第四話:新世代三人
「……ええと、まず孟玄府軍とその与力衆への挨拶回り。次いで油が不足しているという江名府に訴えられたので名津の六番屋への発注と……おぉ、あとそれから献上の鷹にも餌をやらなくては」
自分に押し付けられた重責を、器所実氏は帳面片手にどこか楽しげに捌いていく。
無論、公務は何においても第一としなくてはならないだろうが、信守はそこに楽しみを見出したことはないし、またそのような私情は持ち込みべきではないと思っている。
ゆえにそんな風に浮かれる実氏を、信守は奇異に思いつつも好意を持てず、むしろ一線引いた目を向けていた。
「あと、大事なことを忘れていた」
実氏はポンと手を打ち、信守らを顧みた。
「忝い。信守様、瑞石様。おかげでオレはともかくとして、主典種の面目を保つことが出来ました」
そう言って、過剰なまでに深々と頭を下げる。
直成が軍師、荒子瑞石は苦笑し、信守は首を振った。
「そこまで畏まらずとも良い。我らは立場は違えども無位無官の身だ」
「いや、申し訳ない。何しろ士分として取り立てられてからまだ日も浅いので、習慣のようなものです」
であろうよ。信守は胸中で毒づくように思った。
実氏の所作はとても、武士として作法を指南されてきた者のそれではない。
大方、何かしらの偶然で典種と邂逅し、ほぼ気まぐれのようなもので士となり、そして周囲の蔑視じみた予想を遥かに超える才能を開花させて上り詰めた。そんなところだろう。
だがそれでも。
他人に気を配りつつ、自身はそれを恩として着せず一歩退き、それでいながら楽しげに軽やかに生きるこの男は、
(武士ではないが、人らしい)
とさえ思えた。
そこで信守は嫉妬めいた感情を抱く己をあらためて恥じた。
共に難敵に当たる僚友であろう。それを私情と僻目をもって見るとは。
「ええと……オレは、信守殿に何か失礼なことを?」
ふいに実氏が、遠慮がちに尋ねる。
好意は持たないが、それでも嫌悪したわけでもない。だがわずかに険しくなった信守の眼差しを、自分に対する悪感情だと実氏は考えたようだった。
「……別に睨んではおらぬ。無愛想は元よりよ」
「無愛想などとんでもない」
実氏は笑ってかぶりを振った。
次の瞬間、この男は言った。
「現に、朧殿と論戦している時はとても楽しそうでしたよ」
……などと、信守の思い及ばぬようなことを。
「戯言を」
笑い飛ばそうとした。だがそんな機能など信守にはない、はずだった。
「士とはみだりに情を表するものではない。父上たちにはそう教えられている」
「左様。感情を露出させてはそれだけ相手に謀る隙を与えることとなる。にしても」
聞き手に回っていた瑞石は、そう言って苦味を交えて苦笑した。
「信守どののそれは少々極端に過ぎますな。何も無表情を貫くことのみが、心底を掴ませぬ術ではありますまい」
などと、老成した口調で助言され、信守は冷ややかに返した。
「貴殿らのようにか?」
二人の足がピタリと止まる。
こんな無愛想な男に付き合っても、面白いことなど何一つあるまい。にも関わらず、彼らは禁軍第五軍の将の父を憚って愛想笑いを浮かべて付き合っている。信守はそう受け取っていた。
「いやいやいやいやいや、然にあらず然にあらず」
はははは、と軽やかな笑声とともに実氏は信守の肩を抱く。
「貴殿のこと、この実氏は割と気に入っておりますぞ」
「……貴殿であれば、石ころ相手にもそう言うだろうな」
「はっはっは! その毒舌がまた小気味良い!」
まったくこの男、何が楽しくて、あるいは何に物怖じして、かくも笑うのか。
「しかし、もったいない。この世には楽しきことはいっぱいあるというのに。ほら、たとえばこの一期一会の奇縁などがそれでしょう」
「先ほどの戒めを言い渡されたお父上も、感情なき兵器になれとの旨ではなかったはずです。今少し、他人に胸襟を開かれては?」
ふたりに寄られ、説かれる。なるほどそうかという気にもなってくる。
ひとまず、疑問は持った。
おのれが情を執拗に押し殺すのは、なんのためか? その先に、何があるのか?
掲げる士道とは、具体的にいったい何を指すのか?
――おのれにとって、士とは、ただ奥底にあるものを囲い込んだ、函ではないのか?
ソレは、いったい、なんだ?
同年代の知遇を得、そして言葉少なながらも語り合った信守は、ようやく答を一つ得、退嬰の都を脱したかのような心地であった。
だが、抜け出たその先は、さらなる煩悶の暗闇でしかなかった。
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