第二話:狂宴の幕開け

 程なくして、蔵に押し込めていた捕虜が連れてこられた。

 順門府の雑兵足軽の類ではない。ここに至る直前に信守を襲った刺客である。

 未だつけている覆面の奥底に、ありありと信守への……否、武士そのものへの憎悪と不審が浮かび上がっている。


 眼前に立った信守は、手ずからその覆面を引き剥がした。

 現れた顔は、彼の思うよりも若く、品がある、娘の顔であった。


「ほう」

 さしもの信守も嘆を発し、その顎をつまみ上げた。

 女であることは肉薄された時に肌より発せられた香、掴みし時の細さと柔軟さの混合された感触により察していたが、神秘を帯びた美貌とまでは読み切れなかった。

 やはり都の姫君と較べれば多少日に焼けすぎるきらいもあったが、その野趣がまた良しという好事家もいるだろう。


 その所作と表情を、好色ゆえと見たのだろう。

 娘は、烈しく身をよじった。ただしそれは逃れんとするためではなく、噛み殺さんとさえする気概がゆえだ。


「なるほどな」

 身を剥がしながら、信守は木柵の外に目を遣った。

が、今なお貴様の奪還を諦めていない理由が分かった」

 その勇猛、その神性、そして若さ。

 凋落をたどる者どもの拠り所、その象徴として、これ以上の適材はあるまい。


「亥改水軍のすえか」

 と、先ごろ赤池水軍に打ち破られた海賊衆の名を出し、周囲をどよめかせた。

「されば、順門府側の」

「阿呆」

 見当違いのことを言う我聞を、信守は軽く叱責した。

「これから寝返らんとする勢力の一部を壊滅させる馬鹿が何処にいる? 大方、中立、火事場泥棒もしくは落ち武者狩りを見込んで張っていたこいつ等を、赤池頼束は手ごろな戦果の偽装として攻撃したのであろうよ」

「何を、ごちゃごちゃと分からんことを」

 娘が鈴の鳴るような声を発した。


「お前らがっ、無関係の我らをいきなり攻撃したのではないか!?」

「残念ながら禁軍違いの旗色違いよ。赤池頼束は順門に寝返った」

「知るか、そんなこと! お前も、奴らも、私には等しく畜生に見える!」

 などと吐き捨てられ、信守は嬉しそうに目を細めた。

「まったくもってその通りよ、俺も含めて武士とは等しく矛盾と欺瞞に満ちた糞袋に過ぎぬ。俺もようやくその自覚に至ったところだ」


 そう言い置いて、信守は娘の枷を外すように命じた。

 恐る恐る、という体で背後の番は彼女を解放したが、先の信守の言に何かしら思うところがあるのか、逃げも襲いもしなかった。ただ胡乱気に、櫓へ向かっていく信守の背を追っていく。


