第六章:地獄への回天

第一話:二択

「――ゆえにッ、正義に殉じた我らの姿、天も帝も照覧し、きっと称賛されることであろう!」

「下らんな」


 櫓に上がり高説を垂れる愚者、地田綱房の姿を見上げ、その者ほどではないにせよ、将兵に聞こえる声量でもって信守はそう断じた。


 今までは一切抗弁せず、すべきことを寡黙に実行して来た信守が、暴言を放ったのだ。声を聴いたこともない者さえいただろう。士卒いずれも、背より割って入ったその青年を、当惑の眼差しをもって迎えた。


「……これは信守殿、忠勇なるお父上の死、誉れではありましょうが同時にご無念であられたことでしょう。その動揺もお察し申す。されど、『下らん』という一言は聞き捨てなりませんな!」

「無意味なものを下らんと断じて何が悪い?」


 信守はせせら嗤う。

 毎度毎度、小言ひとつを拾い上げては燃え上がる男だ。この程度でかくあるならば、この先の言を聞けばその総身など消し炭になってしまうのではないか。


「帝が照覧? 尻尾を巻いて東へ逃げ帰った負け犬に、もう一度この笹ヶ岳を顧みる勇があろうはずもないだろうが」


 瞬間、ざわめきが一気に広がった。

 櫓の綱房などは、開いた口が塞がらぬ、という体にて愕然としていた。

 もっとも、こちらは総大将不在の不安のためではなく、不遜も不遜の大放言に、罵声の言葉さえ吹き飛んだ、といった塩梅ではあったが。


「まぁ座れ」

 信守は手ごろな廃材に腰を落ちつけ、兵士たちをその近くへ手招きした。

 そのあまりに傲然、泰然とした様子に、混乱に混乱を重ねた者らに抗う理性など残されておらず、何やら狐につままれた面持ちで、壇上の守将を放置して誘われていった。


「もっともこれは俺も又聞きではあるんだが、事実と見て良い。なにしろ、本営が持ち直し直しつつある。これは指揮を執るのが桜尾佐古両氏に替わったがゆえだ。帝ご自身が采配など握れば、それこそ事態を悪化させる一方だからな。ある意味、その遁走は正解だったわけだ」

「き、き、貴様ァ!」


 笑いを含みながら説く信守に、ついに復帰した綱房が怒鳴り上げた。

 齢の割りには広い額には青筋が立ち、度を超えた怒りに、口が動くたびに奥歯が意識せず鳴らされていた。


「もはや正気とは思えぬっ! 我が言のみならず、一天万乗の主上さえも愚弄するとはッ」

「正気? なるほど、正気とは思えぬな。俺も、貴様も」

 激する男に対して、信守は冷ややかな自嘲とともに返した。


「既にしてここに居らぬ、そもそも言葉さえもまともに交わしていないような者のために、集団自殺を図ろうとはな。貴様は人の、いや生物の性を否定し、民草の庇護者たる武士の意義も否定した。それを物狂いと言わずしてなんというか」

「お、おのれ……は」


 堀で買われる鯉がごとく、激情のあまり一語ごとに口をぱくつかせる綱房をそれ以上は無視した。今更に、相互理解を深め合う必要などなかった。

 信守はこの忠臣もどきの正体をよく知っていたし、向こうは端から理解する気もなく、自身の正義を押し付け、相手の非を鳴らしたいだけなのだから。


「……もっともあの連中もまた、我らを見棄てる腹積もりではあろうがな」

「なっ……桜尾公も佐古卿も、そのような方では」

「するともさ、我聞。奴らは大名だ。いくら情義に厚かろうが、結局は統治者だ。十中八九は我らを殺す」


 父に代わり己に仕えることとなった家宰は、信守の背後を守って直立している。

 それを顧みて、信守は言った。


「我らには華々しく散ってもらい、それをもって戦の一区切りとして講和を持ち掛ける。宗円もまたこれ幸いと乗じる可能性は高い。あるいは提案者は逆かもしれないが、とにかく相諮りはせずとも奴らにとって笹ヶ岳砦の守備軍は滅んで然るべきつかえというわけだ」


