ふと、長篠の戦いについて個人的に思いついたことがあるので(エッセイにするまでもない素人考えにつき)こちらにつらつらと書いてみます。誰かの考察と被ってたらご容赦を。
よく武田勝頼は何故十倍する敵に無謀な突撃を敢行したのか、と言われていますが、多分なんですが、織田軍が来ることは、勝頼らにとっては完全な想定外ではなかったのかと。
何せ、今まで織田から徳川に援護らしい援護はなく、かつ徳川単体ならば余裕で勝てる。
だからこそ今回(長篠)も同様のケースだと踏んでいた。
一方で、信長は徹底した合理主義者でした。
「ただでさえ畿内勢力を抑え込むのに力を割いているのに、いちいち徳川の援軍要請に取り合って援軍を遠くから出していたらキリがない。だから、ある程度まで攻め込まれた時にのみ援軍を出す」
という考えが、彼の中にあったのではないかと。そして、その戦略的かつ徳川の外交関係のうえで想定していたデッドラインが、長篠近辺だった。
家康にも内々にその意が伝えられていて、だからこそ幾たびもの(ダメ元もしくは家臣らの手前のポーズ)の要請→無視に際しても鞍替えすることなく耐え抜けたのかと。
だからこそ、そのラインに接した時、信長は自ら出陣した。
そして勝頼は、まさか織田軍、しかもほぼ全軍と言って良いほどの主力が向かってくるとは思いもよらず、動揺している内に、余裕が出来た徳川軍によって退路を遮断された。
そして身体極まった武田勢は、無謀ともいえ正面突破で活路を見出すよりほかなかったのではないかと。
もしこれが事実と一擦りでもしていたのならば、当時の混沌とした情勢下でここまで確固たる構想を持ち、かつ周囲にそれを徹底させられた信長は、やはり取るべくして天下を取ったのではないかなぁ、と思った次第。
(自分の道理に忠実たらんと、時折無茶な突撃をするのはご愛嬌)