第十一話:輪の外の男

 桃李府内領西北街道を通過していた禁軍第五軍は、その途上に器所実氏の姿を見た。単身で、平服であった。

「やぁ」

 と、さながら遊びにでも誘うような調子で手を挙げてきた近習頭に、信守は多分に苦く笑いながら下馬した。


「貴殿のことゆえ、我らが本領を避けてご帰国されるものと思ってな。ここで待ち伏せていた」

「もし貴様が敵であったのなら、進路と思考を読まれていた俺は今頃討ち取られているか?」

 かなり意地の悪い信守の諧謔に、惚けたように首をかしげてみせた。


「ま、よろしいではござらぬか。とうぶん戦の話は、勘弁勘弁。それよりも、我らが本城に立ち寄られぬ代わり、如何かな、茶の一杯でも」

 敬意と愛嬌が半々に入り混じった実氏の言葉に、信守は鼻を反らすようにして我聞に目くばせして、休憩を命じ、自身も馬を下りた。


「で、何故単身ここに来た? 不届き者の信守を密かに殺して参れとでも命ぜられたか?」

 実氏が慣れた調子で熾した火を挟みながら、信守は尋ねた。

 官軍が後始末やら指揮権の論争やら信守を宿場で吊し上げにして時を費やしている合間に、我関せずとばかりに、先に桃李府軍は帰国している。察するに、実氏はその後に身支度を整え、信守の帰路に立ち寄ったのだろう。


「まさか。これから忙しくなるゆえ、殿より褒美として暇を頂戴いたしました。ゆえに、良い機と思い、言いそびれていた別辞と……そして感謝を」

 対して、実氏は釡を薪木の上に置いた後神妙な調子で頭を下げた。


「貴様に頭を下げられることをした覚えはない。むしろ、典種公より恨み節を言付かっているかと思ったわ」

「まぁ、それは」

 実氏は苦笑しつつ、信守の差し出した青磁の茶碗に抹茶を盛り、湯を注いだ。

「されども我らは元より兵糧は国近きゆえ多くを自給で賄っていた。よって佐古様の陣での『失火』による被害もない。むしろ、多くの兵を生かして帰し、かつ武門としての面目も果たすことができた。どなたかのおかげでな。いや、我らだけではない。互いに落着点を欠くままに意地を張り合っての長陣ともなれば、敵味方に数倍する損耗があったであろう」

 茶碗を返しながら、実氏は尋ねた。


「仮に第五軍が巷説のごとき蠢動をされていたとして、貴殿の狙いは、敵味方を殺し合わせて順門府を灰塵とするというより、最初からそこにあったのではないのかな」


 余計な意地を削ぎ落とし、心を折り、それ以上の戦の不毛さを説くために。

 ……そう、実氏は考えているようだった。


「さぁな」

 信守は冷笑とともに、茶を受け取り啜った。

「結果として戦は早くに終いとなった。まぁ良いことだろう……どうでもな。礼ならば華麗なる斡旋者殿に言うが良かろう」

「だが、それでも先に宗円公が心折れたことが決め手となったことに違いない。無論、それは桜尾の家風の好む行いではない。武士らしい振る舞いでさえない」


 信守は、武士ではない男の語る武士の在り方を説くその姿に、おかしみを噛み殺していた。


「であればこそ、多くの命を救った貴殿らに、せめて一人ぐらいは頭を下げても良かろう。でなければ、皆に代わりて非道を独り負った信守殿が、あまりに報われぬではないか」


 そう言ってあどけなく笑みを転ばす実氏に、信守の表情が引きつった。

 今まで珍獣のごとく見据えていた相手から目線を外し、茣蓙の上に碗を置いて立つ。


「――結局、お前は輪の中に入っては来なかったな」

「はて、輪とは?」

「お前だけが。誰しも欲に狂うていた、執着に狂わざるを得なかったあの場で、お前だけが」


 そして繋ぎ止めていた馬の下へと足早に、実氏から間を取って。

「あの、もし」と要領を得ない調子で追わんとする青年を最後に信守は顧みた。


「だからこそ……いや最初から……俺は、お前のことが嫌いだ」

 その顔を見て、実氏は目を丸くしたまま立ち止まった


「その茶器はくれてやる。礼儀も作法もなっていないろくでもない野点ではあったが、美味くはあったゆえな」

 と述べた時にはもはや、信守は再び顧みることなく撤退を再開したのだった。


 ~~~


 茣蓙の上に乱暴に捨て置かれた青磁の品を拾い上げながら、実氏はおのれの髷の生え際を撫でた。

 未だ審美眼は未熟。信守があまりにぞんざいに扱っていた時はさほどの物とも思えなかったが、今こうしてまじまじと見つめれば、釉薬が清らかでその表情は一反の絹織物がごとく均等で美しい逸品である。ともすれば上社伝来の名物ではないのか。


「……お前のことが嫌い、か」

 が、実氏の興味は陶器にではなく、その持ち主であった若武者に未だある。

言われてもなぁ」


 その表情がどういう類のもので、如何な感情に起因するものなのかは、あえて問うまい、語るまい。


 皆が、口をそろえて上社信守は豹変した、気が触れたという。

 だが実氏の視るところ、今なお、哀れになるほど愚直で清廉な男であった。


 あの突入の夜、父御の死に前後して何があったのか、断片的にしか実氏は知らない。だが、世は彼を世の道理を知らぬ物として嘲った。

 言わずもがな、この世には理のみでは如何とも覆しがたい矛盾がある。誰しもそれを抱えながら生きている。あの御曹司とてそれを分からないでもなかったが、それでも、ついぞ納得ができなかったのだろう。


 ゆえにこそ、自分も皆も狂っているという結論で己を無理やりに結論を導いた。でなければ前に進むことも、他人を受け入れることも出来なくなってしまったのではないか。


 ――あの若者は、誰かに寄り添いたかったのではないか。


 実氏は、頬を掻いて苦笑した。

 もっともこれは、己なりのかなり前向きな当て推量に他ならない。もしそれをさも事実のように口にすれば、それこそあの男の、激しくにくむところだろうに。

 とにもかくにも、難物だが捨て置けぬ。世にも面白き御仁であった。


 ~~~


 その後、器所実氏は対鐘山の戦において順調に武功を重ねていき、桃李府の筆頭家老にまで昇り詰めた。

 病を得て寝込むようになった桜尾典種に代わり家中をよく取りまとめ、西の鐘山宗流、東の風祭康徒の両戦線を柔軟な采配でもって隙を与えずに凌ぎ切った。

 典種が末子、晋輔しんすけ羽黒家に養子入りした際は、彼の俊才を見込み娘と娶せた。


 晋輔は養子となりて後、名を羽黒圭輔けいすけと改める。

 後にこの名は、風祭康徒に比肩する野心と武略と謀才を備えた北方の名将として天下に鳴り響くこととなるが、その雄飛が実氏の後見あってこそのものであったことは言うまでもない。


 ――また、余談ではあるが。

 妬みを恐れて器所家はあまり多くの財や宝を蒐集しなかったという。

 しかしながら、実氏の人品らしからぬ瀟洒な青磁の一碗が、その出自が伝えられることなく、数少ない家宝として後世にまで保管されている。

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