第十話:諫めの謀略

 如何な愚者とて言い分はある。

 対外的にそれが成立するかはともかくとして、理をもっての決断である。

 今回の帝の敵前逃亡がそれであった。


 そしてその発端となったのは、戦地より遠く離れた東の大国、同じく内訌の最中であった風祭府であった。


 こちらは地獄と化した西と違い、大いに順調に事を進めていた。

 まず謀反人、此永方は風祭康徒不在の間に府公の康永を奪し正当性を得るべく挙兵した。だがすでに風祭本城からその身柄は移されており、得たのは兵糧物資も戦陣に運ばれた空城ばかりであった。


 そこに、康徒が還ってきた。

 慌てて周辺地域から兵力や武具や米などを接収せんとしていた此永より早くこれを抑え、かつ圧力を加えてそれ以上の謀反人が出ぬように計らった。

 逆に、初端から計画が破綻した此永の側より脱走者が出た。

 もっともこれは、元より康徒側として此永陣営内部で蠢動していた面々が、あらかじめの取り決めどおりの行動をしてみせただけであった、そうとは知らぬ面々の士気は低迷した。


 ――あえて言うまでもないことではあるが。

 つまりは、此永の行動はすべて読まれていた。それどころか、しかるべき時機、状況に動くように仕組まれていたのだ。

 此永は己の野心、己の判断で挙に及んだものと考えていただろうが、それさえも、この若き甥に統御された故とは悟り得なかった。


 兄を餌に、叔父を道具に。

 風祭康徒は内部においては膿を自ら出て来させ、外においては鐘山宗円の魔手から逃れる口実を作ったのだった。


「いやぁ、変事と聞いてな。慌てて帝に願い出て戻ってきたのだ」

 風祭城を囲む軍勢の総大将として据わった風祭康徒は、からからと快笑して言った。

「だが何とか最悪の事態のみは避けられたようで何よりだ。皆、よく正しき判断をしてくれた」

「何の何の」

「すべてはご舎弟様の御指図あればこそ」

「まさに機に臨んで変に応ずるとは康徒様のためにある言葉、大将の鑑にござる」


 などと諸将は口々に囃したが、彼らとて無垢でも木偶でもない。

 気持ち悪いぐらいの手際の良さ、まるで示し合わせた演目がごとき戦運びを見れば嫌でも分かる。

 ――本当のところは、すべてこの男の掌上であろう、と。


 だがあえてそれについて言及する者は、ただひとりとしていなかった。

 もし不平や疑念をただ一言でも漏らさば、後日此永に仕立て上げられることは明らかであったゆえ。


 さて、その康徒。

 実のところ、不慮のことが一点のみある。

 内心では苦い顔をしつつも公弟は、自らの隣に座す男を見た。

 痩せてはいるが、狼のごとき他を寄せ付けぬ鋭さを隠さぬ壮年の男である。


「……羽黒殿も、わざわざのご助勢、忝く存ずる」

「主命ゆえ」


 愛想笑いもせず、この他国人は言った。

 羽黒圭道。国境の岩群いわむろを領する地侍の総領であり、家老職として桃李府に属す。

 見たままに寡黙で不愛想で傲岸なまでに融通の利かぬ男であった。

 別れ際に桜尾公が言い添えたとおり、変事生じた風祭府の援護に遣わされたらしいが、その実監視役であることは言うまでもない。

 あわよくば西進を狙っていた康徒としては面倒このうえない相手ではあったが、むげに追い返すことも出来まい。


 さてどうして除こうかという思案をしていた頃に、急報がもたらされた。

 一つには、朗報。

 城方に遣わした間者の告げるところによらば、風祭此永、すっかり消沈してしまい、降伏の意をほのめかしているという。


 いま一つは大凶報。

 赤池頼束、謀反。

 禁軍半壊というものである。


 康徒は参戦を見送った己の判断が正しかったことに満足した。

 おそらくはという推論も当たっていた。

 禁軍からの離反者。おそらく調略をしていたのは、都より宗流が脱したそのドサクサ。仕掛けたのは脱出を手引きした幡豆由有。

 否、頼束の水軍がそれに協力したればこそ、宗流らは追捕を免れたのだ。


 西部戦線も逐一見張らせていたからこそ、そして傍目八目の要領で推移を静観していたからこそ、康徒はそこまで冷静に分析できていたのだ。前線の混乱はいかばかりか。


「一大事ですな」

 その報を脇より首を伸ばして覗き見た圭道は、醒めたような声で言った。

「はや、こちらの大勢も決しましたことゆえ、疾く切り上げて西方の援護に向かわれては如何か」

 何を勝手な、と康徒は眉を寄せたが、見れば自国の将もまた賛意を表情で示している。康徒としても、順門の独り勝ちでは面白くない。


「――いや」

 だが流されることなく、康徒は返した。


「今から軍を急がせても到底間に合うまい。よしんばたどり着いたとして、帝はあの御気性よ。雪辱戦をお望みあそばして、風祭の軍をば投入するに違いあるまい。さすればそれこそ終わりの見えぬ泥沼に足を踏み入れることとなる」

