第四話:焼け落ちる皇道

 ――もう少しだ。

 あと一押しで王業は成就する。

 父と同じ高みに、いやそれ以上に上り詰めることができるのだ。


 藤丘貞仁さだひとは、陣中、仮の御座にあって拳を握り固めた。

 その座り心地は、急ごしらえながらも悪くない。


 未だ届かぬ、しかし近い将来、確実に届くであろう捷報を、先祖伝来の緋縅を身につけた帝は、今か今かと待ちわびている。


「行け……行け……」


 繰り返される帝の呟きを、傍らにいる一将が拾い上げた。


「……ここでは戦況が伝わるのに時間差がございます。本陣を移すべきでは?」


 顔色を窺うようなその提言に、頷きかけた貞仁を

「お待ちあれ」

 そう、毅然と制止する者がいた。

 桃李府公、桜尾典種である。

 蛍石を思わせる白い肌を持つ堂々たる偉丈夫は、座るだけで陣内の諸将と空気に、重圧と威圧感を与えていた。


「我らは既に五里も前進させております。玉体に万一のことがあってはなりませぬ。それに、お忘れでございましょうか。起こっている戦は順門府のみにあらず、未だに戦況報告されぬ風祭家の乱も不安なところ。深入りはお控えになった方がよろしいでしょう」


 滔々と述べられる正論に、帝は顔をしかめた。

 しかしながらも覇者たる度量を示すために、また反対意見を蹴るだけの理由もないため、首肯しなくてはならなかった。


 が、もどかしさはどうしようもならない。

 単騎陣中を出て、前線に躍り出、この手で宝刀を抜き払って宗円を討ち取りたくなってくる。


(あるいは返り討ちに遭っても、己の仇を他の者が討ち、それで乱の平定がなるならば、それはそれで本懐である)

 とさえ思い詰めるほどに。


 つらつらとそう思案している内に、馬蹄が聞こえてきた。

 瞬間、貞仁は腰を浮かせていた。


「も、申し上げます!」


 肩に矢を生やした母衣武者が陣内に崩れ込む。

 平時ならばその無礼を咎めるところだが、今はそれさえも忘れ、自ら駆け寄るほどであった。


 とうとう、破ったか。

 そう期待に膨れる帝の胸を、





「御坂宮様率いる兵糧船……ぜ、全滅!」





 ――その悲痛な喘ぎと共にもたらされた凶報が、針の如く射貫いた。


「…………は?」


 完全に意識の外、想像の範囲外にあった言葉。

 自らを底も底まで、叩きつけるに等しい、悲痛な報せ。

 さしもの典種でさえ、中腰となって口を開け広げていた。


(何を、何を言っているのだ、この者は)

 理解できぬ帝の代わりに、その臣下たちが色めき立った。


「どういう……どういうことだッッ!?」

「宮様は如何した!」


 歴戦の猛者に詰め寄られ、顔面を蒼白にさせたその武者は、紫色の震える唇を励まして、その経緯を報告していく。


「岸にな、流れ着いた敗残兵によると、昨晩……西進していた宮様の艦隊は敵残党と思われる敵と遭遇。そのまま戦闘状態に入るも敗北! 宮様は焙烙火箭にて、焼死したと……」


「貴様ぁ……さては敵の回し者か!?」

「どうしたら亥改賊ごときに後詰めの大軍が負けると言うのか!?」

「そ、それがわずか数隻と思われた敵船が、みるみるうちに増えていき、気がつけば包囲されていたと……」

「何をバカなっ、では海を塞いでいた赤池勢は何をしていたのだ!?」


 疑念と憶測が飛び交いながらも、いずれも帝の琴線をかき鳴らすことはなく、ただ呆然となり、空虚に空いた心の隙間をすり抜けていた。


 だがその中でただ一言、ただ一語、引っかかる言葉があった。


「焙烙火箭……?」


 ……それでは、敵は亥改水軍などではなく、まるで……


 帝の呟きに、一同はハッと、主上の方を向いた。

 皮肉にもこの貴人の人生でこれ以上なく、他人の関心を寄せた瞬間であったと言えよう。


 だが、その瞬間さえも泡沫と消えた。

 次に駆け込んできた伝令の、唾を飛ばして発した衝撃の一言が、全ての諸将を唖然とさせたからであった。





「赤池様……禁軍第七軍、赤池頼束よりつか様の軍勢……っ! ご謀反ッ! お味方の側面に攻撃を開始いたしましたあァッ!」

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