第七話:不祥の大功

 夜が明け、戦果が形となって表れた。

 討伐軍側の戦死者三名、負傷者二十名。

 奇襲の先陣と陽動を務めた上社勢貴船家の備に至っては無傷での完勝で、敵の上将を討ち取っていた。


 先に積み上げた骸はいったい何だったのかと問いたくなるような、大勝である。

 そのことを認識した兵たちの間で、自然と歓喜と安堵の呼吸が漏れた。


 その合間に、信守は我聞隊を伴って現れた。

 そして、父と目が合った。

 戦勝に沸く中、詰め寄らんとする鹿信の表情は時間をかけて作られた巌のように険しい。

 その彼を、父子の背後より進み出た我聞と佐古直成がそっと抑えてなだめた。


「敵を討つばかりではなく、味方にも無用の被害を出してはいない。初陣でこれは、見事と言ってよいでしょう」

「そうだの。まぁたまには愚息愚息と謙遜するばかりではなく、素直に褒めてやってはどうかね」


 という両者のとりなしによって、さしもの鹿信も表情を改めた。

 独断専行かつおのれが無視されたことに憤りを覚えていた一方、その手腕には多少なりとも感じ入るところがあったのだろう。

 ふと口を開きかけたその瞬間であった。


「いったいこれはどういうことか!?」

 先の父と似たような表情で足早に寄ってきたのは、与力の面々である。

 主だった面々が雁首揃えて怒り心頭というのだから、無邪気に喜んでいた周囲の将兵も「すわこれはただ事ではないぞ」とばかりに静まり返って彼らを見守っていた。


「いかに上社卿のご子息と申せ、我らに断りもなく夜討ちに出たばかりか、我らに無用の犠牲を生むとは!」

「さよう、直成さまが援護に出てくれたおかげで大事にならずに済んだものを……」

「若いとは申せ、不分別にもほどがあろう!」


 囲まれ、面罵された信守に怒りはなかった。弁解もしなかった。

 なるほど人間曲解も極まればここまでものの考え方が違うものかと、珍獣の鳴き声のように思えてくる。

 そもそもその最中に右往左往していた連中が、いったい何の被害をこうむったというのか。

 犠牲となったのは、せいぜい睡眠時間ぐらいだろうに。


「それに夜襲とは忌むべき卑劣である! そもそも我らは敵に何倍する兵力を持つというのに、何故そのような手段に出ねばならぬのか!? 私はそのような非道がために旗を貸したわけではないぞ!」


 そこに地田が加わっていたのだから、その滑稽さ珍妙さには、なおさら拍車がかかった。

 唇が、ひとりでにうごめく。まるで雛が孵る寸前の卵殻のように。何かしらの感情の発露だとでもいうのか。怒りだとでもいうのか。馬鹿々々しい。すべてが、そうすべてが……


 父が彼らの前に進み出る。まるで信守を庇うかのように。

 一瞬波が立って信守の心に、ふと凪のような静謐が戻った。


「不肖の倅が、大変な失礼を働き申した」


 ――庇うかのように、である。実際に庇ってくれるわけではないことは、信守も承知していた。

 だがそれでも、一抹なりとも希望をもっていたことに軽く驚く己がいる。もっともその己は、暗澹たる奈落の底へと今転落していったが。


「今後はこのようなないように心がけていただきたいものですなっ」

「さぁて、寝直すとするかのぅ」

「そのためにも、罰として早う寝床を整えてくれんかねぇ」


 顕職に在る者が低頭する様に、多少なりとも溜飲を下げたらしい。

 思い思いの愚痴や皮肉をこぼし、自他称『お味方衆』は、自分が取ったわけでもない砦へと入っていった。


 その姿を実際に戦った者たちは冷視していた。

 だが信守は、それを父へと向けていた。


「――それで父上。私は良くやったのですか? それとも余計な面倒ばかりかける愚者ですか?」


 そう問いかけると、鹿信の前に瑞石が答えた。


「信守殿、察するにお父上は貴殿が遺恨を生むことを怖れて」

「お前は、周囲に不和を生み過ぎる」


 だがそれを他ならぬ鹿信本人が遮った。


「情勢を考えろ。いつこの中から第二第三の宗円が生まれるものか知れたものではない。朝廷の外に在る諸将の心を、より一層の注意とともに慰撫せねばならんのだ」


 なるほど父の道理は通っている。方針を取り違えているのは信守であろう。

 だが、信守の問いに父は何一つとして答えてはいなかった。


「協調をとれ、信守。それがお前のためでもある」

「協調?」


 協調とはなんだ?

 わざわざ敵の思惑に合わせて動いて無意味に骸を積むことか。

 程度の低い相手に合わせて実力を引き落とし、将兵を犬死させることか。

 心殻が、ふたたび揺らぐ。


 何より父は、その目元は、安堵していた。

 あぁあの時褒めずにいて良かったと。やはり難色を示した当初の己は正しかったのだと。

 愚息を叱咤することで、位を示し、父の面目を保てたと。


 父が去り、我聞が追い、佐古主従が一言二言の慰労のとともに解散した後も、信守はその場に立ち尽くしていた。

 旭が上る。

 信守の長躯から生じる黒い影が、じわじわと足下から地面へ向けて、舶来時計の時針のごとくに黒く伸びていった。

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