 信守の説明もまた、そこで区切りを迎えた。

 その最中に、幾人かの表情から血色が薄れて消えたのを、信守は見逃さなかった。


「逃散すればその多くは落ち武者狩りと遭うだろう。降れば良くて虜囚。宗流あたりは全員切腹斬首を強いるかもしれんな。生かされたとて、良くてこの地に帰農させられ、小作人として終生鍬を持たされ焦土に打ちつけることになるだろうな。国交の断絶した今、故郷に帰れるとは思わぬことだ」


 後ずさりした者に特に伝えるべく、信守は声をさらに高め、己が筋書きを遠くまで響き渡らせた。


「さて、そこで我らが採るべき選択は二つに大別される」

 信守はそう言って、指を立てた。


「一つ、そこな阿呆の宣言どおり、この地で玉砕する」

「そうだッ、最早それ以外に、我らが名誉を守るすべはないのだ!」


 悲観的やら楽観的やら。

 声高に返した綱房ではあったが、どこかその調子は信守と対峙する前に比して濁って聞こえる。


「もう一つ――俺の企てに加担するか」

 策とは言わなかった。戦術とも称さなかった。

 信守には、それが度し難い悪事であるという自覚があった。それでもなお、あえてそれを断行する腹積もりは出来している。


「前者はどうにもならん。先に伝えた通り、帝はお前たちの名も貌も知らん。死んだとして、何も報いることはしない。先の失政に飢饉で慰労金を支払えん。国庫は底が見えている」

 ゆえにこそ、あの愚帝はこの肥沃な順門府に攻め入ったのだ。

「お前たちの一族郎党は、働き手を喪い、娘や髪など売って惨めに糊口をしのぐのだろうよ」

 これは悪しざまな妄想であろうか。

 だがその想像より遥かに下回る愚劣な行いが、この現の戦場では起こり続けてきたではないか。


「だが俺なら――少なくとも、ここにいる多くを救ってやる」

「莫迦な、そのようなこと、できるはずがっ」

「俺ならばやれる。


 ここまで諸将の在り様を、思考を、歪と蔑みながらもそれでも構造そのものは理解していた己であれば。

 その自負が、なけなしの食い下がりを見せた綱房を黙らせた。


「もちろん殺し合いだからな、全員は救えん。運の悪い何人かには死んでもらう。だが、上社家の蓄財を以て、慰謝料は遺族に払う。強いてここに来させた俺にも、責任はあるのだからな」

 その無意味な愚行に、そこに目を逸らし続けて忠良なるべしと演じて来た己を、殺したいほどに信守は嫌悪した。

 だが、目線は彼らより外さず続けた。

「もし死せば……俺を恨め」


 将士のいずれも。

 その眼は渇いている。悲壮に、怒りに。

 だがその奥底には、ぎらつくような輝きも確かに在る。


「時がない。今この場で聞かせてもらおう。綱房とともに犬死するか。それとも俺と共にここまで自分たちを苦しめて来た糞どもに地獄を見せ、恥にまみれて生き、天に唾吐き死ぬか」


 黎明が、信守の背に持ち上がる。

 その逆光を浴びるその影は、黒き悪鬼のごとく諸人には見えたであろう。


「……はっ、聞くまでもないだろう。者ども、このような狂人の侫言に惑わされるなかれ、我とともに華々しく……」

 嘲りとともに言いさした綱房の舌が張り付いた。

 信守の側に寄らず、遠望していた足軽士大将たちの多くが、揃った足並みとともにその眼下をすり抜けていく。その中には、第六軍の敗兵たちも混じっていた。


 そこまでの経緯を身をもって体験していた彼らには、分かっていた。

 是非はともかくとして、真偽はいずれにあるか。

 緒戦で無駄死にの骸を重ねた男の綺麗ごとか、それを一夜で片づけた若武者の正論交じりの悪態か。侫言とは、いずれであるかを。


 そして彼らを加えた守備軍は、信守の前に膝を折った。そのうちの誰かが、口上を告げた。


「どうか、我らに生きるすべをお与えください……大将殿」

 と。


 それについては真摯に頷き返した信守は、その静かな熱意に推される形で立ち上がる。

「では先ず」

 と前置きしたうえで、どこかとぼけたような調子で、眉を吊り上げた。


「捕虜と引見する。ここに呼べ」

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