第五話:化物たちは駆け下る

 炎上する笹ヶ岳の麓に来れば、弟の『不義理』とやらに激怒していた宗流でさえも、事態の尋常ならざるを悟るを得なかった。


「……これが、勝利の光景なものかよ……」

 炎天は収まる兆しを見せず。断末魔は鳴り止まぬ。頂上付近より滑落して来たと思しき焼死体が、異変を追跡して半ばまで上ったあたりで転がっていた。


「この煉獄は、何事ぞ」

 思わず首を反らして見上げる宗流の耳目が、異変を察知した。

 何かが、坂の上より降りてくる。

 岳そのものを崩さんばかりの足音。炬火が雪崩を打ち、鬨は怒涛。先頭に見えるは尋常ならざる形相の悪党足軽ども。それらが包囲軍を追い散らし、呑んで殺戮していく。


 それは人にあって人に非ず。

 数千の集団にして一体の巨躯の如し。

 さながら、多足の黒き影の化物けものではないか。


(あれに対すれば、触れれば、死ぬ)

 理屈ではなく、そう直感した。陣太刀を握りしめたまま手が不自然に強張った。

 知れず額に汗を垂らした宗流は、苦味走らせた顔で、

「……退避、退避ぃ!」

 と生来の蛮勇らしからぬ命を下した。


 鐘山の御曹司が敢えて命ずるまでもなく、麾下たちはその異常な威と妖気に圧され、呑まれ、両端に分かれてその逆落としを素通りさせた。


 しかし敵を看過する己はどうにも堪え難い。臍を噛む想いで長蛇の列を睨む宗流の眼前に、一騎の武者が立ち止まった。

 類壁にて己を撃った若武者。青き具足まといしこの者は、かぶとの下にて唇を歪め、


「隅で縮こまっておるゆえ、何処の野鼠かと思うたわ」

 と、憐れむが如く馬上より見下した。


「……あ?」

「ではな。急ぐゆえ許せ、木っ端ども」


 と、あぶみに足を呉れたその将は自らの手勢に再び紛れ込んでいった。


「…………」

 感情が追いつかぬ。言葉が出ぬ。

 野鼠だと。木っ端だと。


 勇将鐘山宗流にとりてこの二語は、これ以上ない屈辱を与える雑言であった。一旦は消沈した気を、猛々しく再燃させるに十分なものであった。


「……追え」

「は?」

 言語を取り戻したのち、ようやくにし下された命を、手近の近習が聞き返す。その頬を殴りつけて、目を血走らせて宗流は吼え立てた。


「追えィ! 奴らを一兵たりともこの府より生かして帰すなッ!!」


 〜〜〜


 本来であれば、混沌とした状況に身を投じさせることは、愚行に他ならぬ。

 それでも桃李府軍は、主力として全面かつ前面に押し出し、暴走する各隊を抑えなければならない。

 したがって他の例に漏れず、出張ってきていた。こと騒乱の元となった笹ヶ岳の近郊には、府公桜尾典種自身が、近習頭器所実氏などを引き連れて警戒に当たっていた。


「何たる無様な様相か」

 嘆く典種の頭上に、かの魔の峰が覗く。

 さながら火吹き山が熔岩を吹き零すがごとく、怪しい赤光を放っている。


 と、そこに正体不明の軍勢駆け下るを報せる使い番が来た。

 すわ敵かと逸る味方をまぁまぁと宥めつつ、その集団を出迎えたのは実氏である。


「これは信守殿、ご生還、お喜び申し上げる」

「死んだかと思ったか?」


 応対した馬上の大将の物言いは辛辣な問いかけであった。

 だがそれに実氏は、邪気なく微笑み返した。


「まさか……あぁいや、実のところは半々」

 言いにくいことをさらりと答えてのけて後、頬を掻きつつ、

「いずれにせよ、タダでは死なぬ方だとは、信じておりましたとも」

 と、続けた。


 信守はつまらなさげに喉を鳴らした。

「鐘山宗流が、遠からずここに来る」

 そっぽを向いたままに、信守は言った。

