第十話:さざめく闘志
敵味方の事が済めば、次は身内の話である。
いや、この場合味方と呼んで良いものか。
国境に引き退き、なんの皮肉か
「……さて、何かと耳聡い信守殿におかれましては、この場がどのような席かすでにご承知のことかとは思いますが」
「だいたいは察しているが、俺の見聞きしたものとお前たちの当て擦りが同等のものかまでは知らん。齟齬を生んだまま手前勝手に断罪されても困るゆえ、是非ともそちらの言い分を聞かせていただこうか。耳聡き軍師殿」
賢しらげに迂遠な物言いをする瑞石にそう投げ返すと、形よく整えられた眉をわずかに寄せる。
が、すぐに表情を取り繕い、澄ました顔で告げた。
「上社信守殿。貴殿にはある嫌疑が掛けられている。それは、賊を指嗾し我らの輜重を襲わせたというなんとも信じ難き風聞である。結果、我らは進むも退くもままならなくなり、それがためにあわや敵中と血戦に挑まざるを得ない事態と相成った……この義、如何に?」
「如何に、とは?」
「知れた事! 真か嘘か、それを明らかとせよと申しておる!」
その内の一人が、床板を叩いて喚き散らす。
ならば勿体ぶった言い方をせず最初からそう尋ねれば良かろうに。肩を窄めながら信守は言い返した。
「信じ難き風聞であれば、打ち捨てればよろしかろう」
「では、真ではないのだな!?」
「とも言っておらん」
「おのれ、我らを……愚弄する気かぁ!?」
禁軍の代将一人ではあろうが、まったくもってつまらない反応を見せる若手である。
それを無視して、信守は瑞石に顔をずらした。
「で、そんな下らんことで弾劾する以上は、根拠はあるのだろうな?」
「まず一に、急に賊が賊らしからぬ精妙な戦ぶりをしたこと。第二に、禁軍のみで配布されていたはずの割符を持ち、知り得ぬはずの符丁も知っていたこと。これはあの場より俯瞰していた貴殿のみが成しえる業ではないのか」
「なんだ、賊ふぜいに負けた己の戦の不味さを俺に押し付けたいだけのことか。そんなへっぽこ軍師の推量で、俺は吊し上げられているという訳か? 証もなく」
今度こそ明確に、瑞石は歯を軋らせた。
(つい先ごろまではもう少し忍耐の利く男であったはずだがな)
己の計画が破綻させられたことが余程腹に据えかねたのか。清廉実直な書生の面を破って出てきた天狗鼻を折られて面目を喪ったがゆえか。
とかく、信守が一挙一動、余すところなく殊更に嫌悪しているようである。
「では、証が出てくれば良いのだな?」
「その賊とやらを探しに行くのか? 敵の領内に戻って」
「それさえも辞さぬ。佐古家の威信にかけて、この件はきっと詳らかとしてみせる」
「たかが米泥棒ごときに、主家の威信をかけるとは業腹なことだ」
「鐘山家に掛け合い、共同調査としても良い。彼らもまた被害を受けた。きっとその件については協力をいただけることと思う」
「いやいやまったく、その妄執には頭が下がるな」
信守は掌を突き出して、とぼけたように自らそれに乗じた。
「その執着であれば、無から有を生むこともまた良しとしよう」
「我々が、偽言偽証をするとでも?」
瑞石が低く問い、信守が高らかに応える。
「武士や貴人の体面とやらがその実なんら役に立つことがないと、この戦をもって明らかとなったではないか。赴けるかどうかも怪しき場よりそちらの用意した人や物が、果たしてなんの証明となるのか」
「あ、証を見せよと申したは貴殿の方ではないかっ!」
横合いより禁軍の一将が声を張る。
それを流して背を丸めた信守は、頬杖を突いてあらためて問い返した。
「謂れはあるのか?」
「……なんだと?」
「俺がお前たちが邪推するようなことをせねばならぬ理由はなんだ?」
「知れたこと。奪った兵糧でおのれのみが腹を満たすためであろうが!」