「されば、このまま手を拱いていると!?」

「結論を急ぐな、何もせぬとは言っておらん。軍勢を差し向ける暇はなくとも、早馬なれば間に合おう」

「は?」


 佐将の旭午昌以下、皆その意を図りかねているようだった。

 察しの悪い者ども。内心でそう毒づきながら、康徒はおもむろに使い番の者を見遣った。


「叔父上は、降伏の意向であるというのだな」

「は……ははッ、ほどなくして、正式に使者も遣わされるものと」

「無視しろ」

「えっ?」

「如何なる交渉にも要求にも応じるな。一兵の逃亡も許さぬほど包囲を厳戒にせよ。逆寄せある場合のみ、徹底してそれを潰せ。もし絶望のあまり腹を切るなどすれば、その死を伏せよ」


 そう鋭く命じた康徒に、疑念の眼差しはいや増すばかりである。

 それらを流しつつ、今度は祐筆に命じる。


「都の星井へ使者を飛ばせ。『風祭府は勇戦すれども、あと一歩のところで敵の抵抗激しく攻落には至らず。この上は帝にご出馬あって、画龍に点睛を描いていただきたく、恥を忍んでお願い申し上げる』とかそんな辺りの文言でな。まぁあの男にも、我が意を汲む程度の智はあろう」


 ――これだけ聞こえよがしに言っても、反応が薄い。

 さすがに旭のみは薄らと察したようであったが、それにしても、いま少しは智慧の回る者はいないものかと苛立ちを覚える。


「何も兵を急がせ戦に身を投じることのみが奉公ではなかろう。が、帝に撤退するようお諌め申しても素直には聞き入れて下さるまい。しかしながら『転戦』という体であれば、もはや勝機などないと薄々感づいてはおられることゆえ、受け入れて下さるだろう。帝の采配で叔父上を、東の逆賊を討ち果たしたともなれば、一応の面目は保たれるしな」

「つまりは、主上の玉体のみはお守りできると」

「そういうことだ。まずは腰を落ち着けて後、あらためて交渉する余地はあろう」


 ようやく、諸将は得心のいったように感嘆を発した。


「まさに神算」

「我が方は一兵も損じることなく、遠く西の乱も収めようということですか。いやこれはこれで痛快事」


 圭道を除いて、皆先を争うようにして康徒を褒め称える。

 すでに腹案にあったことゆえ舞い上がり増長することなどせずそこそこにそれらを受け入れて、さっそく然るべき者を選んで遣わすことになった。


 そして、一挙一同を注視されていた公弟は、一瞬、一転、諸人の意識から意図して外れ、


「馬ァー鹿」

 ……と、そう冷笑とともに漏らした。


 面目を保つ? そんなはずあるものか。

 負けは負け。逃げは逃げ。恥は恥。失態は失態だ。

 そしてあの承認欲と報われる事のない矜持に支配されたような男が、おのが失態を認め、鐘山や臣下に頭を下げる器量などあるものか。


 きっと誰に諮ることもせず、この『甘言』に誘われて身一つのごとき様相で離脱する。

 残された方は、それはもう阿鼻叫喚の有様であろう。

 ……そして、それは順門府も同様であろう。自身の言い分を訴えるべき帝が抜けたとなれば、交渉の余地などない。知った後は必死で落とし所を探ることとなるだろう。

 そして双方ともに憔悴し切った頃合を見計らって風祭府が、康徒が牛耳を執れば良い。


「ははッ……踊れ踊れ、潰し合え」

 如何に宗円が己と同じく謀事に長けていたとしても。

 如何に天朝の大軍であったとしても。


 それらいずれも自身の手の内に収まっているという自覚が、増長でもあったが康徒にはあった。


 皆が畏怖して讃えるまでもなく、この時、風祭の大妖の危機管理能力と政治的均衡感覚は、まさに神域にまで達していた。

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