第六話:終焉の鐘を鳴らすのは、誰か
早朝の軍議の席に、鐘山宗流は血臭を伴ってやってきた。
「また、誰ぞ官軍の手の者でも討ち取ってきたのか」
そう問うた順門府軍総大将、鐘山宗円の口は重い。
だが、そうとは知らぬ長男は、豪快に、というよりもどこか壊れたような大笑とともに答えた。
「否とよ、それよりももっと
訝しむ宗善に、宗流は曰くありげに目を合わせて答えた。
「鐘山宗善方付物頭、
と、さも誇らしげに言うものだから、宗善は思わず閉口した。
「部下の教育がなっておらんな、弟よ」
などと、悪びれるどころか感謝さえ求めかねないその増上ぶりに、宗善も自らを律すること能わず、
「なんと、無体な真似を」
と、苦言を呈した。
「挙国一致して官軍に当たらねばならないこと時に、なんたる非道か」
「ほーぅ? 非道か。挙国一致か。さすが戦前においては、己のみが非戦を唱え和を乱した賢弟殿は、申すことが違うわな。夜半に持ち場を離れて本営に戻るとは、くどくど貴様の申すところの秩序や規律に反する行いではないか。それとも親父殿に先んじてお目通りし、この不調法者の廃嫡でも進言しておったのか?」
兄はそう揶揄を飛ばし、宗善の陣羽織の袷にみずからの掌を押し当てた。
「今のように貴様は俺のことを、まるで風雅を愛でる情義を合わせ持たぬ獣がごとく見るがな、俺とて都に居た身だ。数寄の一つや二つは心得ておるぞよ」
などとわざとらしい都言葉とともに、弟の着物の一端を握りつぶす。
同胞の血で濡れたままであった彼の手が離れた時、その鮮血の手形は宗善の襟元に移っていた。
「ほぅら、紅葉で貴様の味気ない戦装束を彩ってやったぞ!」
独笑。毒笑。
和を乱すなと自ら言った手前、きつく己を律するつもりであった。あるいは兄は、本気で場を和ませようと彼なりの諧謔を飛ばしたのかもしれない。
――だが、宗善の手は人知れず、柄頭へと掛かっていた。
「やめよ」
しがわれた老将の声が、静かに息子たちを叱責した。
だがその制止は果たして、兄弟いずれに対してのものなのか。
無法を身内に働いた兄か。あるいは弟が刃傷沙汰に及ばんとしていたのを見逃さなかったのか。もしくはその両方か。
「今は危急の時である。相争うている場合ではない」
「何を言うか親父殿! もはや我らの勝利は揺るぎようのないものではないかッ」
「今にして思えば急なお呼び出し……もしや、何か変事でも?」
主張は正反対でも、示しているのは同様の危惧である。
白く染め上がった髷を撫でつけ、宗円は言った。
「帝が兵を置いてお一人で撤退された」
この時ばかりは兄弟、似たような面持ちを並べて驚いた。
「……という風聞が立っている。赤池卿、俄には信じかねるこの噂、貴殿の如何ように考えられる?」
話を振られた造反者、禁軍第七が将、赤池頼束は、四十そこそこの、少壮にして硬骨の風を纏わせた武人である。
その彼が、宗流離脱のみぎりに幡豆由有の調略を受けて朝廷への謀叛などという『大逆』を侵すに至っては、相当に苦渋の決断があったことだろう。
「……有り得る話ではありますな」
と、その頼束は答えた。
「そもそもあの御仁に、家臣を思い遣る情義など一片でも持ち合わせておれば、私も話には応じかねたでしょう」
と前置きした。
「……妹婿が星井めの讒言により殺された。まだそれだけなれば良かった。過ちも思惑もあったことでしょう。しかし、喪が明けて参内した私に、あの方はそのことに一言も言及することなく、命を下す。あまつさえ、『喪に服したと聞いたが誰ぞ死んだのか?』などと下問する……平然とッ! 刑場の露と消えた哀れな女が、我が妹などとは知るべくもないと! あの愚帝を戴いた時点で、現王朝には終わりが見えたわ!」
