第八話:落着

 風すさぶ笹ヶ岳より西。御槍の足下にある方略寺ほうりゃくじに、敵味方の主将らが一同に呼び集められた。

 大刀は玄関先で小僧に預けてなお、皆いずれも殺気だっており、対峙する鐘山家嫡子宗流など、今に脇差を抜いて全員に斬りかからんばかりの形相をしている。

 そのうちの最年少が、禁軍第五軍大将代理、上社信守であった。


「方略とは、また胡散臭い寺の名よ。なぁ、知っているか我聞?」

 少なからぬ怨嗟の視線に晒されつつも、信守は側の腹心に語らった。

「実は御仏なる人物は、この世には元より居なかったのだという戯言がある。伝承も教義も、ここと似て非なる外つ世より持ち込まれたとな」

「また悍ましきことを」

「だがそれが幻想まやかしであったとして、それを司る有形物は実在し、文化や教養として現世に根付いている。はてさて、真偽とはまこと定かならぬものよ」

「殿!」


 溜まりかねたかのように、我聞はその袖を引いて耳打ちした。


「我らの身命、風祭様に救われたは紛れもなき事実。しかしてなお、我らが敵味方に憎念を向けられていることもまた確かなのです。このうえは然るべきお振る舞いをなされて、御仁のご寛恕に縋るよりほかございませぬ」

「その御仁とやらは、ご寛恕とやらにより我らを救ったわけではなかろうがな」

「殿!」


 哀れになるほど卑屈な老臣に嗤いを傾けている頃合に、件の御仁は入室した。


「やぁやぁ、待たせてしまったかな」

 大らかな調子でそう言った偉丈夫は、艶やかな紅葉色で染め抜いた精好の直垂を見事に着こなす男ぶりで、扇をひらひらとさせながら着座する。

 曲がりなりにも武装した士が、互いに睨みを利かせる合間で公服で平然とやって来た風祭康徒にこそ、信守は厄介という所感を覚えた。


 康徒は左右を見回しつつ、

「しっかし金王山で集うた時とはずいぶんと顔ぶれが違う……いや寂しくなったものよのぅ」

 などと態とらしく嘆いてみせる。

「第五軍の席次に信守殿が座っておられると言うことは」

「はい、父は泉下へと旅立たれました」

「なんと、鹿信卿までもが。肺腑を抉られるがごとき痛ましさよ。いや、心底よりお悔やみ申し上げる」


 扇子をパタパタとやりつつ、見え透いた世辞を飛ばす。

 表情こそいかにも物哀しげであったが、そもそも戦局の飽和と限界を的確に見切ったうえで手紙と軍を寄越した男が、今この時まで忘年の友とやらの死を知らなかった、などということはまずあり得ない。

 その悲哀に歪ませた表情の裏側に、安堵と喜悦があり、それに対し知れず、信守の貌にもまた、左右非対称の笑みが浮かび上がってきた。


「いや、どうにも誰ぞに呪詛でも掛けられたようでして。己が業に苦しみながら逝きました」

「ほう、鹿信卿ほどの方を呪い殺すとは、なんとも罪深い者もおったものよ。その余波が御辺にも及ばぬよう、我が領国より霊験確かな祈祷師でも遣わそうか?」


 去り際に放った己の言葉がそれであるという自覚は、その挑発的な物言いの端々から感じ取れた。

 というよりも今にして思えば、逆に危急に陥った時、父を追い込まんがための言霊であった。


「いや、ご無用に存ずる。身を弁えぬ呪詛とはえてして悪用した本人に返って来るもの。いずれ呪者にも相応の報いがあり、無様な末路を迎えましょう。……その祈祷師とやら、然るべき時、ご自身のために用いられるとよろしいかと」

 康徒は笑った。扇の要がきしりと鳴った。

 それに次いで、佐古直成の咳きが起こった。


「雑話はそれぐらいにして、本題に入って頂けぬかな風祭殿」

「おう、それそのこと」


 秘めてなお滲んでいた殺意や怒りをたちまちに霧散させ、康徒は軽い調子で言った。


「いや、帝にあらせられてはひどくご心痛であらせられてな。御自らのご傷心を宮中にて癒しつつも日々西方の乱が続くを憂いておられる」


 おのれの遁走を恥じて自棄酒を呷って今また逃避している、という表現をきわめて好意的に述べたが、それが見え透いたものであることは居並ぶ諸将も、そして言った本人も承知のうえのことであった。


