第三話:誘蛾灯(前)

「いったい何が起こっているのだ!?」

 その晩、一部の焼けた佐古の陣所にて、禁軍第ニ軍残党を率いる東動稙仲たねなかは拳を佐古直成の眼前に振り下ろした。


「貴殿の陣は失火とも賊に襲撃されたとも聞くがあさか我らの分の兵糧まで焼失したのではなかろうな!?」

「はは、いや……それについてはまた追加で名都より取り寄せておるゆえ、心配は無用に願いたし」


 自身の失態でもあることゆえ、常の豪快さも控えめに。

 自らの非を認め、苦笑とともに素直に下げた直成の頭に、稙仲はずいと顔を寄せた。


「兵糧だけならまだ良い。だがもし万が一、この騒動にまぎれて『あれ』が流出し、内裏に漏れ聞こえるようなことがあれば、なんとされる……!? よもやこの件は虚偽で、我らを取り込んで離さぬための策ではあるまいな……ッ」


 この少壮にして焦燥の武者は、先の赤池の寝返りの際に死んだ東動繁稙の弟である。が、その器量が兄に比べて劣ること、この会談にて明らかであった。

 声を荒げたいのか抑えたいのか。事を荒立てたいのか収めたいのか。

 さしたる落着を己の内に見出せぬままに、ただ焦慮を手頃な相手にぶつけているだけに他ならない。

 そもそも、確かに物資の提供を約したとして、未だそれは佐古の持ち物に他ならない。それを巣穴で口を開けて待つ雛がごとくに囀るのは、見苦しい限りであろう。


「ほう、策とな……その策とやらのために、我ら佐古家は得難き一門衆を自ら手放したというのか」


 そしてその怒り自体も薄っぺらなもので、直成が頬杖を突いて低い声で正論を突きつければ、

「い、いや……言葉が過ぎ申した」

 とたちまちに撤回してしまう。その狼狽ように、直成はほろ苦く笑った。


「今なお焼け落ちた物のうち、可能な限り救出する作業を続けており申す。その結果が出るまでは今しばらくお待ちあれ」


 と諭して、直成は第二軍の代将を帰した。

「今後敵するにせよ与するにせよ、もう少し気骨があって欲しいもんだがのぅ。宗円公ほどとはいかずまでも」

 と首を振って零した嘆きは、独語にあらず。入れ替わり入幕した軍師に向けたものである。


 おそらくは訴えが終わるまで待っていたのだろう。瑞石はあえて聞き返さずに自然な流れで頭を下げた。


「申し訳ございませぬ。私が不甲斐ないばかりに、殿にはご迷惑をおかけしました」

「良い良い。お主が出来んとあれば家中いずれの者に能うものかい……が」


 やや目を眇めるがごとくに眉ごと歪めた第四軍大将は、下問した。


「お主、何か儂に隠し事でもしておらんか?」

「ございませぬ」


 出し抜けの問いに、即答であった。だが熟慮慎重の者たる瑞石らしからぬその返しの速さが、直成をなおのこと不審がらせた。


 とは言え問うた直成にも確たる理由などなく、直感ゆえに突いて出たものであったためそれ以上の追及は留めた。


「すまんな。お主が先に突拍子もない事を申したゆえ、何か抱え込んだのかと思うての」

「上社信守殿の件ですか」

「そう、そのことよ」


 床几より立った直成が歩き始めるのに、瑞石も追従する。


「にわかには信じがたいのぅ、あの生真面目なボンボンが」

「されど、賊側に我らの行動は筒抜けでした。内通者がお身内にいるとも思えず、残る可能性は砦方の櫓より我らを俯瞰し、かつ合図を飛ばすことのできる第五軍しか考えられませぬ。そして鹿信卿や地田卿がこのような策を用いるわけもなく、ご両名はすでに死亡ないし指揮も取れぬほどの重篤。代わり新たに入った信守殿が牛耳を執って私欲私怨がために暴走している、と考えるのが妥当でしょう」

「とは言ってものぅ、奪った兵糧を運び入れた様子などないではないか?」


 なるほど敗北の理由にはなるが、動機が直成には見当たらない。

 あるいは賊ごときに出し抜かれた瑞石がその言い訳に信守を用いた、と意地の悪い見方も出来るのだが、自らの軍師はそこまで劣悪な性根であろうはずもない。

 が、このことを談ずる時、瑞石は奥歯に何かを引っかけたかのような物言いをする。直成が先の問いをしたのもその辺りに起因するものだった。


 が、微妙な変異は、第二軍やおのが謀主のみに始まったことではない。

 持ち寄りの備蓄がそろそろ底を突き始めたか、官の陣営それ自体の空気が、剣呑な味を帯びて張り詰めている。

 それならばとっとと帰国すれば良いものだろうが、論功賞に預かることなく名も上げられず、空しく引き返すことを良しとしないのだろう。また、そうして留まっている歴々に先んじて逃げ出すことを、なけなしの体面が良しとしないという者もあろう。

