12.
ある日の夜、小野寺から電話がかかってきた。
珍しく強かに酔っており、最近彼氏とはうまく行っているのか、何か困っている事はないか、といった話をしてきた。
普段とは明らかに様子が違う事が気になって、どうしたのかと尋ねると、彼女は電話の向こうからポツリとこう呟いた。
「私、四十歳になっちゃった」
その日は小野寺の誕生日だったのだ。
あれほどお世話になっておきながら、相手の誕生日も把握していなかった事に初めて気づき、冴木は愕然とした。
「信じられない、自分が四十歳だなんて。だって人って、四十歳になる頃には大体の人生が決まってるものじゃないの? 恋愛して、結婚して、出産して、家を買って子育てして……。私、何もできてない。結婚や出産どころか、まともに恋愛すらしたことがない。なのに私がもう四十歳? 信じられない。今まで生きていて、一体いつそんなことする暇があったっていうの?」
それは冴木の知らない、小野寺らロスジェネ世代の悲劇の一端だった。
就職氷河期。
まだ形ばかりの男女平等が唱えられているだけだった時代にあって、男性ですら過酷であった就職事情は、女性に至ってはもはや悲惨と形容すべき状態であった。
無きに等しい正社員の求人。落選すれば低賃金・残業地獄の非正規雇用へ真っ逆さま。恐るべき倍率の中から運良く正社員になれた小野寺だったが、当時は正社員になれても地獄であった。
バブル崩壊後に訪れた、本格的な不況の波。本当なら時代の変化を敏感に感じ取り、今までの常識が通用しなくなることを認め、抜本的な改革を断行すべき時であった。
しかし、働けば働くほど成果が出る時代しか知らない団塊・バブル世代は、あろうことか無策のまま、気合と根性でこの難局を乗り切ろうとしてしまったのだ。
自分たちはそれでいいだろう。今までの経験値があるから。結婚や子育ても、すでにある程度の目処が立っているから。しかし彼らは、それを社会に出たばかりの新入社員にも強要した。
小野寺は入社当初から、およそ新入社員の手に負えるはずもないレベルの仕事を、およそ新入社員の手に負えるはずもない量で押しつけられた。
しかも先輩たちは忙しいからと言って、ろくに仕事を教えてくれない。
分からない事を質問すれば「それくらい自分で考えろ」と怒鳴られ、そうかといって自分で考えてやれば「勝手なことをするな。分からないなら聞け」と怒鳴られる。
挙げ句の果てには、「お前が入社できたのは会社の男女平等アピールのため。実力じゃなくて、女だから入社できたんだ」と何の根拠もなく一方的に揶揄されたり。
「どうせすぐに子供できて寿退社するんだろ。女は楽でいいよな」と、こちらは子供どころか恋愛すらまともにする暇もなく働きづめなのに、謂われのない中傷を受けたりした。当時はまだセクハラやパワハラといった言葉すら存在していなかった。
高校時代の友人が派遣切りに遭い、ホームレスに身を落とした。
子供のころ近所だった男の子が、鬱病をわずらって引きこもりになった。
進むも地獄、退くも地獄の状態にあって、小野寺は必死に今の職にしがみついた。無能な先輩たちに教えてもらうのは早々に諦め、体当たりで仕事にぶつかった。傷だらけになりながら、知識とノウハウを身につけた。
「長時間働く者が偉い」という、現在から見ればバカバカしい風潮が、当時は常識であった。小野寺は毎日の長時間残業はもちろんのこと、休日出勤も当たり前のように繰り返して、「誰よりも長く働いている」という既成事実を作り上げ、男どもを黙らせた。
潰されないために。殺されないために。
比喩ではなく、本当に命がけだった。
そして苦闘の果て、三十歳になる頃に待っていたのは、リーマンショックという日本経済を揺るがす更なる苦境であった。自分個人だけでなく、会社そのものが丸ごと沈没しかねない危機的状況である。そしてこの期に及んでも、社会の決定権を握る団塊・バブル世代の経営者たちが出した方針は、前例踏襲・気合と根性であった。
必死だった。
ただひたすら必死だった。
仕事以外に割ける時間など、物理的に無かった。
恋愛も結婚も、そんなものは無能だから仕事を与えられず、暇を持て余しているような人間のやる事だった。
―――― そして今日、小野寺は四十歳になった。
「冴木さん知ってる? 婚活市場じゃね、四十歳以上の女性って『家電ゴミ以下』って言われてるんだって。家電ゴミはまだお金を払えば引き取ってもらえるけど、四十歳過ぎた女なんてお金を払っても引き取り手がないって意味。ひどいと思わない?」
