第四話:誘蛾灯(後)
敵味方を隔てているはずの笹ヶ岳砦。
それから火の手が上がるのが、宗円の本陣からも見ていた。
首脳部の内、いの一番に反応を示したのはたまたまに詰めかけていた鐘山宗流であった。
「彼奴め……っ」
歯噛みした彼がすぐさま思い浮かべたことは、弟が自分を差し置いて、抜け駆けに砦を落としたという邪推であった。そしてたちまちの内に、それはこの男の中で確信に変わったようであった。
「親父殿、此は明らかなる軍律違反ぞ! ただちに現地に赴き、愚弟を糾弾いたす!! 事と次第によっては斬り捨てるが、よろしいな!?」
「埒もないことを申すな。敵の火攻めの可能性が高い。いくらなんでも火の回りが速すぎる」
「相変わらず彼奴にはお優しいことよ」
宗流は舌打ちして答えた。
「あの手この手と悪辣にあの砦を守っていた守将が、この段階となって自ら要害を手放すものか。宗善めはおのれが常日頃口やかましくほざいている軍紀だの秩序だのをかなぐり捨て、浅ましく功名を求めたに決まっている!」
「それが己が弟に向ける言葉か……」
「父上はやたら俺のみを責めるが、よもやその弟を、嫡男にすげ替えるおつもりではなかろうな!?」
「若殿!」
幡豆由有が宗流の腕を引いて諌める。この愚息なりに堪忍に堪忍を重ねて、ついに切れた末の、激情の暴発であったのだろう。そして、それが失言であることは、宗流自身も気が付いたようである。
苦々しくそっぽを向き、
「……いずれにせよ、この陥落に敵は狼狽えておりましょう。今が攻め時には違いない」
と言い捨て、断りもなく陣を払って出て行った。
こうなれば、是非にも留められまい。重たげな吐息とともに、赤池頼束へと顔を向けた。
「頼束卿、お手間をかけて相すまぬことだが、援護をお頼みしたい」
「承知つかまつった」
新たな主家とは言え、親子喧嘩は犬をも食わぬという心境か。
極力感情を排した声で頼束は応じて席を立った。
居残った顔ぶれのうち、主だった者は幡豆由有のみとなった。頭の痛い思いで、老君は腰を沈めんとした。
――だが、次いで上がった火柱が、老人を一瞬間の休息さえ許さなかった。
「なんだ、あれは……?」
ふと見遣って愕然とした視線の先の方角は、東ではなく、西。順門府領国の奥地である。
「も、申し上げますっ!」
息せき切って早馬が陣中に転がり込んで来たのは、その後のことであった。
「大渡瀬、御槍周辺の港、泊などが海賊の残党やそれに煽られた暴徒により襲撃されておりますっ!」
「な、に……?」
「町衆より救援求むとの由!」
「馬鹿な……これより決戦に及ぶやも知れぬのに、兵を方々へ割いていられるか!?」
嵐のごとき宗流が去り、ようやく一旦の落ち着きを取り戻しかけていた陣中が、囂々とどよめき始める。
「おぉっ……」
宗円は頭を抱えた。津々浦々とともに焼け落ちていく。守るべき民草が、国が、描いていた構想が。
これは偶然か。否、明らかに嵌り過ぎている。この絵図を引いた何者かが、いる。悪鬼じみた発想の持ち主が。
能うのは、自落させたであろう笹ヶ岳砦の今の主に相違ない。
知っているのだ、その男は。
この戦の、本質を。
順門府の最終的な勝利は目先の官軍を撃破することでも、まして宗流の豪弁するごとく都を直撃して天下を転覆することでもない。国として、この府を成立させることである。
独立を勝ち取ったうえでの最重要課題は、国内において孤立した順門府国の政を、いかにして支えるかという点においてである。頼みとすべきは藤丘さえも羨む練絹、銀山といった豊かな富。それを海外との交易により回して、中央に依らぬ体制を創り上げる。
この敵は、その構想に感づいている向きがある。
本城や拠点を狙わず、港湾を襲わせたのはそれがためだろう。こちらに後背に兵を回す余裕がないことを承知の上で。
民心、銭回り、そして主従の和。
いずれをも破壊する。
所詮は孤立した一府である。勝とうと負けようと機構を破綻させれば、遠からず滅ぶ。
なんとまぁ、有効で合理的な判断か。
――だが。
――だが、これは。
ともすれば自身の骨さえ砕きかねないほどの、行き過ぎた力が、宗円の手の内に入る。
「……この」
「殿……?」
「この画を描いたのは誰だぁっ!? 遊びを覚えたての童でもあるまいっ! やって良いことと悪いことの区別もつかんのかぁっ!?」
およそ真っ当な
官軍の誰の利にもならぬ。順門の誰も救われぬ。ただ嗤うのは、これを考案した魔一匹のみではないか。
民のために立つだと?
国を富ますがために兵を挙げただと?
だが実際はどうだ? 民は苦役に喘ぎ、国土は焼ける。これのどこに標榜した理想があるのか?
そんな嘲りの声が聞こえてくるようだ。あるいはそれは内なる自嘲であったのか。
何が起こったのか、未だ理解の追いつかぬ幡豆由有以下、みな突如として声を荒くしていきり立った主君を、気が触れた者を視るかのような繊細な眼差しで仰いだ。
だが、宗円にしてみれば己のみが正気であった。己のみが現を見据えていたはずだった。
順門独立は画餅ではなかったはずだ。赤池の離反と焙烙の雨と戦線の膠着。それさえ整わばこちらにさしたる被害はなく、和議を締結できるはずであった。
だが、帝が天下の何もかもをかなぐり捨てて単身逃げ帰るという、正気ならざる凶行に及んだ時、すべてが狂った。
ある意味においては、自分はあの暗君にすでにして敗北したのだ。
(もはや、どうにもならぬ。なるようにしかならぬ)
この戦の帰趨も、天下も。
もはや鐘山宗円の手の届かぬところにいってしまった。
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