「あとは、好きにせよ」

 そう言うのみで、そのまま手勢を取りまとめてのち、後退していった。


「無礼な男だ」

 典種はその様子を眺めつつ、舌打ちした。

「戦場なればまだ馬上で言葉を交わすも辞儀も省くのもまだ良い。だが、難敵をこちらに押し付けるだけしておのれらのみ楽するか」

「信守殿もまた、笹ヶ岳にてそう思っておったのでしょうな」


 実氏がそうやんわりと諫めると、眉根を寄せたままに瞑目した。

「されどもこれは、御仁の好意というものかと」

「好意だと?」

「さよう。この混沌とした状況で、我らの戦うべき敵をきっぱりと定めてくださった」

「物は言いようではないか」

 桃李府公はそう言って鼻を鳴らした。


 主人の指摘もまたもっともなことであり、あるいはこれは極めて自分が好意的に穿っただけの見方であり、信守にそういう認識はないのかもしれない、と実氏も思わぬでもない。


「――されど、それを抜きにしても」

 てきぱきと迎撃のための準備を整えていく折に触れ、実氏は主君に言った。


「きちんと、鐘山宗流を……討てぬまでも追い払うだけの膳立てはしてくださったと思いますよ」

「あの猪めをか? そうそう退くとも思えぬがな」

「はてさて、それは試してみてのことでございましょうが」


 そして麓の口を固めた桃李府軍は、果たして追手が猛追してくるところに遭遇した。

 その時点ではすでに万端準備は整っていた。

 正面を受け持つのは、然るべき大将に委ねた鉄砲隊。

 左右の林間に伏せたるは短槍や弓など持たせた足軽たち。

 物々しい甲冑の音。頂の火炎に負けじと灯された明かりなどが格好の的であった。


 差配を任せられた実氏の号令一下、まず鉄砲が敵の出鼻を打ち砕く。

 しかる後に伏兵が左右よりどっと突き立て、あるいは射かける。

 まるで信守以外の将の存在などとんと忘れていたかのごとく虚を突かれた鐘山勢は、そのまま散らされた。こうなれば、畏怖すべき上官からの厳命も叱咤も無為のものとなる。兵もその指揮官たる小領主も、各々が命を優先させる。


「信じられん」

 と、それを見届けた典種はその白皙に興奮の血色を上らせた。

「あれほど勇戦していた鐘山勢が、しかも宗流とその組下でさえ、かくも脆く崩れるのか」

 実氏、それに応えて曰く、

「いい加減、鐘山方もうんざりしている頃合いなのでしょう」


 この戦に……否、禁軍第五軍に拘わることに。

 追えば必ず罠がある。寄れば必ず禍を招く。触れれば……事態がより悪化していく。


 ここ数夜に流布されている上社にまつわる虚実を鑑みれば、敵がそうした迷信じみた、漠然とした恐怖や忌避感を抱くのも無理らしからぬことではあっただろう。

 そしてそれを悪用するのが、今の信守という男なのだろう。この戦で導き出した、己が何者かという体現なのだろう。


 が、一方で実氏は思うのだ。

 それのみでは、なかろうと。


 今、こうして桃李府軍は禁軍第四軍に先んじて、し、それを追ってきた猛将、鐘山宗流御曹司を撃退することで天下に面目を保つことができた。

 おそらくこれは、信守が逃亡先に桃李府本営の持ち場を選んだのは、偶然ではないのだろう。


(これは貴殿なりに許される限りの譲歩であり、好意……先の夜討ちへの返礼。勝手ながら、そう捉えて良いのだな? 信守殿)


『好きにせよ』

 そう言ったきり、どこかふてくされたように顔を背けた信守の態度を思い返し、実氏はわずかに苦笑を漏らしたのであった。

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