電話の向こうで、小野寺は笑いながら泣いていた。
「私、もう結婚できないんだなって。もう子供産めないんだなって。もうとっくに分かってたはずなのに、こうして本当に四十歳になってみると、急にそれを実感しちゃって」
それでこんなに深酒になってしまったのだという。
冴木は必死に励ました。
四十過ぎても結婚した例なんていくらでもある。アメリカの女優が二十歳年下の男と結婚した、なんて話もあるくらいだ。出産だって、確かに若い頃よりは大変だろうけど決して不可能なわけじゃない。いざとなったら不妊治療だってある。
昔ならいざ知らず、今の時代なら四十歳なんてまだまだ全然いける―――― 。
そう言いながら、自分で思っていた。
これは詭弁だと。
男はいつだって若い女が好きなのだ。男は自分が二十代だろうが五十代だろうが、求めるのは常に「十代・二十代の女」なのである。冴木とてそれくらい知っている。
よほどの富豪か有名人ならばともかく、そうでなければ絶望的。小野寺が今からパートナー探しを始めて、良い男性と巡り会い結婚できる可能性は……。
「ありがとうね、冴木さん。あなたは幸せになってね。だけど、こんな私が言うのもなんだけど、安易な妥協はしちゃダメよ? 相手はよく選びなさい。よく考えなさい。その結果チャンスを逃して、やむを得ず妥協することになっても。それは自分で納得できる妥協でなければいけないわ」
その夜、小野寺は死んだ。
自宅で睡眠薬を大量に服用しての自殺。酒に酔っての衝動的自殺ではなく、事前に計画されたものであった事は明らかだった。
なぜなら、まず職場のパソコンには、そのままマニュアルにできそうなほど作り込まれた引継書のデータが残されていた。
机回りはまるで異動でもしたかのように片づけられていた。
なにより小野寺は自分の自殺を、メールの時間指定機能を使って自ら警察に通報しているのである。
冷静に計画し、周到に準備して、自ら命を絶ったのだ。
メールを受け取った警察が駆けつけた時、小野寺はすでにベッドの中で冷たくなっており、そして枕元には手書きの遺書があった。
「いちばん恋をするのに適していた時は、受験戦争や就職氷河期のまっただ中だった。いちばん結婚するのに適していた時は、自分が生きるか死ぬかの瀬戸際だった。異性を探し、つがうには、余りに傷つき疲れ果てていた。そしていちばん出産に適していた時は、子供なんか産んだら間違いなく生活が破綻していた。私の人生は、ここまでずっと一本道だった。他に選択肢なんて無かった。いったい私の人生のどこに、恋や結婚や出産の可能性があったというのだろう。今でも分からない」
強い女性だと思っていた。
会社にも男にも依存しない確かな実力を備えた、本物の自立した大人の女性だと思っていた。
だけどそんな、何でもできるスーパーウーマンのような彼女が心から望んでいたにも関わらず、恋や結婚などという平凡なことすら出来なかったという事実。
それは冴木にとって衝撃だった。
「私が望んでいたものは、もう一生手に入らない。そう悟ったとき、もうこの人生には幕を下ろそうと、ごく自然に思った。四十歳になったら終わりにしようと、当たり前のように心が決まった。もちろん四十歳を過ぎても、可能性はゼロじゃないんだろう。多くの優しい人たちが、そう言って私を励ましてくれることだろう。だけど、そうじゃない。そうじゃないんだ。少なくともそれは、私がやりたかった恋や結婚じゃないんだ。それが叶わないのなら、もう終わりでいい。私の望みはそういう類のものだったのだ」
その一文を読んだ時、心が痛んだ。
彼女が電話してきたとき、私は彼女の予想通りの反応をしてしまっていたのだ。
そして私は、最後まで彼女の予想を超えることができなかったのだ。
ネットで聞きかじったような、ありきたりな一般論を並べ立てて、安易な言葉で慰める。そんな、彼女が予想した通りの反応しかできなかったのだ。
なんという馬鹿。なんという無力。
私はなんと無能な後輩だったのかと、激しい自己嫌悪に襲われた。
「あんなに頑張ったのに。何もかもを注ぎ込んで頑張ったのに。私はとうとう当たり前の人生にすらたどり着けなかった。哀しい。ただただ哀しい。次に生まれてくるときは、今度こそ幸せになりたい」
そう結んで、遺書は終わっていた。
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