「そもそも此度の『転戦』は元を辿れば拙者が家中鎮定に手間取ったが故、責は我にあり、西征軍を撤兵すべしと陛下に奏上したところ、今後の一切をこの康徒に一任すると仰せつかった次第」

「して、その条件は? もはや逆賊と見做された以上、我らとて後には退けぬことはご承知のはず。風祭殿は、如何様にして事を治めるご所存か」


 宗円が問えば、公弟は困ったように眉を下げて曰く、


「さて、問題はそれでしてな。実のところ、逆賊との定めを撤回する旨、主上よりお言葉を頂くことは能わず。少なくとも鐘山親子の首を都に持ち帰るまでは、許さぬと」

「おう上等よ! では、諸共に亡ぶまで死合おうてか!」


 いきり立ったは言わずもがな鐘山宗流である。

 すかさず父より叱責が飛ぶ……よりも速く、康徒の扇の先がピシャリとその嫡子の喉笛を捉えていた。


(これが真剣であれば、あの猪の負けよ)

 というのは信守ほか全員の見立てであったことだろう。吠えたてた本人も。それ以降の言葉が続かなかったのが良い証左であろう。


「ご着座を」

 康徒の言葉は穏やかであろうとも、込められた気は宗流を一瞬で呑んでいた。

 歯軋りしながらも大人しく席に戻った宗流を見届けて後、康徒は続けた。


「先に講和と申し上げた。首を取るつもりならこのような手順を踏まず、すでにそうしてござる。鐘山家のみにばかり無理を押し付けるは、公正とは言い申さず。岡目八目を承知で思うれば、拙者を含めどなたにも、大小の非がござった」


 宗流の席に続けて並ぶ、宗善と思しき若侍の、たくましい眉が、その結論に合わせて動いた。


「よって、本来の国境まで引き戻し、二年の矢留としたい。如何か」


 その提案に、みなが面食らった体となった。


「この二年と申すは、互いに乱れた国を立て直し、かつ頭を冷やすに必要な期間であると存ずる。その後、あらためて和を講ずもよし、あるいはいずれかが非を詫び、ふたたび国を一つとするも良し」

「では頭を冷やしてなお、戦に及ぶとなれば」

 頬を引き攣らせた宗流があらためて問う。

「是非にも及ばず。ま、それはそれであらためてご一戦でもなされば良かろう。少なくともこの戦には最早意義も益もござらん。早急に事を鎮めることこそ肝要。これが某の提案できる精一杯にござる。他に手立てがあれば、寧ろ伺いたく」


 そう問われれば、一同返す言葉もない。

 宗円が頷いて、

「元より我らは風祭殿に進退をお預けした身。命と領地を保障いただけただけでも十分でござる」

 と全面的にその提案を受け入れたことで、皆承伏せねばならぬ空気となった。


「さればこれで落着と致す」

 扇を掲げて康徒は満悦の笑み。

「しかして、帰りの兵糧を何とするか」

 と直成がそれに水を差すが、重要な課題を口にし、謀士瑞石が進み出た。

「というと?」

「恥を承知で申しますと、我らが買っていた兵糧が野党めの襲撃に遭い、焼き払われてございます」

「ほう、そのような事になっていたか」


 さしもの康徒も、目を見開いて肩をすくめた。

 順門府の面々にしても、預かり知らぬ企てであっただろう。

 ただ一人、瑞石のみは周囲に下手人を伝えんがばかりに、信守を睨んでいた。もっともそれを、露骨に信守も無視していたが。


「……おい、まさかきさまらの兵糧を、我らに賄えと言うのではなかろうな? おのれらの暴虐と無能を棚上げして」

 胴間声で宗流が問えば、直成は冗談めいた調子で

「さりとてまこと恥ずべきことながら、兵が飢えればこの領内で略奪に奔ることとなろう」

 と答え、その怒りに油を注いだ。

「貴様ッ、言うに事欠いて!」

 宗流はふたたび、今度は脇差に手を掛けつつ席を蹴って立ち上がった。再び制するためか、康徒が口を開き掛けたその矢先、


「されば、その件も風祭殿にお任せしては如何か」

 と口挟む者あり。

 そこまでさしたる反応も見せず沈黙を続けていた、桜尾典種である。

 康徒の目から、喜色が波の如く引いた。


「羽黒より貴家の乱の経緯を聞いている。ほぼ完勝に近い状態で、本城を攻めあぐねたと。先ほど責は自身にもあると申されたが、同時にもっとも被害をこうむっておらぬのも風祭府である。ならば多少の労苦を分かち合っても宜しいのではないかな?」


