第六話:笑う謀臣

 陣中より出た主君の顔色がすぐれないことに、近習の中で器所実氏はいち早く気が付いた。

 幼少より日に焼かれ続けた己と違い、元より白皙であるが、血色は常にも増して首筋より抜けている。

 だがそれは恐怖によるものではなく、怒情の兆しであることもまた、この明敏な従者は見抜いていた。


「あまり軍議の結論は、良いものではなかったようですな」

「あれが軍議と呼べるものか。帝は呆然自失、群臣は右往左往の右顧左眄。後退を進言すれば、言い出しっぺがやれとばかりに押し付けられる。……せめて直成卿がおらねば話にならぬ」


 実氏はその心労を、そしてこれから起こるであろう激戦を察した。


 南の主力、壊滅。

 軍配者たる朧月秀の討死。

 禁軍第一軍、二軍は半壊。

 三軍は全滅、六軍も潰走。

 敵本隊は余勢を駆り、味方の残兵を掃討中。

 鐘山宗流が赤池勢と共に上陸のうえ、反撃を開始。


 すなわち、桃李府孤軍でもって、この絶望の大海を乗り切らねばならぬ。

 何が起こったかは潮の波間に聞こえた爆発音と喚声で、それより前に理解していた。

 すでに有事に備え軍勢は整えており、槍穂をずらりと引き並べて馬廻り衆が結束している。


「しかしあれですなぁ、殿」

「なんだ?」

「かくも右も左もてんてこ舞いだと、ほら、いつぞや殿と訪った村での田楽舞などを思い出しまする。こういう感じで、物々しき装束の者らが跳ねたり回ったりと」


 などと下手に真似て見せる実氏に、

「馬鹿者」

 と荒れる桃李府公は静かに怒喝を入れて、肩に掴みかかった。

「笑えぬ戯言など申してふざけておる場合ではないわ」


 だが、その手に実氏の過剰な緊張が伝わったとみえ、はっと息を呑んで、汗を額に流す実氏の微笑を見返した。


「それでも、虚勢であろうと、笑わねば。兵に不安が伝わりまする。不安は、実態以上に敵を大きく見せ、かつ事態をより悪しきものと錯覚いたします。されど笑えば、その逆の効能が得られるものかと」


 典種の手はいつしか、叱責のものから、この若者への激励の色へと転じていた。

 家臣の肩を強く揉みつつ、


「……すまぬ、少々取り乱しておったわ」

 と言った。実氏はかぶりを振った。

「苦境であるのは承知のうえ。されどもこの状況を帝に代わりて殿が一軍のみにて乗り越えられれば、一躍御名は翼を得て天下に羽ばたきましょう」

 などと野心をくすぐるようなことを言って、励まし返しもする。

 それについては他の耳目もあることゆえに明言を避けたが、典種は落着きと精力を取り戻しつつあった。


「さればそのための策はあるか? 実氏」

「第一に、赤池水軍の焙烙の射程外に出ることが前提でございましょう」

「その前提とて、危うい。帝の玉体が退かぬ限りは、我らとて退けぬ」

「では次善。ただ今のこの本陣。土塁、木柵等を組み直して敵に向けた防壁と成し、段構えにて敵を待ち受けて防ぎまする」

「凡庸な手だ。消極的でもある。いっそ勢いづいて突出してくる敵の間隙に割り込み、各個撃破を狙うのが良いのではないか」


 いやいや、と実氏は肩をすくめた。


「此度はまず敵の勢いを削ぐことが肝要にござる。その間に他軍の立て直しも出来ましょう。特に笹ヶ岳の第四、あるいは第五軍が転身できれば、後背を突いてくれましょう」

「十万余の敵軍の気勢を挫くその堅陣、どれほどあれば仕上げられる?」

「これが殿のご判断であるという証と、半刻ほどいただければ」

「良かろう」


 実氏の力量、己でさえ未知数につき、ただ己があれやこれやと差配したところで将兵は容易に従うまい。古参であればあるほどに、年長者であるほどに、頑なに突っぱねることであろう。ゆえに、発案者は桜尾典種その人でなければならなかった。

 それを汲んで府公は、刃の付け根、金色のハバキに己の桜花紋が彫られた脇差を抜く。実氏に投げ渡し、名代の証とした。


 それを拝しながら、ふと己が出した話題の最中に、ふとよぎった顔を改めて思い浮かべた。

 笑顔。対比するは、上社信守。その欝々とした横顔。


(御仁は)

 果たして、この苦境にどのような貌をもって挑むというのだろう。

 例のごとく渋面を作っているのだろうか。あるいは、ここぞとばかりに笑みを浮かべて意地を張り通すか。

 いずれにせよ、先の見えない、何をしでかすか分からない面白さもあり、かつ危ういがゆえに放っておけない御曹司ではある。ともすれば、己自身でさえ持て余し、かつ定めかねているのではないか。

 いずれにせよ、


(己が何者か、しかと見定められよ、信守殿)

 新たに得た知己、籠もる岳に向けて、祈るがごとくに念を飛ばす。


 そこで、典種が自陣へ向かう歩を止めた。

「あ、申し訳ありませぬ。つい考え事をば」

 てっきり気をそぞろにした己が咎められていると実氏は一瞬思ったが、どうやらそうではないらしい。

 彼らの数歩先の前方に、踊り込んで来た影があった。


 その痩躯に、首を基点として絡みつく、解けかけた荒縄。頬には青痣。自他いずれのものか、荒らされた書生風の装束の裾には血が染みついている。

 何者かに監禁されていたのは、誰の目にも明らかであった。


「おや、貴殿は」

 そして何より、実氏にとっても、多少の面識のある人物でもあった。


「こ、この喧噪……さては赤池勢は……すでに離反いたしましたかッ!?」

 とその青年、佐古直成が軍師、荒子瑞石は息せき切って問いかけた。

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