最終話:きっと

 都に花が舞い散る。

 いつもと変わらぬ春の終わりだが、行き交う人々の様子はだいぶ異なる。

 動かす足も心なしか速く、表情には余裕もなく、前についた目はしかし、辺りへの集中を欠いているようにも見える。

 戦の取りやめ、および順門府が謝罪恭順したという言い分を敗戦当時より喧伝していた朝廷ではあったが、


『どうにもそうではないらしい』


 と、そろそろに都雀らにも伝わり始めた頃なのだろう。元より、だいぶ無理がある嘘であった。


 その様子を嘲りながら見て回っていた信守だったが、ふと自身も足を速め、前にあって往来を横断せんとしていた童の肩を掴んで、押し退けた。


「無礼な!」


 童の出立ちを見るに、それなりに身分ある武家だったのだろう。相手が禁軍第五軍上社信守卿であるとは露知らず、戦を求めて京師に乱入してきた悪党足軽のたぐいとでも心得たか。

 母親らしき者が侍女を伴い追いつき、我が子をかき抱きながら通り過ぎた信守の背を罵った。

 その坊が飛び出さんとした道を、早馬が凄まじい勢いで駆け去っていった。


「またあのようなお振る舞いを」

 と貴船我聞が眉を寄せた。

「女子供にかような横柄な行いをされますと、嫁の来手が無くなりますぞ」

「子持ちに良い顔してどうする? それより、あの早馬。さてはまた典種公の臍でも曲げさせたか?」


 精神が低迷ながらも落ち着きを取り戻したあたりで、帝は一通の書簡を、周囲の諫止を押し切って桃李府へと送りつけた。


 これすなわち、譴責状。


 朝廷は、というよりも帝は敗戦の責任を

「せっかくまとまりかけていた和議を桜尾らと一部朝臣らが騒ぎ立てて事を荒立て徒に戦を長引かせた」

 が故とした。自分ではそう信じたかったのだろう。そしてそれを公文書に認める帝は、やはり既に正気ではないのだろう。

 が、心底ではやはり己の責とは考えられる程度の羞恥はあったのだろう。


 だからこその、譴責状。罰するに忍びないがための、温情。

 その文言を要約するならば

「此度の曲事はゆえ、今後は反省してより一層の忠勤に励むべし」

 とのありがたきお言葉である。


 ……この、書き手の自尊心を満足させ相手を不快を与える以外なんの意味もない書状に、果たして桜尾典種は激怒した。

 書状を携えてきた勅使の前でその白皙をあかくさせて、大喝をもって上座よりその者らを引きずり下ろしたのだから、相当のもの。

 否、実氏が諌めなかったところを見ると、すでにその怒りは予定されていたものではなかったか。


 天下への野心があるのかはともかくとして、単身逃げ帰った帝と、その指示無くしてはまともに機能しない朝廷に見切りをつけて、はや独立独歩の風を吹かせている。


 当然帝はその対応を受けて逆上したが、むしろ慌てたのは、朝廷の臣らである。無論、多少は現実の見える者たちは、余力を残して撤退してきた桃李府へ半減した官軍を率いて再出兵など、思いもよらぬことと弁えている。


 公的に私的に、典種が反朝に翻らぬよう宥めすかしている、というのが只今の状況である。


 一方禁軍に対しては帝は強硬な態度を取った。


「字の如く卿らは禁裏の軍。朕の軍である。しかるに朕の近辺を守らずして戦場に居残るとは不届き千万」


 などと飼い犬の縄をみずから手放した主は憤り、その『不忠者』なる将に相応の罰を与えた。

 いくらなんでも、という声もあるにはあったが、今の帝には如何なる弁護も、将来の謀反人どもが互いを庇い合っているようにしか思えなかったのである。


 信守は、減封と一月ばかりの謹慎を引き換えに、父の官位と財産を正当に継承した。その引き継いだ家財の半分くらいを売り払い、死傷者への慰労金として本人や遺族へ充てがった。


