最終章:業火

第一話:忠節の離反者

 夜半、鐘山宗善の陣営に来訪者がやってきた。

 というよりも、監視していた砦方よりの脱走者と呼ぶのが良いか。とかく雑兵に引き立てられてきたその若い武将らはそれぞれの言い分を申し立ててきた。

 その信憑性の薄さ、論理の滅裂さ。その行間に窺わせられる手前勝手な秘事。

 本来であれば一顧だに値しない。兄宗流であれば、問答無用に叩っ斬っていただろう。宗善にしても、


「あまり歓待する理由はないが」

 と言った。だがそれでも、

「会おう」

 となったのは、この戦を終わらせたいという一念ゆえである。


 縛られたままに面会を果たした禁軍第六軍大将、地田綱房は、げっそりと痩せ衰えて、それがゆえに幽鬼のごとく金窪眼は不気味な光を湛えている。

 解放されると同時に乾く唇から早口で捲し立てられるのは、同輩に対する罵詈雑言、自己弁護と自己陶酔の混合物であった。

 語る内容は噴飯物の讒言。守将上社信守なる若武者が発狂して賊と語らい味方を襲いその兵糧を奪った? 何を馬鹿な。

 それを運び入れる手段は、秘密の抜け穴でもあるのかと問うても、知らぬ存ぜぬ。ただ身共はその不義に憤り、糾弾せんとするも、信守これを嗤い、逆に自分たちを奸計に嵌めて不当に貶めて、それがゆえに砦内で孤立した。

 官軍に戻ることも能わず、やむを得ずここに参じたのだと。


 なんとも荒唐無稽な話ではある。だがそれがゆえに、そこに順門を欺こうという意思は見えない。

 たしかに自身らを正当化し美化する向きは感じられる。だがもしこれ自体が虚報であれば、もっとましな嘘と使者を用立てるであろう。


 真偽はともかくとして、上社と地田、二つの派閥が砦内で対立していることは明白であった。そこにつけ込むに如かず。問題は、そのつけ込み方であろう。


「……して、どうせよと。まさか敵である我らに貴殿の私怨を晴らしてくれとでも?」

 あえて吹っ掛けるような物言いで、宗善は尋ねた。


「私怨ではござらぬ。義憤にございます」

 弁の熱っぽさはそのままで、綱房なる若者は言った。

 今噛みしめずとも良いことではあるが、いちいち小うるさい男であった。己が持ち込んで来た話の要点は、細々した言語の齟齬ではあるまいに。


「もはや信守の無秩序さはこの戦に混沌と殺戮を生むばかりで、我ら双方にとっての害となりましょう。このうえは互いに正道へと立ち返り、奴めを成敗してそれをもって、修好の証といたしましょうぞ」


 ふむ、と宗善はもったいぶったような相槌を打った。


 ……実のところ。

 当初こそ謁見を渋っていた宗善ではあったが、

(これは思いのほか、僥倖ではないのか)

 と思い直すに至っていた。


 禁軍第七軍のみならず第六軍の大将までも、しかも一見忠義だけは厚いこの男が鐘山に降った、ということにもならば、官軍の動揺増幅は申すに及ばず。その動揺に付け入り鐘山優位の和議を持ち掛ければよい。


「ではその修好とやらにあたり、貴殿はいかな働きをするおつもりか」

 宗善は持ち前の鉄面皮を以て打算を隠して問うた。

「貴殿らと主上への仲立ちは無論のこと……それとこの綱房に密計がございます」

 と、粘着質な光を双眸に宿し、宗善の足下に投降者はにじり寄った。


「砦を脱した我ら郎党は、これで総てではございませぬ。未だ気脈を通じた者どもを内部に潜ませておりますれば、合図と同時に門を開かせます。宗善殿におかれましてはその隙に乗じ砦内に突入し、悪鬼信守を討ち取っていただきたく」


 まぁそんなところであろう、と宗善は思った。

 単身に等しい兵数で脱した指揮官の取れうる手段など。そして、現状を打破する方策など。


「相分かった。今宵の内に答えは出す故、しばし待たれるがよろしかろう」

 と言って、宗善は綱房を下がらせた。


 しかしながら、その胸中では答えはすでに出していた。

「賭けてみるか」

 と、率直に三戸野翁へと打ち明けた。


「あいやお待ちを……どうにも、剣呑ではござらぬかな?」

 と、こちらもその顔色から考えを先読みしていたのだろう。即時に危惧を示して見せる。

「由有殿の危惧されたような、内外で示し合わせたうえの攻勢はないと分かっただけでも大収穫ではございませぬか。ここは様子見なされるがよろしかろう」


 いつもは素直に忠言を容れている宗善は、この時ばかりは首を振った。

 地田綱房が恃むに足らぬ粗忽者であることは重々に承知している。なればこそ、この脱走も内通者とやらも、すぐに露見しよう。

 そうなれば、このわずかな穴も塞がれてしまう。


「真偽成否いずれにしても、この戦はどこかで落着させねばならぬ。でなければいよいよ兄はどんな無茶を言い出すかしれたものではない……我が身と引き換えにしてでも、これは乗らねばならぬ策だ」


 そう情と理の両面より訴えられれば三戸野光角、強いてそれを跳ねつけるような論拠は持ち合わせてはいなかった。だがそれでもなお食い下がって、

「なれば、せめてその兄君と打ち合わせをなされては」

 と打診した。


「……兄に綱房を引き合わせ話などさせれば、あの者は間を置かず兄上に手打ちにされような」

 その予想は、笑い話として否定するよりも、現実味を帯びた可能性として受け入れるほうが容易であった。


 かくして、ふたたび綱房を招いた宗善を提案の承諾を伝え、この降将にかつて自分の守っていた砦まで、兵を伴って案内をさせたのであった。

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