「残念ながら物資は笹ヶ岳とともに火の海に沈んだ。そもそも、運び入れる手段がないではないか。遺恨あってのことだとするなら……総大将代理殿に俺は如何な遺恨があったというのか」
「そ……それ、は」
瑞石が言葉を詰まらせ、糾弾のために鋭く向けていた目線を信守から外した。否、直成から逸らした。
言えるはずもない。おそらく要請を蹴ったのは瑞石の独断。直成には何事もなかったと申し送ったに相違ない。今更それに対する掌返しは出来まい。
「くだらんッ」
言葉に窮した瑞石の代わりに、別の将が拳を床板に叩きつけた。
「物狂いの理屈など知った事か!」
「左様! 大方戦の重圧に耐えきれず、心を壊し、かくも常軌を逸した行動に出たのではないか」
と、それに和同する面々の、感情剥き出しの罵声により、理智の荒子瑞石は救われた。
「――ひとつ、これだけははっきりとさせておくが」
その皮肉に唇を歪めながら信守は、その手を指弾するためのものへと変えた。
「俺は何も変わっていない。お前たちが俺を間違っていると言った。どうかしていると哂った。ゆえに俺はらしい振る舞いへ切り替えただけに過ぎん」
わずかに絞られた双眸は、そこに満載された怨念は、歴戦の諸将をたじろがせるに十分と言えた。
「だが確かに、訳の分からん戦場であったことには違いない。何が正気で何が狂気か。何が真実で何が虚偽か、判別つかぬ。それで、直成卿。貴殿のこれは真実か?」
そう言って信守が懐中より抜き出したる紙片、その裏側に描かれた法印に、翻って記された虎の花押に、直成と瑞石は顔色を変じた。
「あっ、それは……!」
迂闊にも口走った東動稙仲の驚きに、禁軍四軍大将は忌々しげに舌打ちした。
本人の立場を想えば、迂闊にもほどがある。
「これによると先ごろ、貴殿は兵糧を貸与する代わりに以後、佐古家の言動について一切の制約をせず、むしろ朝廷内においては率先して力添えをするようにという取り決めを、そこな東動殿と交わされておられる。帝に対して変わらぬ忠義を誓わせるならともかく、これではまるで佐古家に忠勤を誓わせるような内容だと思うが……この義、如何に?」
その出処を想えば、嫌疑の行いはいかにも己の仕業と告白したに等しい。直成らとてそれはとうに知っているだろう。
だが強くは出られない。今、佐古東動両家はその三族を質とされたも同然であった。
「埒もない。偽書よ、偽書。鐘山宗円の離間策と心得い」
直成は苦笑して手を振った。
「それが良うございましょう。互いの罪が真だとすれば……この信守は第二の鐘山家の兵站と威信とやらを潰した、ということになる。そうでなくとも、赤池が寝返り疑心暗鬼に満ちた朝廷にこの件を持ち込めば、双方共倒れということになりかねぬ。互いに偽りということで手打ちとはしていただけませぬかな」
「何を滅茶苦茶な……! そもそもその書状を御身が持っているという時点でっ!」
「まぁ、それで良かろうよ。すまなんだな、無用の疑いをかけて」
「殿!?」
「折れよ、瑞石」
「しかし……このままみすみす……!」
「我らが、敗けぞ」
そうきっぱりと直成が認めた時点で、その朋輩も軍師も、俯いて唇を噛みしめるほかなかった。
「だが、仲直りの印としてその書状、我らが破いても良いかね?」
「どうぞご存分に」
そう言って信守はひらりと直成の側へとその書を流した。
余人の目に触れるより先にそれを掴み取った虎将の眼は、胡乱気に目の前の不遜な若造を見返し、
「言うておいてなんだが……やけにあっさりと手放すのう?」
と尋ねた。
「さぁ、それ一枚で済むかどうか」
無論、それ一枚で済む。蓬が盗み出したのはその一片のみである。
だがせせら笑って平然と韜晦する信守に、一同はぞっとしない面持ちである。もはやどちらが罪人であるか、分からないようになってしまった。
「では、儂からも一つ良いか」
「なにか?」
