第二話:大義なき宣戦

 都の南に、藤丘朝譜代の臣であり、禁軍第五軍の指揮官たる館がある。

 手勢五千を養う領地とはまた別に賜られたその屋敷は、その禄高と家格に比して狭く小さく構えられていて、過度に加飾されたものもない。いかにも武辺者といった家ではあるが、瀟洒と品が落ちた様子はない。


 その奥間にて、家主にして上社家現当主たる上社鹿信は、常以上の渋面で坐していた。

 雑用を打捨ててまでの帰宅の理由を信守と我聞よりまず伝え、鹿信の引き締められた口が、あぶられた貝のごとく開くのを待った。


「順門府……鐘山が、謀反だ」


 そして両人の薄々察していたことだったが、立場ある人間に実際に断言されればその重みは違ってくる。

 予期は、できたことだった。信守らのみならず、廷臣なれば誰しも。


 監督所差配役、伊奴いど広政ひろまさ、怪死す。

 朝廷より派せられた目付け役の訃報が、刃物で膾のように切り刻まれた骸とともに帝都にもたらされたのはつい一月ほど前のことだった。

 怒った帝は下手人の引き渡しと、府公宗円そうえん自身の出頭を求めた。


 だが、調査を進めようと一向に下手人は見つからない。逆に、順門府からは広政の行状に問題があった旨が証拠とともに突きつけられ、あたかも朝廷の人選を糾弾するかのような書簡を送ってきた。

 これは、偉大に過ぎた先帝を超えるべく背伸びをし、結果多くの失政が目立つようになった今生帝の矜持をいたく傷つけるものだった。

 かの貴人は激怒した。そして、人質として留め置いていた鐘山宗流を見せしめとして死罪にするように命じた。

 それが、今朝のことである。


 そして宗流は逐電した。

 あまりにも早い逃走には、おそらく事前に情報を提供し、その手引きをした内通者がいる。

 帝はその内偵を進めると同時に、即日に命じた。


 不義不忠の輩許すまじ。

 この上は親征のうえに、順門府を討伐せんと。


「事情は把握いたしました、父上」

 信守は表情に苦も楽もなくそれを受け入れた。そして眉を微動だにさせず「されど」と付け足した。


「事の端たる広政めの罪は、宗円公の申し状の通りだったのですか?」


 問われた父は、首筋を掻いた。

 ふ、と視線を逸らし、寸時の逡巡のあとで我が子の目を正視した。


「事実だ」

 と言って、大儀そうに息を吐く。


「あの男はまいないを好み、女色を好み、順門府に対し過度な金銭や接待を要求していた」

 と謂う。

「そして領民に対しても酷薄な扱いをし、気に入った女がいれば、乳の匂いが抜けきっておらずとも屋敷へかどわかしたという」


 語るだにおぞましい、という音調で鹿信は語り続ける。


「かつては主上の傅役であったんだが、まぁ些細ないさかいがもとで左遷という形で現職に飛ばされた。その鬱憤もあったんだろうが、それにしても厄介なことをしてくれたもんだ」


 伊奴広政に対してか、鐘山宗円に対してか、その子宗流に対してか。

 やや白いものが混じり始めた髪の生え際をがしがしとやりながら、やや口調を崩して嘆く。

 そんな父を乾いた瞳でじっと見返しながら、信守は尋ねた。


「されば、このご親征に大義はないのでは?」

 と。


 おそらくこの場に、そして朝議の席においても誰しも思っていたことだ。表立っては言えぬことでもあった。

 それを私的な場とはいえ、まっすぐに信守は口にした。そのうえで、眼差しはなお父を糾弾する。


「何故それを止めなかったのか」と。

 鹿信はその愚直さを、煙たげに睨み返した。


「言うべきは言った。止めるべきも止めた」


 鐘山宗円に叛意ありと決めてかかるのは早計と。

 重ねて本人に入朝を呼びかけ、来てから事の理非を明らかにすべきと。

 もしこれまでの無礼を詫びさせたいのであれば、本人の口から謝らせるのが筋でありましょうと。

 あくまで戦をされるというのならご出馬ご無用と。

 誰ぞしかるべき大将や府公に命じて討伐させるべきと。幾度となく譲歩し、妥協案を提示した。


「だが、他の代替わりした奴輩がな」

「非正義と知りつつ、賛同したと?」

「まぁ近頃は賊の討伐がせいぜいで、国を相手とした大戦など語り草でしかなかったからな。若い連中は功名が目当てなんだろうよ。今回の順門の謀反は、渡りに船というわけだ。主上にしても、冷遇していた臣の死に対して怒りが過剰だ。……まぁ、あの方もあの方で失政を挽回する口実としたいのだろうよ」


