6.

一面鮮やかな緑の芝生に覆われたフィールドに、ヘリは降り立つ。そして旭と鈴華が降りると、すぐに再び上昇して逃げるように飛び去って行ってしまった。

いつの間にか空は厚い雲が立ち込めており、雨の予感がした。

遠くにゴルフ場の事務所らしき丸太小屋が見えたので、そこまで歩いて行く。しかし今日は休日なのか、ドアは閉まっていた。

スマホを取り出し、神部に電話をかける。

『おい旭お前! 今度はどこだよ、いい加減にしろ!』

「悪ぃ、ちょっと忙しすぎてな。とりあえず鈴華は取り返した、安心してくれ」

空港の格納庫で鯖尾という第三の勢力に遭遇した事、月城と共に戦った事、逃げる鯖尾のヘリに乗り込んで鈴華を救出するのに成功した事を話す。

神部達の状況も聞いた。

彼らが空港に到着した時には、既に警察が大勢到着していたらしい。一般客を装って空港を歩き回り、遠くの格納庫に警察が集まっているのを見て、あそこで何かあったのだろうと察することはできたが、とても近づけなかったとのこと。

月城がどうなったか尋ねると、分からないが遠目に見る限り、連行される男たちの中に月城らしき姿は見えなかったとのことだった。

『そんで今はゴルフ場だって? どこのゴルフ場だ』

「ちょっと待て……ああ、久川カントリークラブって書いてあるな」

丸太小屋の入口に掲げられている看板を見上げながら答えると、電話の向こうで神部が『久川カントリークラブだってよ』と誰かに声をかけるのが聞こえる。おそらく冴木がスマホで検索したのだろう、『ああここか。ちょっと遠いな』と呟いた後、了解の意を示してきた。

『よし分かった、今から迎えに行くからそこで待ってろ。そうだな、小一時間くらいで着くだろ』

「すまねえが頼むぜ。こんな山の上じゃ、下に降りるのも一苦労だ」

『ヘリがそこに着陸したのは大勢の人間が見てるはずだ。誰かが通報して警察なりゴルフ場関係者なりが来るかも知れねえ。見つかると厄介だから、誰かが来たら隠れるか逃げるかしろよ? 合流地点は変更したって構わねえんだから』

「おう、そうだな。分かったぜ」

電話を切る。

自販機があったので、自分用のコーヒーと、鈴華に温かい紅茶を買ってやる。見つかりにくいように山小屋の裏手へ異動すると、喫煙所らしきスペースがあった。ありがたいことにベンチもある。

「ここでいいか。小一時間くらいで神部たちが迎えに来てくれるからな。それまでここで待とう」

鈴華は黙って頷き、一緒に並んで腰掛けた。

缶コーヒーを開けて一口。熱々に温まっており、冷たいやつにすれば良かったと後悔した。

「………………」

「………………」

静かだった。

山の上には下界の喧噪も届かない。鳥の鳴き声と風が木々を揺らす、さざ波のような音だけが聞こえてくる。ともすれば、ついさっきまで空の上で殴り合いをしていたなど、一瞬見た白昼夢だったのではないかと思えるほどに長閑だった。

鈴華は黙ったまま、隣でちびちびと紅茶のペットボトルを口にしている。

旭は目の前に広がる林に目を向けた。

神部の言うとおり警察なりゴルフ場関係者なりが来たら、この林に逃げ込もう。あの辺から入れそうだな。隠れるか、逃げるか、ちょっと下見しといた方がいいかな……そんなことを考えていた時だった。

「あのさ、おじさん」

ふと鈴華が口を開いた。

「腕、借りていい?」

そう言って、こちらの返事も待たずに腕にしがみついてくる。

体が小刻みに震えていた。顔色も悪い。

「大丈夫か。具合悪いのか」

「……なんか、急に、怖くなった」

「ああ、なにせ貸衣装屋でいきなり襲われて、車で拉致られて、挙句にゃヘリだもんな。色々ありすぎたよな」

「そうじゃなくて」

頭を振り、震える声で言う。

「本当に私、結婚しなきゃいけないんだなって」

言われて旭は思い出した。

そうだった。それを問い質さなきゃいけないんだった。

鈴華の様子を伺いながら、慎重に言葉を選んで尋ねる。

「お前よ……知ってたのか? 自分の相手が七十過ぎのジジイだってこと」

「うん」

「何で言わなかったんだよ。俺ぁてっきり」

「そのうち言うつもりだった」

「そのうちってな。いやもう何か、全然話が違ってくるじゃねえか。こんなことなら……」

言いかけて旭は口をつぐんだ。

こんなことなら、何だと言うのか。

相手が御曹司じゃなくてジジイだったからと言って、自分に何ができたと言うのか。

金も地位も持たん底辺の無能が、民権党の有力者相手に何かできるのか。

格納庫で月城から言われた言葉。その通りではないか。

沈黙する旭に鈴華は言う。

「覚悟は、してたつもりだったんだ。でもさっきの人に言われて……急に実感が沸いたって言うか」

「サバ野郎に何か言われたのか」

「制服プレイは当然やるだろうとか、メイド服着てご奉仕ごっことか」

「ああ、もういい。何言われたのか大体想像がついた」

「なんかそれで急に実感が沸いたって言うか……なんかこう、止まらないの、この震え。何かに掴まってないと変になりそう」

「……そうか」

「ほんとゴメン。こんなはずじゃ」

「いいって。気にするな」

まるで真冬の外気に吹かれているかのような震えが、腕に直接伝わってくる。

かわいそうに。

恋愛経験すらロクにない娘が、いきなり下衆な大人の生々しい性欲に晒されて、どんな思いだったことだろう。

自分がこいつの立場だったら、と想像してみる。

たとえば俺が高校生だった時に、金持ちのババアに買われて、怪しい衣装着せられて、加齢臭のする汚ねえアソコをべろべろ舐め回さなきゃいけなくなったとしたら? いやもっと酷くて、男色のジジイに買われて、イチモツをくわえさせられた挙げ句に尻の穴にブチ込まれるようなことになったとしたら?

怖気がする。本当に、心の底から冗談ではない。いったい自分に何の非があってそんな目に遭わなければならないのかと、理不尽さに目眩すら覚える。

覚悟はしていたと、こいつは言った。

リアルに実感するまでには想像力が及ばなかったとは言え、ぼんやりとした想像くらいはできていた筈だ。

こんな可愛い顔して。こんな小さくて細い体で。

どうしてそんな覚悟ができた。

しかもその理由が「お父さんの会社で働くおじさんやおばさん達の生活を守るため」だと言うのだから信じられない。時代劇じゃねえんだぞ、今時こんな娘がいるもんなのか。お人好しにも程があるだろ。

「おじさん」

鈴華が顔を上げ、目が合った。


「私のこと、もらってくれないかな」


求婚された。



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