などという話題を逸脱した頼束の私憤は収まるところを知らない。
父にしてみれば、赤池が藤丘に深い怨みを抱いているのを読み取ったればこそ、由有を遣わしたのだ。
千里眼のごとき精妙なる洞察眼とそれを元にした遠大な戦略構築能力こそ、恐るべきところであろう。
ただその深謀遠慮の父にしても、今回の帝の単身離脱、事実とすれば大いに誤算となるだろう。
「はっははは! これは滑稽!! 帝は御自ら地上を統べる器なしと認めたと見える! 親父殿、今こそ総軍を挙げて攻勢に転じ、勢いそのままに都を直撃せんっ」
などと無邪気にはしゃぐのは宗流とその一派のみだ。
是非はともかく、現有戦力のみで道中の諸勢力をすべて駆逐し、上洛が果たせると思っているのか、この男は。
そもそもこれは土地と民を守らんがための正当防衛であったはず。それを侵略行為に方針転換したとて、将兵がどこまでついてくるのか。
探すべきは決着点だ。
最善の目標とは出来るかぎり好条件で和を結ぶことだ。
今であれば、星井がごとき君側の奸を除かんがためのやむを得ぬ挙兵であったと言い訳がつけられるではないか。
おそらく父の落としどころもそこであったはずだ。
――が、その交渉相手であり最終意思決定権を持っていた帝が、この地を離れた。
後に残されたのは、ただ抗戦を命ぜられたであろう官軍。これもまた厄介だ。ひとつ扱いを間違えれば、暴徒賊徒のたぐいと化して、順門を荒らし回るであろう。
(ではこの戦……いったい誰が終わらせるというのだ?)
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朝起きると、父だったものが死んでいた。上社鹿信は物言わぬ骸となっていた。
あるいはあの時点ですでに死んでいて、狂った自分が幻覚幻聴と会話していたのかもしれなかった。となればそれを聞いていた貴船我聞も狂人ということになりかねないが。
ひとつ確かなことは、厄介な置き土産を残してくれたことだろう。
五千程度の孤立した敗残兵と、破損を覆い隠せぬ糧秣に乏しい砦。そして
「諸君ら、よくぞ再びこの地に舞い戻ってきてくれた! 今こそ帝の御為、我らその骨を砕き身を削ぎ、王朝の礎となそうではないかぁっ!」
――あの、愚将。
朝も早くに第六軍の地田綱房は元気よく、自身の正気を一片たりとも疑いもせず、傲慢な物言いを空疎で具体的な展望を欠く弁舌で飾り立ててまくし立てる。
それを陣屋の口縁に手をかけて覗き見ていた信守は、零した。
「聞くに堪えんなぁ、あの糞虫の鳴き声は」
それはおよそ、今日までの上社信守が決して口にしなかった雑言であり、声量であり、そして薄ら笑いであったことであろう。事実、傍らで父の始末に当たっていた我聞は、ぎょっとして顧みた。
もうひとつ、鹿信の遺したものがある。
それは、一個の仏像である。
苦境に立たされた陣中において、父手ずから彫ったものであろう。
ただの手慰みか。このようなとびきりの狂人を産み落としてしまったことへのせめてもの贖罪か。あるいは、その愚息の心がわずかなりとも健やかなれと捧げた祈りの供物であったのか。
いずれにせよ、必要のないものであった。
信守は長持の上に無造作に置かれていたそれを、地面に叩きつけて踏み砕いた。
手にした小柄で髷を落とした。ざっくり黒髪の後尾を短く切り落とし、ばさばさと乱して生来の跳ねっ返りの強い癖毛の正体を露わとする。
「行くぞ、我聞。そんなものは放っておけ。それは最早父上ではない肉塊だ」
そして口端には笑みを吊り上げたまま、唖然と、もしくは愕然とする従者に言ってのけた。
「こんな下らん戦、俺が終わらせてやる」
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