 このところ、というよりも先の布武ふぶ帝の跡を継いで以来、帝の治政は上手くいっていない。


 先帝の協調路線から一転。

 貨幣の統一。大陸の南北を結ぶ大運河の整備。海外使節団の派遣。制度の改定には段を踏んで行うべしというその遺言を無視して推進された急速な改革は、財政を圧迫し、各府公との軋轢を生みつつあった。


 先帝と共に武に生きてきた鹿信だろうと、その戦国の味を知らぬ我聞であろうと、若輩の信守でも、この度の本意は分かる。

 その不満の矛先を、無実の鐘山に向けようとしている。


 ふと脇を見ると、信守の乾いた目に、初めて色が生じた。形が歪んでいた。

 喜怒哀楽、いずれの感情に属するものか。わずかな変化ではあったが、我聞の背にはぞわりとしたものが奔り、鹿信も目を逸らした。


「経緯としては以上である。一度帝の口から出た玉言は覆り様がない。それに鐘山も今頃挙兵の備えとしていることだろう。多少の理非曲直あれど、それを呑んで早急に戦支度をせよ」

 公人としての硬い声色で、鹿信は命ずる。信守は返事をせず、無言で立ち上がった。

 襖の前に立った時に、ようやく口を開いた。


「すでに私と我聞で上社本領へ早馬を飛ばし、父上の名でもって各奉行へ、ひとまずは兵を集めるように指示をいたしました。こちらへ来る道中の糧秣や宿の手配も織り込み済みです。武具は都近隣の鍛冶屋に命じ、不足分を補充。軍兵がここに到着するまでに、万端準備は整うかと」

「……うむ」


 その差配には文句のつけようがなく、鹿信に二言目を告げる余地を与えない。

 信守はそのまま、屋敷の薄闇の中へと我が身を沈めた。


 襖の開閉を見届け、足音が遠のいて後、鹿信はどっと牛馬のごとき肺活量でもって吐息を漏らした。

 帝にさえ直言できる剛直さでもっても、我が子の不気味な冷静さには遠慮するところがあるらしい。


「あいつ、も少し愛想ようできんもんかね」


 後ろめたさがあるのは自分であると分かっているから、信守の正論正道に対して非を鳴らすことはできない。

 ゆえに苦言の矛先を、我聞も懸念するところに向けたようだった。

 

「されど、先の通り、その判断力、洞察力には目を瞠るものがございます。そしてこのたびの戦が、若君の初陣となります。朝廷の内外より数多の有力者、将帥が一同に会する戦です。彼らに触れてその将才が開花すると、我聞めは信じております」

「敵も、戦乱の世を知る熟練の老名将にして稀代の名君ぞ」

「それもまた、あの方にとって良き糧となりましょう」

「情操の方も、養ってもらえれば良いんだがな」


 また、そこに突っ込む。苦笑を交えて。


「いっそ戦が終わった後に嫁でも取らしてやるか?」

 鹿信は冗談めいた口調で提案する。快笑する。子に相伝されなかった、屋敷全体を揺るがすがごとき、悪童じみた笑声。信守ほどでないにせよ生真面目な我聞の表情も思わず綻ぶというものだ。

 だが、それも一案かと思ったようで、主君は笑みを引いて真剣に思案し始めた。


「それでこそ殿です。小難しいことはこの我聞が受け持つ故、ご子息にその笑いを分けておやりなされ」


 すると、そう言った途端に鹿信は一転して表情を曇らせた。


「……笑い?」


 それは、仕えて数十年来、今まで我聞が聴いたことのないような落ち込んだ調子の声だった。何か物の怪の顔でも見たかのような。


「ま、そのうちな」

 そう言葉を濁し、いまいち閉まり切らない雰囲気で、その場は解散と相成った。

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