新春特別編:乞食と屠蘇

 その年、桜尾典種は年賀のために上洛。

 すっかりその関係には溝が出来ていたものの、桃李府桜尾家と藤丘朝は依然主従の紐で結びついている。

 お互いに社交辞令しか向け合わぬような挨拶を送り合い、それなりの下賜を頂いたのち退廷。宮下にて人質となっていた末子晋輔からの祝いを受ける。


「まぁこういう時でも無ければ、王土に入る機など無かろう。後々のためにも、見聞を広めるが良かろう」

 という典種の勧めもあって、随行していた器所実氏は暇を得ることになった。


 そして知人の家を訪ね、かの仁が不在と悩ましげな家令より告げられると、大通りにてと屠蘇を買い、外れて裏に回った。

 そこは、華やかな表通りとは異なり、昼だというのに仄暗く、湿った生臭さが充満した、胡乱な区画である。

 陽の当たる域の全てが、偽りの華美とは思わぬ。

 だが、この陰惨な光景が、それらの格差が世の真実の一端であることもまた確かなのだろう。


 かつてはこうした連中と近いその日の命さえ危ぶまれるような暮らしを送っていた実氏だったが、今やそれが大将と呼ばれる士分である。

 それらしい装いはあまりに場違いで、衆目を自然浴びる。

 絡むような浮浪者、不逞の輩らの視線に気付かぬ素振りをしつつ、実氏はそのうちの一人、だいぶ離れた所にて片膝を立てて座す男の前に立った。


 痩せてはいるが背は高く、襤褸ボロの下より余した脚は長く、無精髭と伸ばし放題の髪の合間の肌は若く、新春の寒さに血色が失われているが、その眼だけは燃えるが如くに輝いている。かつて見た業火が刻まれているかのように。


「いやはや、まさか都鄙に恐懼される禁軍第五軍の御大将が、このようなところで、物乞いなどとは」

 そんな目線と肩書きに怖じる気配などなく、互いが目を合わせるに無理のない高さに身を屈ませて実氏は軽く嘆いた。


「物乞いではない。我から何も乞うてもおらん。所詮は真似事に過ぎん……下らん取り巻きも付き纏っておることだしな」

「の、ようで」


 実氏はチラリと路地の角を盗み見た。

 そこにもまた、一人の僧形が佇んでいる。察するに、貴船家より遣わされた物見兼警固であろう。

 その乞食……もとい、それに扮する上社信守がための。


「信守殿が家出したと我聞殿より話を聞いた時には、さては主上の勘気でも被り、追放されたものとも思ったぞ。我聞殿に至っては、とうとうまことに殿が狂を発せられたと嘆いておられた」

「元より俺は正気ではないわ。真似とて乞食姿で大路を闊歩すれば即ち狂人よ」

「またまたそのような……今更厭世で塞ぎ込む信守殿でもあるまい」

「ふん」

「ん、あれか。貴殿は、来春には貴船の御養女と婚を結ぶらしいな。世の婦人には嫁ぐ前に不安となって心身に変調を来す者がいると聞く。おそらくそれと同じ理由で」

「深い意味などない。ただの試みだ」

 実氏の戯言を遮るように、信守は言った。


「……ふとした拍子に何もかもが煩わしくなったのば本当だ。連日連夜、忠臣ヅラで諫言の体裁であの娘の出自にあれこれと口出しされれば、より心も捻じ曲がるわ。全てを投げ出した先、こう言う暮らしにこそ身分も隔たりもない世界があるのではと考えたのだがな」

「では、なかったと?」

「惚けるな、知っているくせに」


 俯きながら信守は忌々しげに吐き捨てた。


「乞食の中にも誰が決めたかも知らん取り決めや序列があり、捨て切れぬ虚栄心がある……諸人のそれと何ら変わるところがない。まったく、下らぬことであった」

 そう締め括って眦を絞る魔の大将の眼光に、実氏は一片の、小心の少年がごとき繊細な閃きを見出した気がした。


「案ずるなと我聞には伝えておけ。間もなく戻ってうるさ方とはケリつける。友情まがいの感傷や同情を俺に向けるぐらいならな」

「おや、やはりオレは友ではないのか……そうさな、身分やそもそもの出自が違うものなぁ」

「身分や出自どうこうではない。そもそも、それを言えば今の俺は貴様より遥か下だ」

 あえて悄然と肩を落とす実氏に、信守は冷笑をぶつけた。


「ただ洛中洛外、こうやってたらし込んだ友とやらが貴様には何人いることやら。効果のない俺により、まずそう言った連中に甘言を弄したらどうだ?」

 対して実氏、大きな目をぱちくりと瞬かせて、

「確かにオレには友は多いが」

 と前置きしたのち、

「そこもとにとっては友たりえるのは、オレしかおらんではないか」

 と、ごく当たり前のことが、口から滑り出た。


 信守の表情が、一瞬激しさとともに変動した気がしたが、その表情を背けた。

「……やはり、お前は嫌いだ」

「分かった分かった。でも、此度の嫁取りを言祝ぐぐらいはさせてくれ。ささ、飲ろうっ」

 腐す彼の手前に、汚れるのも構わず腰を腰を据え、拗ね子を宥めるがごとき口ぶりとともに屠蘇を差し出す。


 かくして、時代を代表する傑物たちは、一時の静謐を享受しながらも、その破綻を、言外に、かつ静かに覚悟し始めるのだった。

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魔将は嗤う 瀬戸内弁慶 @BK_Seto

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