「……ふん、結局は大風呂敷の大言壮語。何をするかと思えば、虜囚の小娘ひとりに手を焼く有様ではな」

 一方、櫓から下り、陣の片隅に手干された地田綱房は繰り言を呟いて、必死に供回りに同意を求めている。


 聞こえよがしなその声を無視して、信守は娘を顧みた。


「その武家クソどもに、一矢報いるつもりはないか」

「……」

「それともここで俺を殺し、手ごろな仇討ちで妥協するか、赤池のごとく。そしてその後は必死に武家の陰に怯え、残飯にありつく虫のごとくせせこましく生きるか?」

 またも、信守が迫ったのは二択であった。

 しかも前者においてはことさら略歴を汲んでの皮肉を交えているのだから、問われた側としては選ぶのは自然後者であろう。


「……何が目的だ? 何をさせるって?」

「その前に、一つ聞く。貴様の手勢、鐘山の包囲を抜け出ることは可能か?」

「……お前さえ自由にしてくれるのならばな」

「良かろう」

 条件としては十分だ。信守は不敵な笑みを吊り上げて、満足げに頷いた


「さて目的だが、ついてくれば分かる」

 信守はそうにべなく言って、櫓の上へ招き入れた。

 我聞の指図にて慌てて護衛がつかんとしたが、信守はそれを手で追い払い、少女のふたりで上がった。


 綱房は外に背を向けて高言を放っていたが、信守は外を見た。

「見えるか?」

 と、娘にも外を見るよう促す。


 立てた親指で示した地平の先、丘陵の陰に紛れ、東へ続く街道沿いに、数十人から百人前後の規模の、隊列が見える。

 旗印は、丸に杜若かきつばた。そして四の字。


「あれは、禁軍第四軍、佐古の輜重隊だ。おそらくは自軍のみならず、味方の国衆どもの武具兵糧を、あるいは金銭そのものをまかない、今後のことを考えて恩を売る気であろう」

「はっ……! あれがどうしたってんだ? 襲ってくれとでも言うのかい?」

「そうだ」

 信守は即答した。



「襲え」



 凍り付く一同を前に、そう続けた。

 おそらくは冗談で言ったであろう亥改の娘もまた、雷にでも打たれたかのごとく総身を強張らせ、信守を凝視した。


「籠城するともなれば、我らにも兵糧は入り用でな。輸送路はここからよく視える。情報料がわりとして、奪った分の二割、こちらに分けてもらおうか」

「馬鹿なっ! 沙汰の限りだ! 錯乱したか貴様!?」


 頭を抱えてがなり立てる綱房の反応に、信守はせせら笑った。

 いったい何度、一度は狂人扱いした男の正気を確認すれば気が済むのか。


「若、さすがに、その儀ばかりは……っ」

 さしもの我聞も忍耐できぬとばかりに声を震わせて進み出た。

「我聞に問う。佐古は、味方か?」

「言うに及ばず……」

「そう、、味方ではない。味方面をした傍観者だ。やれ忠義だ友誼だ贖罪だなどときれいごとを言って、肝心の時に役に立たぬ者は、敵より性質タチが悪い」


 信守は綱房に曰くありげな視線をぶつけた後、吐き捨てるように続けた。


「順門はもちろん、桃李、禁軍ほか、四方ことごとくが敵と思え。そして逆に言えば」

「言えば?」


 若い組頭が進み出た。

 その者ににやりと笑いかけて、信守は片手を掲げておどけてみせた。


「ぶん捕り放題の騙し放題だ。相手が利用するハラだと言うのなら、こちらが逆用してやるまでよ」


 どこかの集団の一角で、釣られて笑いが起こった。

 だが大多数はなお、判断がつきかねているようである。


「保証は?」

 そんな荒涼とした空気の中で、件の娘が歩を進めて信守の前へと廻り込んだ。

「あんたらが、我らを担がんとしていないという証は?」

「お前たちを陥れて、何か得るものがあるのか? それともこれ以上喪うものがあるのか?」

 答えはない。ないからこその、明答であった。


「いまひとつ」

 このうさんくさい若武者に容易に吞まれまいぞと、気丈に鼻先を反らして娘は信守に重ねて問い質す。


「勝算があると思うのか?」

 相手となる佐古が陸水において赤池に負けず劣らずの強者の集団であること、さすがに亥改の残党とて耳にしているのだろう。

 真っ向から、あるいは容易な不意打ちを仕掛けたとして、勝つ見込みなど万に一つもあるまい。

「まぁ、そうだな」

 信守はそのことを正直に認めた。


「率いているのはおそらく上将、荒子瑞石。直成の懐刀と目される智者だ。破れかぶれに攻めたとて、結果は知れ切っている」

「そんなところに、あたしらを攻めさせようてか?」

 疑惑の眼差しを向ける彼女に、

「情報料」

 信守はあらためて、その条件を念押しした。


「場所だけではない。その瑞石に勝つ方法を教えてやる。それ込みでの二割――得であろう?」

 そして、露天の商人がごとき気安さで、彼は誘い文句を打ち出したのだった。

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