 が、下手に逃げ出すよりもはるかに危険な状態であった。

 些細な火種がきっかけで、軍全体が誘爆しかねない。ともすれば、総兵すべて悪党や暴徒化するおそれとて……


「――火種?」


 瞬間、嫌な予感がした。

 直成は瑞石ほどの智者ではないが、空恐ろしいほどに、瑞石の説への疑問と今の自身の呟きが合致してしまった。


 この男が西方を顧みたのは、ほぼ本能的な動作であった。

 しかしながら、偶然にして、彼が見上げた方角と瞬間は一致していた。


 ――佐古直成は、そしてそれ以外の者たちもまた、炎上する砦を目撃した。


 盛る焔が舐める天は紅に色づき、さながら夕暮れか、あるいは煉獄か。

 だがそれを見上げる者の心胆はいずれも凍てつくような心地であったことだろう。


「……敵襲だ」

 この世の終末のごとき光景を前に、誰ぞが呟いた。

 それは佐古家の郎党であったか。他家の者であったか。あるいは鐘山方の細作か。亥改の残党か。

 だが初めに何者が唱えたかなど、すぐに些末な問題となった。


「敵襲っ、敵襲ーッ」

「笹ヶ岳が陥落したのだ!」

「さにあらず! あれは自落ぞ!」

「どちらでも良い! 敗兵を追って敵がここまで迫るのではないか!?」

「おぉそうともよ! 敵の逆落としの前に、迎え撃てぇ!」


 同じようなことを口走る者が現れ、瞬く間に伝播し、その過程で歪曲され、誇張される。

 そして思考より先に、行動に出る者が現れた。


 どっと湧く喚声。北側で動いて突出する、味方の集団が直成からも、小粒のごとくではあったが垣間見えた。


「静まれい! ……誰ぞ、動いたのは!?」

「あの方角、東動卿の陣です!」

「あんの粗忽者どもが……! 稙仲当人はまだ戻ってはおらんにしても、留守居の者さえまともに選べんのか!」


 あるいは、第二軍のみに限った話ではなく、官軍自体が最早人無しとでもいうのか。

 この一朝夕で、かくも凋落したか。


 それに釣られて、他の勢も動き始める。

 禁軍も、地侍も府公らの残兵も。今まで動くことを渋っていた者らが、進軍を始めた。

 皆一様に前へと向かう。何かに押されるかのように、支配されたかのように。気が触れたかのごとき騒々しさで。

 しかしその目的は、てんでばらばらであろう。

 ある者は佐古との蜜月を否定するため、忠義面を見せたいがため。またある者はこれ以上の緊張とこれ以上の消耗に耐えきれず短期決戦、早期決着を求めんと。あるいは物資を敵方より欲して略奪者となりて。

 そしてその勢いに流され、押し切られ巻き込まれて開戦に踏み切る者大多数。

 ともすればどさくさに個人規模で、あるいは小隊でまとまって、離脱者がいたのかもしれぬが、この熱狂においては些細な問題だ。


「ど、如何します? 我らも動かぬわけには」

 などと狼狽たことを吐かす兵を虎の眼力でもって黙らせる。

 だが、それがこの官軍の総大将代理の一角の精一杯であった。


 ――もはや、統御あたわぬ。


 誰もが何者かの使嗾により突き動かされ、仕向けられ、気が触れたかのように後生大事にしていた我が身を死地へと投じ続ける。


 今にして、詮方なきこととは言え、佐古直成は己の見立ての甘さを後悔した。瑞石は、軽はずみに誰ぞを疑うような男ではない。たとえ主人にさえ打ち明けられぬものであったとして、名指しで糾弾する以上は彼なりの根拠と理由があったのだろう。


 つまりこれは、この狂乱の夜宴は、偶然の積み重ねにより生じてしまった悲劇ではなく、賊の襲撃は無意味な同士打ちなどでもなく、


「……すべて、この一瞬がためか。上社信守」


 長年追っていた仇でもような口調で呟き、直成は炎天を仰ぎ続けた。

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