「この一件にて我らは股肱の臣を喪った。そして兵糧米やそれを贖うた財も、我が先祖や領内の民より賜りしものである……たかが米泥棒だなどと、あまり世を舐めたがごとき物言いをしてくれるなよ?」
「そうか、それはご無念なことでございましょう。我ながら白々しいとは思うが、心底よりお悔やみ申し上げる」
肌がひりつく。直成の低い恫喝は、他が大音声で発した罵詈よりよほど効く。
そしてその追悼の言葉が真実か欺瞞か、信守自身でも判らぬことであった。
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「ではな、信守殿、信守卿」
直成はあえて言い直して言った。
「我が勢にはいまだわぬしを疑う声もある。これよりは別々に行動した方が、互いに安泰だろうて」
と一端この新たな朋輩に別れを告げ、そして例の談判から一夜も明けぬうちに宿を出立した。
宿を出てしばらくしての道中、おもむろに直成は瑞石を手招きした。
「のう、瑞石よ」
なにを疑うこともなく寄ってきた自身の参謀に、直成はあらためて糺した。
「やはり、儂に無断で信守が要請を退けたな?」
答えはなかった。ただ半歩後ろより息を呑む音だけがわずかに立った。
その音を頼りに、直成は拳を裏手に振った。瑞石の頬を殴りつけた。
落馬した様子はない。半ば覚悟をしていたがゆえ、耐えたのだろう。
「二度と、いたすな」
主人に無断で他家との関係を破綻させた挙句、それに対する確認にも平然と虚言をもって応えた。
他の家臣には横暴な打擲に見えたかもしれない。だが以上の背信を想えば拳固ひとつで済ませたのは、直成としては相当な温情であった。
「しかし、あの場では兵を割く余裕など諮るまでもなくございませんでした」
「だが信守はあの場を生き延びた。結果、誰に頼ることもなくのぅ」
「それは、あの者が手段を択ばなかったゆえであり」
「ならば其方は択んだと言えるのか?」
押し黙った瑞石に、直成は前髪の際を押さえて息を吐いた。
「……出来ぬことがあるのは良い。だが、それでも形だけでも誠意を尽くさずして言下に他者を踏みにじれば、この度がごとく無用の禍を買うこととなるのだ」
そしてこの怨嗟の焔は、未だ信守の中で燻っている。
あの男は瑞石の謀により父を奪われた。互いに父子の情が存在していたかはともかく、その意趣をおそらく、直成へと返すこととなるだろう。
そこまでは、あえて瑞石に言うべくもないことだが。
(――だが)
その怨嗟が己にも心火を着けた。
はじめより、己の内には確かに佐古王室再興の願いはあった。
されども帝の醜態と不信を見ても、瑞石に示唆されても、正直なところあまり気乗りはしなかった。
他者の凋落や乱に乗じ、情けによって施された禄や先祖の財を用いて発起することに、抵抗があった。
だがそれらすべてが破産となった。ゆえにこそ滾る。その荒波があればこそ、天下の海に向けて乗り出していける。
「礼を申すぞ、信守よ」
瑞石には決して聴き取れぬような小声でつぶやき、直成は馬腹を蹴って脚を速めさせた。
「願わくば、これより後も我が敵でいてくれい」
~~~
それより数年後、佐古直成は入念な下準備のうえ、元佐古家旧領であり、今は赤池頼束に宛がわれた西方諸島への侵攻計画を上奏。廷臣の多くに擁護されたことで許される。
軍を率いて進発した直成は、洋上での緒戦に勝利。その勢いで、鐘山の後詰が到着するより先んじて赤池を討ち果たすことに成功する。
しかしそのまま軍を返すことなく、当地の治安維持を名目として居留。
瑞石ら謀臣による粘り強くしたたかなる外交努力により、洛中に留め置かれていた妻子を返還され、そのまま府を開く。
ここに半独立海洋国家、
――そしてさらに後年、あらためて上社信守と佐古直成は敵として相対することとなる。
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