 それ以上の咎めは無かった。直成も例の信守への嫌疑を訴えるでもなく、

「もはやこの朝廷においては、何を申し上げるのも馬鹿馬鹿しい」

 とでも言わんばかりに、黙秘を決め込んでいた。


「……別にこれ以上はすることもない。死んでも良かったがな」

 ポツリと漏らした信守を、何か言いたげに我聞は細めた目で見つめていたが、やがて態とらしい咳払いとともに、

「何を申されますか。いかな殿とて、上社のお血筋を絶やすこと、まかりなりませぬぞ」

 と叱りつけてきた。

「この世に嫌気が差したと言われるのならば、それこそ妻を娶り、子を成して後に隠居されればよろしかろう。もっともその場合、ご自身で匙を投げられた憂世の苦しみを、赤子に押し付けることになりましょうがな」

 などと多分に毒を含む諫言を、新たなる主へとぶつけてくる。

「……我聞よ」

 それを受けて信守は、腹心へニヤリと笑いかけた。

「ようやく、俺の家人らしゅうなってきたではないか」


 と言ったその瞬時、不自然なよろめき方をした武家女が、信守へと肩を寄せてきた。反射的に、信守は細いがしっかりとした骨を持つ女の腕を取った。

 女の手に握られていたのは萎び切った干柿と、誰ぞの遺髪の束。いずれも信守の懐中に入っていた代物ではない。

 笠の奥に隠れた顔を覗き見て、信守は口角をさらに吊り上げた。


「勘違いするな。あんたの忘れ物を返しに来ただけだ」

「生きていたのか」

「あんたに焼かれる前に、砦を出たからね」

「で、海賊から掏摸に職替えか?」

「だから違うって……まぁ、そっちの稼業はもう食い上げさ。あんたの口車に乗せられちまったせいで、あの後鐘山の追捕を受けた」

「大方、味を忘れられん跳ねっ返りどもが要らん欲をかいたのだろう」


 図星であるらしい。つまらなさげに鼻を鳴らし、目を逸らす。

 天下の往来で憚りなく物騒なことを談ずる二人に、我聞は立ち尽くし、閉口していた。

 さすがにそれを哀れに思った信守は、肩をすくめて、娘の腕を解放した。


「受け取る謂れも責められる謂れもないが、まぁ良い。暇なら付き合え。もっとも、奉公人にはあらかた暇を出してしまったゆえ、たいしたもてなしも出来んがな」


 と歩き出して誘えば蓬を名乗るかの娘も、不敵に笑み返して追従した。


 〜〜〜


 ある日より、一人の娘が上社の屋敷に寄宿、奉公することになった。

 娘は老臣貴船我聞の養女となり、武家として作法と教養を指南される。

 内面はともかく、上っ面を見た誰しもが、彼女が元は海賊であると考えなくなった頃合に、娘は上社信守と結ばれ、やがて一子をもうけた。


 そしてその信守。

 その傍若無人な言動ゆえに、幾度となく逆心を疑われ、冷遇されることとなるも、周囲のことごとくが王朝を見限り、裏切る中で最期まで禁軍であることを貫いた。その所以は誰の知るところでもない。


 投入される戦場がそのまま死せよと言わんばかりに過酷であるがゆえか。その気質が災厄を招くのか。彼の立つ戦場は常に凄惨なものとなったが、自身とその軍は命を全うして勝ち続けたという。


 であればこそ、諸人はかく評する。


 その男は秀才に非ず。鬼才なり。

 名将に非ず。魔将なり。

 その男は正道にして外道なり。

 正気にして正気ではなく、人を嗤い、己を嗤い、されでも当時の人心をかき乱し、後世における人心を惹きつけてやまぬ、


 いずれにせよ、口さがないその評が届くようなことがあれば、きっと――



 魔将は嗤う

 〜完〜

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