第六話:雨降り、風舞い込み、血が冷める
無事敵勢の追撃を振り切って……もとい桜尾勢に押し付けて包囲を脱した禁軍第五軍は、そのまま後方に控える同輩への合流を果たした。
「……生きておられたか」
「死んでいて欲しかったか?」
出迎えつつも渋面を隠さぬ荒子瑞石に、上社信守は揶揄の笑みを浮かべた。
「して、地田様のお姿が見えぬようだが」
「あぁ、奴は奴にしか出来ぬ務めを果たし、我らを救ってくれた。我らを裏切り、敵を砦に引き込んだ」
「……なにを、言っている? 救ったのか裏切られたのか、どちらか」
「両方だ」
「戯言を」
「少しは己の頭で物を考えたらどうだ? 貴様が俺と同様に見殺しにした兄弟子のほうがいくらかマシだったぞ?」
目線を合わせて眉間を指してみせる信守に、瑞石の顔色がさっと抜けていく。恐怖や動揺のためではなく、その分限を超えた怒りがために。
「も、申し上げます!」
と、そこに使い番が転がり込んできた。
「右翼側、地侍衆の旗色、悪し! 願わくば、後詰めを願いたし!」
よほど取り戻したものだろう。所属を名乗る手間さえ惜しみ、息せき切って早くに用件のみを伝える。ゆえにこそ、その主君の焦燥を直接的に伝えるかのごとき迫真味があった。
「……信守殿、いやおそらくお父上は亡くなられたゆえ、信守卿とお呼びすればよろしいか。戻ってきて早々に申し訳ないが、救援に赴いていただけぬか」
信守は物の怪じみた首を傾け方をしながら、低く嗤った。
そして、ひとしきり声を鳴らしたのち、
「お断り申し上げる」
と、言下に断った。
あまりに迷いのない拒絶ぶりに、瑞石は絶句したようであった。
口を震わせる書生に、首の角度を戻しながら信守は続けて答えた。
「すでに緊張の糸は切れた。これ以上戦うのは無理だろうよ。行かせたところで何の役にも立つまい。というか、何故俺がお前たちを救わねばならんのだ」
「何故、何故だと……!? 貴殿のせいではないのかこの状況は! 己の勝手で戦を弄び、都合が悪くなればお味方を見棄てて放り出すなど……ッ」
そう言いさした瑞石の口が止まった。半開きのその口腔に、石でも投じられたかのような表情を浮かべて俯いた。
ようやく気付いたようだ。というか、いちいち口にするまで、悟り得ぬことであったのか。
――すべて、
己の勝手で戦を弄ばんとしたのも、都合が悪くなれば味方を切り捨てたのも。
「どうした、瑞石」
それを承知で、さらに信守は顔を寄せた。
「言ってみろよ、荒子瑞石。その続きを、この俺の目の前で、恥ずかしげもなく」
「貴様……ッ」
とうとう聖人然とした様相をかなぐり捨て、瑞石は歯を剥いた。
一触即発の剣呑さを醸す両名に、慌てた佐古上社両家の家臣が進み出る。
あるいは諍いを止める
だが、両名の間に、半ば強引に一人の男が割り込んで来た。
「何をしておる、瑞石。生還した味方をまず労わず何とするか」
虎のごとき目にじろりと見据えられれば、さしもの賢者殿も言葉もなく、ただ頭を垂れて詫びたのみであった。
「いや、気が立っていように我が軍師がらしくもなき失礼をば……生きておったようで何よりじゃ、上社の御曹司」
「運よく」
「ほぅ? 運よく、のぅ」
往時の信守と直成の関わりようであれば、耳にしたことのない冷たい語感であった。おそらくは主従ともども、確たる証などなくとも薄々は信守の仕打ちを察するところがあるのだろう。
「では、これもまぁ『僥倖』と呼ぶに相応なのやもな」
と、信守の大袖のあたりに、禁軍第四軍の上長は書簡を押し当てた。
読め、という意図を汲んで字面に目を通す。慣れた手並にて記されたそれを読み終えた後、信守もまた、嘲笑を打ち消して怪訝な目つきをして東の方へと傾けた。
「……風祭?」
書面の花押は、戦前に別れたかの公弟のものであった。
そして、文字通り風雲急を告げるの喩を表すかのごとく、朝方となりて小雨が降り始めた。
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