。
元は漁業や廻船商の護衛を事業とする中小規模の武装集団であった。
順門府とは時に懐き、時に反抗した間柄ではあったが、その府が朝廷に背いた後は、完全に距離を取っていた。
たしかに、海賊衆を自称する以上は天朝に屈するつもりもないが、かといって表立って歯向かうつもりもない。
今回洋上に船団を展開させたのも、様子見のためであった。
だがその禁軍第七軍が、にわかに襲いかかってきた。
父以下寄合衆は皆焙烙により海の藻屑と消え、助かった者はわずか。
浜にてそのことを伝え聞いた姫はその理不尽な暴力への復讐に燃え、禁軍に襲いかかったというわけだが。
どういう次第か、今その禁軍第五軍の武将と組み、第四軍の輸送隊に襲いかからんとしている。
「お嬢……いえ、頭領。良いんですかい? あの物狂いじみた野郎を信じて」
打ち合わせの後解放された姫に疑問の声を上げたのは、壊滅した船団よりの生き残り、次郎坊である。
その際の戦傷著しく、潰れた右眼を眼帯で覆うが故に、より一層海賊めいた凶相となっていた。
なればこそ、知るのであろう。
官軍と己らの、装備と物量の差を。
「莫迦を言え。信じたわけじゃない。あの連中に如何ないきさつがあったかも知ったことか。ただ、朝廷連中の腐れた腹の中身を知るのもまた、腸腐れだろうよ」
「したっけ、そうまでしてここに深入りすることもねぇでしょう」
「そうそう、適当なところで引き上げましょうよ」
……海賊衆は優勢な時は勇猛果敢だが、士気は持続せず、僅かにでも敗勢の兆しが見えれば、如何に遺恨ある相手でも未練なくさっぱり逃げ散ってみせる。
それは時として美点ではあるが、ただ今においては欠点である。
もっとも、娘にしても、父たちの惨死に哀しみはすれど、憎悪はさほどではない。船団を晒す機が早すぎたのだ。
あるいは自分らを仲間に引き入れようとせんとする、順門朝廷に自身らを高く売りつけんとする肚であったのかもしれないが、結果はご覧の有様だ。
その後は衝動的な私怨に駆られた少女ではあったものの、大声で吼える犬にはより大きな声で怒鳴り返すと黙ると言うか、あるいは怒れる人はより激した人間を眺めて我が身を恥じると言うか。
とにかく、目の前に現れたあの短髪の若武者の双眸を、娘は見てしまった。
口は笑っていた。だがその実、彼女よりも、いやおそらくはこの戦場にいる誰よりも、怒り狂った眼をしていたように思えた。
落ち着いて話に乗れたのは、その眼ゆえでもある。
だが
それは今後のことである。
今この混乱期においてこそ、己は血筋と勇気から女だてらに亥改の当主たり得ているが、このまま立て直しの時期に入れは、当然小娘の下風に立つことを良しとしない者が現れる。
となれば婿養子を有力者より入れるか、あるいは座を譲るかという話になる。気位の高い女にしてみれば、想像するにおぞましい。
故に皆には言えぬが、要るのだ。
そうした悪意を跳ね除ける確固たる当主としての武威、実績。
それこそ、質量ともに自分たちの遥か上を往く官軍を倒すがごとき――
「どのみちこのまま逃げ帰ったって酒の一献もありゃしないんだ。佐古ってのが
自身の目的を打ち明ける代わり、そのように欲目を刺激しつつ味方を鼓舞する。
その数五十。時が経てば離散していた兵も集まり、二百は下るまい。
(ただ)
と輸送隊の死角にあたる麓にあって、少女は背後の笹ヶ岳を見遣る。
(興味は沸いた)
すべてに絶望したかのごとき、昏い眼をしたあの男が。
絶望して然るべきというあの孤立無援の砦にて、何を成すのか。あるいは何をしでかさんとしているのか。
――生き残るにせよ、身を亡ぼすにせよ。
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