第三話:猛虎の王族

「これは、直成様」

 鹿信は深く頭を下げた。

 立場も率いる兵数もほぼ同等の身の上にも関わらず、である。

 そしてそれは朧以下も、信守とて同じであった。実氏も右顧左眄の後、一手遅れて膝をついた。


 佐古直成。れっきとした『王族』である。

 かつて地方の有力者たちが王を号した諸王時代。群雄割拠の戦国の世。

 そこにおいて、西の孤島に雄王の血統あり。それこそ佐古家であった。


 だが盛者必衰の理には抗うことができなかった。

 時流に乗った藤丘家の海征を果敢に迎撃するも、軒並みの一族郎党は討ち死に。残された幼君、襁褓むつきさえ取れぬままの嬰児を憐れに思った先帝が、我が子同然に養育したのがこの佐古直成であった。

 今生の帝と兄弟同然に生きてきたというのもあって、禁軍においても破格の扱い。ゆえにこそのその場にいる全員の、低頭であった。


「いやいや、やめてくれな。そういうの」


 だが本人はいたって気さく。むしろ軽くそういう扱いを迷惑がってさえいる風であった。

 その念を受け取った信守は、誰よりも先んじて顔を上げた。

 次いで朧が。だが、反射的に顔を伏せた己を恥じているようで、あまり敬慕の念というものは感じられず、信守が見るにむしろ反骨心の方が強い。


 ――旧世代の王族ごときが何するものぞ。我は帝の帷幄ぞ。

 おおかた、そんな歪んだ自負でも抱えているのだろうが。


 だが奇妙なのは、その眼差しは直成本人ではなく、彼の背後に控える書生に対して向けられていた。

 涼やかな目元を持つその男は、すぐに注がれる敵意を察知した。そのうえで、しずしずと頭頂を下げた。


「お久しゅうございます。朧師兄」


 彼は朧の名をわざわざ付け足したように思えた。周囲に、我と彼との関係性を簡潔に示すべく。


「ふん、貴様か」

 朧は赤く色のついた鼻を鳴らした。

瑞石ずいせき。まさか佐古殿のご家中に籍を置いていたか」

「はい。知遇を得まして」


 平らかな声で書生は語る。

 朧はすぐに興が削がれたようにそっぽを向いた。だが向いた先に上社親子があり、怒りを再燃させかけていた。

 間に割り込んだのが、直成である。


「――聞かば、瑞石と朧殿は同門であるとか。ここは儂と瑞石に免じ、酔いの席ゆえと笑って流せんかな」

「おどきくだされ。聞くに堪えぬ雑言であった」

「されど、その者の言にも一理があろうて。見たところ、そなたは今正気を保ってはおらん」

「どけ、どかぬと」

「どかぬと、何かね?」


 直成は手を朧の無防備な脇腹へと差し入れた。腕を取り掴んだ。

 途端に、盛んだった朧の血色がみるみるうちに抜けていき、苦悶の脂汗が額ににじむ。

 口調は穏やか。口元は柔らかく。しかし朧の二の腕を締め付ける握力と、細められた眼差しは虎のそれだ。


「たかが酒宴の戯言で、後悔を生まねば良いがの」


 もし直成が道を開ければ朧、上社両家の死闘や訴訟は目に見えている。ともすれば帝の裁断を戦前にて仰がねばならない事態にさえ発展しかねない。敵に利するばかりの、愚行でしかない。

 そこに思い至らなかったほどに、朧の酩酊は深かったらしい。信守の方は、それでも良いとさえ考えての、暴言であった。

 上社家も藤丘家創業以来の名門ではあるが、信守にはそこまでの執着はない。このようなことを言っては、またも父に苦い顔をされるだろうが。


 ただ己が士であればよい。

 民の規範として信義を貫き、忠に生き、誠をもって尽くし、智勇を磨き邪を破り正しきを顕す。

 それに比すれば家の歴史など大したものではない気がしていた。


「……そちらこそ!」

 朧は総身をよじるようにして直成の片腕を振り払った。というよりも、動作の大きさゆえ悟った直成が、拘束を自ら解いたのだった。

 だがただでさえおぼつかなかった身体の均衡はそれによって大きく崩れて独楽のように回った。

 回りに回って仰向けに転び、部下によって抱き起されるはめに陥った。


「後悔なされるなっ」

 部下に引きずられるようにして額面どおりの捨て台詞とともに去っていく朧を、残された一同をあるいは苦笑で、あるいは冷ややかに見送った。

 直成が、大儀そうに息をついた。


「やれやれ。増えたの、あぁいう手合いが」

「直成様、かたじけなく存じます。……加え、愚息のせいで朧殿に睨まれる仕儀となり、誠に申し訳ない」

「なんの。明日になれば記憶から抜け落ちていよう。それに、ご子息の論破、胸のすく心地であった」


 呵々、と大笑。直成はことのほか上機嫌で信守を評価していた。

 だが一方で父はというと、渋面のままかぶりを振った。


「いや、恥ずべき振る舞いでございます。士たるものが士を遇するにあたり、武威を示すではなく、舌で誹謗するとは」


 信守は己に対するいずれの意見にも賛否を示さず、黙々と頭を下げた。

 たしかに出しゃばり過ぎた感はある。それでも言わずにはいられなかった。言わねば、自分の底にある大事なものを破壊してしまいそうであった。


 だが、思う。父の言に思ってしまう。

 あれが、朧のごとき者が、士であろうはずがない。

 では実氏が士かと言うとそうではない。が、少なくとも知を尽くしこの急ごしらえの遠征軍の労いに心血を注いできたはずだ。鹿信は、それを率先して激賞したではないか。

 だが、鹿信はそれを擁護しなかった。これが有用なる士の遇し方か。


「あのぅ、そろそろ行ってもよろしいでしょうか。まだあいさつ回りが完了しておりませんので」

 実氏が、おずおずと声をかけた。

「あぁ、面倒ごとに巻き込んで申し訳なかった。されど……そなたの配下は?」

「ははは、どうにも逃げてしまったようで」


 気が付けば鹿信の指摘通りに、実氏の部下は姿かたちが見えなくなっていた。

 だが、信守は気づいていた。

 直成の登場のあたりで、実氏が背後で部下に逃げるよう暗示していたことに。それによってより一層の面倒ごとに巻き込まれる前に桜尾武士たちは逃散していった。


「おぉそうだ。事態をややこしくした礼だ。逃げた者らの代わりにこの信守を使ってやってくれ」


 は? と信守は思わず間の抜けた声をあげた。完全に思案の外にあった申し出であった。

 だが、信守を見返す鹿信の目に、諧謔を言っているような色味はない。


「そんな、禁軍の方にお付き合いいただく仕事では」

「構わんさ。こいつは先のとおりの気難しさでな。少しは朝廷の外の空気に触れて柔らかくさせたいのさ」

「それは面白い。では儂の方からは瑞石を遣わそう。同門とはいえ、朧のごとき増上慢ではないぞ。良いかな、瑞石」

「はい。酒のこととはいえ兄弟子の振る舞い、私としても、その償いをさせていただきたく」


 まるで自分を干物か何かのごとき扱いである。

 そのうえで、自分の頭越しに話が膨れ上がっていく。

 

 信守は胡乱気に実氏を視た。

 実氏は、不格好なれどもふしぎと愛嬌のある笑みをニコーと満面に広げて応えてみせた。

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