第五話:魔招の笑み

 列を成す篝火の向こうに、信守たち三人の影が見える。

 遠目には詳細な様子は分からずとも、かの若君が今までにない近しい距離感で同世代と接しているのは間違いない。


 麓の自陣よりほっと安堵の息を漏らし、上社家宰、貴船我聞は帰ってきた主君を顧みた。


「どうやら、上手くやれているご様子ですな。まこと、これを機に若君にも笑顔が生まれると良いのですが」

「笑顔が、生まれる、ね」


 対して鹿信の表情は鈍い。口調にも、一軍を叱咤する常日頃の力強さがない。

 まだ我が子への不安が拭い切れないのか。あるいは先の見えない戦そのものへの、危惧か。


「なぁ、我聞よ」

 案じる我聞へ、鹿信はふいに語りかけた。


「俺ぁ、あいつがガキの頃、笑顔を見たことがあるぜ」

「それは……まぁ幼少の時分であればそうでしょう」


 見るもの感じるものすべてが真新しいであろうこの世に、楽しみの見出せぬ子どもなどあるものか。

 だが奇異なことに、我聞には幼少の信守の笑顔がどうしても思い出せなかった。


「あれは正月の凧揚げだったか剣術の稽古にわざと負けてやった時か。まぁとにかく笑ったんだ。その笑顔の無垢なこと愛らしいこと、あぁこれが父親ってもんかと思ったもんだ」


 想いを馳せるがごとく、夜天へ向けて目を細める。我聞は嬉しくて思った。


(やはりなんだかんだと言いつつも、父子だな。殿もちゃんと親心を持っているではないか)


 だが、我聞の意に反して、鹿信はその眼差しのままに、強張った声で続けた。


「そのすぐ後だったよ。先帝が崩御され、立て続けにあれの母親が逝ったのは」


 冬の名残の如く、冷たい風が彼らの胸元に届けられた。

 それに抗するごとく、盛る篝火がパチリと爆ぜる。


「……まさか、それら凶事がご子息の笑みとせいとお考えか」


 鹿信は答えなかった。それこそが、何よりの肯定であった。

 何を馬鹿なことを。主従の契りを超えて、我聞はそう怒鳴りたかった。だが、その衝動をぐっと押し殺し、妄を払うべく理路を整然と整えて答えた。


「先帝は長年の戦場暮らしが祟って、晩年は寝起きさえままならぬご様子と承っております。また亡室おくさまはその陛下の快気を願い、病身にも関わらず世人に倣って薬断ちをしておられました。不躾を承知で申しますが、あの方々の天命はいわばいずれ起こり得た必然。それを、信守様の笑みと結びつけるのは、如何なものかと」

「だよなぁ、俺もそう思うとも」


 そう承知しつつも、鹿信は自嘲めいた表情だった。


「それでも、思ってしまう。あいつの笑みは、魔を招くと。そして此度の戦も、そのせいで何か不吉なことを呼び寄せるのではないかと。……あぁそうだ。今でこそ分かるが、俺はずっと、あいつが恐ろしい。笑う笑わぬに限らず、その行き着く先が」

「それゆえに、情を表してはならぬと戒めてこられたのですか」


 非難めいた我聞の返しを咎めることなく、禁軍第五の将は天頂を仰いだままだ。

 我聞もまた、主人に従い、星々を拝して心中で嘆く。


 上社信守に、人として欠落があるとして。

 それは果たして先天性のものであるのか。それとも周囲に歪められたがゆえか。


 この闇の如く、その先に控えた戦のごとく、もはやその答えは定かならぬものとなっていた。

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