第ニ話:火種

 かつてこの砦を守っていた己が、それをがむしゃらに攻め立てた男の先導にて、同じ砦を攻めんとする。

 その奇縁の妙味を噛み締めつつ、鐘山宗善は包囲軍より密かに選りすぐった精兵を率い、丘陵を上がる。

 己は情緒の人ではない。理性の人間だ。そのことを自覚しながらに。


 砦方では何名かの兵の影が控えめの篝火によって浮き彫りになり、揺らめいては消える。

 その動きよりも、じわじわと耳に響く異音の方が気になった。


「笑っている……?」

 訝しんだ宗善の独語を拾い上げ、綱房が顧みた。


「大方、宴でも催しているのでしょう。ここを脱ける折、そのような雑話を足軽どもがしておりました。まったく、将に乱れあれば兵の規律も弛むというもの。あのような不出来な後継を持ったことこそ、朝廷にも上社家にも不幸なことよ」


 加勢を得て本来の調子を取り戻したのか。

 さも己が筋を通しているかのような、勇ましい物言いをした。が、それが頼もしさと等しいかは別ではあるが。


 今更になってだが、この男に今後の命運を託すことが些かに不安になってきた。


(せめて、父上にはご報告申し上げるべきであったか)


 宗善とてそう思わないではないが、そうすれば当然脇備えにいる宗流の知るところとなる。自分に秘匿し、自身の頭越しに機密を父に打診したという事実ごとに。

 となれば、その後の顛末など目に見えていて、しかもそれは鐘山の今後の実となり得ない暗い予想である。


 そして、将たる者、人君たる者、一度下した決断は容易に覆ることがあってはならない。たとえそれが、己でさえ正誤定かならぬものであったとしても、一片たりとも口にしてはならない。

 それは、その後の棟梁としての発言の軽重が問われる失態である。

 叛逆を決行した父も、おそらくそうであったのだろうと思う。

 そしてその回顧が、なおのこと宗善を不安に駆らせた。


 この決断は、成や否や。

 いや、この夜襲それ自体はどちらでも良いのだ。

 本人に自覚があるかはともかく、この禁軍の青侍はすでに不退転の状態である。適当に約定を履行する姿勢を示して見せて、陥落できればそれで良し。反撃を受け容易ならざる時は、適当に引き上げれば良い。

 然る後に地田綱房の投降を敵味方に公表し、士気に差がついたところで彼に和議を斡旋させる。

 その際の口上も、父や己が用意することになろう。今のごとき迂闊な発言を許さなければ、それで穏当に話はまとまるはずだ。

 半ば己を説き伏せるような強さでもって、宗善はそう信じた。


「おおっ、ご覧あれ! 我が忠勇なる士、見事忍従を乗り越え難事をこなし、見事門を開けましたぞ」

 折よく、はしゃぐ綱房の声とともに、門は音もなく内より開け放たれたことが、励みとなり、宗善の懸念を希釈させた。


 一度、三戸野の梅干しのごとき面を見つめた。

 互いに頷き合いながら、鐘山の次子は甲の緒を締め直して采を振り下ろした。

 深夜に兵たちのどよもす怒声が轟く。槍を揃えて霹靂と化し、笹穂の銀光が闇を切り裂く。

 あれほどに苦労し、往生した畝堀ももはや無用の悪路とのみ化し難なく突破。そのまま一気に裏門へと殺到した。


「それえええ! 悪漢信守を打ち滅ぼせええぇ!」

 先に自身が無茶攻めをしていた時と同様、鬼気迫る表情で声だけは遠く大きく轟かせながら、あたかも自らが兵を率いるがごとくに綱房が先陣を切る。


 ――だが、その勢いは武者溜むしゃだまりに相当する屯集場に至った時に止まった。

 急にではなく、ゆるやかに。前列が停止したのを受けて、宗善ら後続の部隊も速度を緩め、喚声もどよめきに推移していく。


 どうしたものかと宗善が自ら先頭に躍り出る。迎え撃つ兵士は、そこにはいなかった。宴の隙など突かれて狼狽し、四散する雑兵さえも姿がない。


 ただ、宗善が目にしたのは、雷霆に打たれたがごとくに固まった綱房の姿。

 そして見開かれた視線の先、異様な台座とその上に据え置かれた鞠のごときもの。

 胴体より切り離された、男の首。真偽など問うまでもなく血臭ですぐわかった。また、鼻を利かせたその折に、また別の異臭も嗅ぎ取っていた。


文助ぶんすけ

 震える唇を突き出すようにして、猫背になった綱房がこの首級をそう呼んだ。おそらくその名こそがこの中年の下人の、そして内応者の名であろう。


(迂闊に信じてしまった)

 今、宗善の中で怒涛の後悔が、具体的な輪郭を持って押し寄せていた。


 この男の内通や申し状の真偽ではない。

 良くも悪くもこの若武者は表裏の無い、純朴な為人ではあるのだろう。


 疑うべきは、

(この粗忽者が、敵に気取られずに易々と砦を脱出しおおせていたなどと)

 というその一点に尽きる。


「おい、引き返せッ」

「駄目です! 搦め手の戸口がいつの間にか崩れていて……っ」

 将兵らの押し問答を背に受けて、額とうなじの辺りに嫌な汗を感じる。


 ――いや、そもそもは。

 かなり恣意的な表現を含んでいたとして、佐古への略奪から始まるこの離反者に対する辛辣な当てつけは。

 この男を本人に気取られぬままに火種に仕立て上げ、こちらに投ぜんとする謀であったとしたならば。

 すべて――すべては、この一瞬がために。


 漂うのは血臭のみにあらず。

 油の臭い。弾薬の匂い。

 地を浸すのは、内通者の流血にあらず。

 そこには、酒や臭水が混じっている。


 鐘山宗善は、理性の男を自認している。

「……け」

 だがこの時ばかりは、羞恥も外聞もかなぐり捨て、感情と本能のままに怒鳴った。


「退けぇっ! 崩れた門になど構うな! 壁を上り柵を抜け櫓越え、兎角出口を探して散れッ」


 命ずるは易し、行うは難し。時すでに、遅し。

 渋滞を起こす攻め手の密集地へと向けて、燈火を孕んだ矢が砦の外より降り注ぐ。

 ――火は瞬く間に砦に燃え広がり、紅蓮の海に沈んだ。

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