 詭弁であった。が、金王山から始まり今この時に至るまで詭弁を盾にしてきたのは、他ならぬ康徒である。

 その男が今度は如何なる弁にてやり過ごさんとするか。見物と信守は心得たが、


「はっ」

 風祭康徒は、対して一笑を傾けた。


「良うござる良うござる。されば侵攻軍の撤退に必要な一切合財、我が府にて面倒を見ようではないか」

 一も二もなく康徒はそれを快諾して、ようやく兵事に終息が見えた。


 〜〜〜


「……どうにも藪蛇となりましたなぁ」

 寺を出、他家の者の耳目が無くなったあたりで、郎党の大森が開口一番に嘆いた。

「まさか愚か者どもの負債を支払うことになろうとは。桜尾公も余計なことを言われたものよ」

 康徒はそれを聞いてその配下の腕を扇子にてはたいた。

「阿呆。元より兵糧自体は連中に買い与えるつもりよ。そのために事前にあえて名都より米を買い占め、一帯の米価を高騰せしめたのではないか」

「は、はぁ……そうなのですか?」

「双方共に疲弊したあたりで敵味方に恩を売りつけ、誰が天下を資するに相応しいかを見せてやる。それこそが肝要だった」


 さりとて、桜尾典種が要らぬ差出口を言ってきたことは間違いない。

 あの一言がために、『桜尾公の口添えにより皆が面目を保った』という体となり、こちらの企図するところに味噌がついた形になったではないか。


「典種の考えらしからぬことぞ。おそらくこの和議の流れを見抜いておった助言者がおる。とすれば、それは誰か」

「は、考えられるとすれば近頃名を聞く器所実氏なる近習頭かと」

 軍目付の旭が答えた。

「あぁ、あの後ろにおった田舎武者がそれか。漁村の小倅だとかいう」

 康徒は鼻白んで吐き捨てた。


「ただ、その出自と主君の信任厚きゆえ、他の譜代に妬まれているとか。考え方によれば、桜尾家中の君臣の仲を裂くための良い切欠になるのでは?」

「捨て置け。一端にさむらいの真似事をしたとて、いずれはそれが遊びに過ぎぬと知るであろうよ……我の天下あそびばに足を踏み入れた時に、容赦なく叩き潰せば、それで良い」


 時すでに夕刻。暮色の陰を含む康徒の横顔は、子飼いでさえ生唾を呑むほどに凄絶であった。


「ともあれこの二年の内に、鐘山宗円は隠居するであろうよ」

 音を鳴らして扇を開くと、墨で描かれた鳳凰が翼を広げる。康徒自身のによるものである。

「左様、でしょうか?」

「する。見たかあの憔悴ぶりを。いよいよもって、武将としての生命が終わりを迎えんとしていることを、あの老人も悟っておる頃よ。望む限りの穏当な時機であるがゆえに、そうせねばならぬ。取るものも取りあえず、体裁だけは整えてな」


 その次代はあの浅薄なる宗流である。二年と待てず都への進撃を開始するであろう。そして、その矢面に立つのは桃李府である。

 いや、ともすれば次子の宗善と内訌となるやもしれぬ。そうとなれば勿怪の幸いというものだ。いずれかを抱き込み、操縦することも敵うだろう。


「そして我らは二年の内に、売りつけた恩を利用して桃李府内ならびに朝廷を蚕食する。万端準備を整えて堰を切って東部北部を制さん。さすれば風祭府は、天下に比肩する者なき王覇の国となるのだ」


 そしていずれは、その先は……朝廷を標的として先述した以上、あえて言うまでもないほど明らかである。

 だがそれを愚者の妄言と切り捨て、嗤う者など、家中……否天下のいずれにもありはしなかった。


 ~~~


 風祭康徒はその後も風祭府の実権を握り続け、主家や朝廷の許しもなく独自に勢力を拡大。東方一円を手中に収めることに成功する。

 また、この乱の三年後に嫡子拝丸おがみまるが誕生。

 この子こそが長じて後、上社信守をして

「あればかりは到底、真っ向からは相手に出来ぬ」

 と苦笑せしめた稀代の用兵巧者、風祭武徒たけとである。


 そしてこの親子の台頭こそ、桃李府桜尾氏の悪夢の日々が始まりであった。

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