第三話:死角の真実

「おぉーい、瑞石やーい」


 事後処理と修築の終わった砦内を、佐古直成が闊歩している。

 自身の軍師が所在不明らしく、諸人に尋ねて回っているのを、信守は開けっぱなしの仮屋より脇目で見ていた。


「ここかっ」

 と、直成はその屋外の水瓶を開けた。


「……いくら瑞石殿が華奢と言えど、そこに入る余地も理由もないかと」


 思わず指摘せざるを得なかった。というか、実際にその中に潜んでいたらどう反応するつもりだったのか。


「なに、他愛無い冗談よ。して、倅殿は何を?」

「敵味方の損害の割り出しを。……ずいぶん、気前良くこの要所を手放したものだと思いまして」

「あぁ、瑞石も似たようなことを言っておった。その直後に姿が消えたのだが」


 ということは、荒子瑞石もあえて敵がこの砦を捨てて自分たちを招き寄せたのではないか、という疑念に至ったことになる。

 その上で、水面下で変事あり消えたのか。あるいは主人を見捨てて出奔せざるを得ないほどの真実に気づいたか。

 であれば、自分にもその推察は可能であろうが、今は思索が暗礁に乗り上げてしまっている。


 視点を変えるべきだ、と自身に提案する。

 ひとまずは勝っている。知れ切った優勢にある。それは童子とて分かることだ。追う者、討つ側の目線の方向からしか見ていなければ、都合の良い事実しか現れない。


 信守は地図から目を離し、直成を横切り屋外に身を晒した。


 おそらく老将鐘山宗円が仕掛けてくるとすれば、その目眼差しの外側からであろう。

 官軍の将には決して見えない場所。


 笹ヶ岳砦は高みにあるゆえ、一帯の戦場が一望できる。南側では、宗円の本隊と官軍の追撃部隊が衝突しかけていた。

 防御性のみならずそうした情報戦においても要地であったはずだ。明らかに奪還する素振りさえない。

 ゆえに、なおさらにきな臭い。


「禁軍第六軍は?」

「地田殿も望み出て南に参加したぞ。前面的かつ全面的に、忠義を見せたいのだろうて」

「あぁ、道理で静かだと思いました」

「……お主、口数の割に毒を吐くのう」


 敵の狙いを仮想する場合、すぐに思いついたのは鹿信と直成を孤立させること。戦巧者の両名とその精鋭を本陣より切り離し、その意思や情報の疎通に間隙を生じさせる。

 

 考えられることではあったが、それのみの代償でここの失陥とは釣り合わない。

 それはあくまで効果の一つであって、本当の狙いはもっと上、少なくともこの戦局全体を覆すものでなければならない。


 本命とは、官軍の想わざる一手。

 見えざる部分。高所に臨もうとも見落とす箇所。

 つまり物質的にではなく、心理的な死角。

 ……あるいは、意図するしないに拘らず、見たくない、見ようともしない・・・・・・・・・・・・・・、想像するだにおぞましい絵図。


 だがそうした所こそが、おそらくは敵の本望にあるように思える。いや、そうに違いない。


 ゆえに信守は、みずからに強いる。

 それを認めよと、不浄なる糞溜の中にこそ、真実があると。


 信守はそんな心象がためか、本能的に鼻を利かせていた。

 当然生臭さはないが、代わり、海より流れる磯風が鼻腔を突いた。

 潮の向きが、時とともに変化するためか。混ぜっ返された海水の臭いは、常よりも棘のような強さを持っている。


 その刺激が、この青年の意識を覚醒させた。

 あっけない放棄、水軍の勝勢、御坂宮の援軍、宗円の本隊の出陣、それによる味方の南部隘路への集中。

 それら点でしかなかった情報が、彼の内にて結束していく。


 信守はその閃きとともに、呻きにも似た声を漏らし、そしてその想像を確かに忌んだ。考えてはならぬこと、あってはならぬことであった。


 だが、それ以外に考えられなかった。


 ――いつからだ?

 いつから、そう・・なのだ?


 しかしいくら考えても時すでに遅し。もし自分の懸念が正しいものだとすれば、九割がた自軍の脚はその術中に嵌っている。挽回のしようがないほどに。

 どれほど工程を切り詰めて、過程を飛ばしたところで、猶予は一日あるかないかというところだ。


「どうした、信守」


 手柵に寄りかかって珍しく動揺を露わにする信守の背で、父が不審げな声で問う。

 振り返れば、わずかながらに鹿信もまた剣呑な様子を見せた。それほどまでに、今の息子の顔はひどいものとなっているらしい。

 だが、今はそんな微妙な蟠りに気を取られている暇はない。


「父上、直成さま、敵の策の全容が、見えました」

 信守は、一縷の望みを賭けて鹿信へと打ち明けた。

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