8.
「どんな報告をしたんだ、貴様」
押し殺した声で、月城は鯖尾に問うた。
「そんな怖い顔して睨まなくても。ありのまま事実を報告しただけですよ。あ、もしかしてクビ? クビですか月城先輩? ご愁傷様でーす」
「俺は……お前を助けたんだぞ。なぜそれが分からん」
「助けたぁ? どこがですか。あんた単に俺の邪魔しただけでしょうが。若者のアイディアをあんたみたいな老害が潰すの、ホント勘弁してもらえないですかねぇ? そんなんだから日本はいつまでも不況から抜け出せないんですよ」
「何がアイディアだ! あんなものはただの犯罪だ、非常識にもほどがある!」
「常識に捕らわれない自由な発想で、起こせイノベーション! 悪いですね、あんたみたいな中年と違って、俺ら若者に期待されてるのは、正にその非常識で斬新なアイディアなんですよ」
怒りに震える声を必死に押さえながら言葉を紡ぐ月城に対し、鯖尾はことさら挑発するように軽薄な言動を繰り返す。
何のことを話しているのか分からないが、どちらに非があるのかは、このやりとりを聞いているだけで旭らにもよく分かる。
「なぜ分からない」
月城はうつむいて呟く。
「俺たちが潰し合ってどうする。それこそ老人どもの思う壺だという事が、なぜ分からない。あれほど教えて、どうしてもっと大局的に物を見ることができない」
その声音に含まれているのは、怒りだけではなかった。
鯖尾という後輩への失望、自分の教育が伝わらなかった悲哀と無力感、望まぬ現状への嘆き、そういった複雑な感情が入り交じった呟きだった。
「やだなあ、ちゃんと分かってますって。大局的に物を見た結果、こうするのがベストだと判断したんじゃないですか」
「何だと?」
「そもそもアンタ、なんで俺たち若者世代が自分の味方につくと思ってるんです?」
鯖尾は、ここぞとばかりに得意満面の笑みを浮かべた。
「俺らの立場になって考えてみて下さいよ。もし今、アンタの味方をして一緒に老人世代をやっつけたとしましょう。でもそうすると、今度は俺らにとってはアンタらの世代が邪魔になるわけじゃないですか。俺らはアンタらがくたばるまで二十年以上待たなきゃいけなくなる。逆に今、老人どもに味方してアンタら世代を潰しておけばどうです? 老人どもは放っておいても、あと十年も経たないうちに勝手にくたばる。しかもその時にはアンタら世代もいない。十年経たないうちに俺らの天下になるわけじゃないですか。俺たち若者世代からすりゃ、どっちが得かなんて考えるまでもないでしょ」
月城が目を丸くする。
「いやー、大局的な視点! ホント良いこと教えてくれましたよ。大丈夫、アンタの教育は俺の中にちゃーんと生きてます。もうアンタから搾り取れるものも無いですし、後はとっととくたばって下さいよ」
月城の表情に、鯖尾はますます喜色を強める。
いまや完全に有頂天だ。
「大体ですね。アンタのやることも、結局は老害レベルから抜け出せてないんですよ。もっと効率的なやり方あるのに、やれ誠意だの正道だの、潔癖な方法ばっか。ウザかったんスよねー。ビジネスっすよ、戦争っすよ。ぬるいこと言ってんじゃねえぞ」
さらに鯖尾は旭らの方にも振り返って、憎々しげな笑みを浮かべる。
「なあ、そっちのオッサンども。あんたらもだよ。あんたらの世代はジジイどもの世代に負けた。あんたらが負けたせいで、次の俺たち世代まで割食うことになっちまったんじゃねえか。あんたら、もういいよ。ジジイどもは俺たちが倒してやるから、さっさと引退しろ。邪魔だ」
勝ち誇ったように、高らかに。
「そっちにいる女子高生も、さっさと渡せよ。どうせあんたら、もう勃たねえだろ。俺たち若い世代が頑張って子作りに励んで、少子化も解決してやるからさ。さっさと退け、後進に道を譲れ! この使えねえ負け犬世代が!」
こちらに指を突きつけて、鯖尾は勝利宣言のように言い放った。
「………………」
旭はそんな鯖尾をしばし凝視した。
頭をかく。
なんとなく隣の神部に振り返ると、神部も同様の顔をしていた。
「あ~……。何て言やあ良いんだコレ。とりあえずお前、さっきからなに一人で盛り上がってんだ」
旭は呆れた気分そのままに言った。
「つーかお前、なに若者代表みたいな口振りで語ってんだよ。お前ももう三十過ぎだろうが。本当に若ぇ奴からすりゃお前も充分にオッサンだっての。三十路ヅラ下げて、なーにが若者世代だよ。恥ずかしい奴だな」
その言葉にうんうん頷きながら、神部も口を開く。
「さっきから何の話してんのか分からねえけどよ。鯖尾くん、だっけ? 要するにあんた、仕事じゃ月城さんには敵わなかったって解釈でいいのか」
なに、と目をむく鯖尾に冷めた目を向ける。
「月城さんのことがウザかったって言ったな。ウザけりゃその効率的なやり方とやらで、あんたが成果を出して見せりゃ良かったじゃねえか。何でやらなかったんだよ。……できなかったんだろ? 口先ばっかりで、けっきょく月城さん以上の成果を出せなかったんだろ? 仕事を戦争だって言うんなら、あんた負けたんだよ、月城さんに」
「………………」
「しかも、その有能な月城さんがせっかく手取り足取り丁寧に教育してくれたってのに、何も理解できてないときた。月城さんが負け犬なら、あんたはその負け犬にすら勝てねえ無能なバカ犬だよ」
「よう月城! もういいじゃねえか。要するに今からこのサバ野郎ブッ飛ばすんだろ? 手ェ貸してやる」
「俺もだ。こういう自分を優秀な人間だと勘違いしてるバカを見てると、イライラするんだよ。手伝うぜ、月城さん」
構える旭と神部。
鯖尾はこめかみに青筋を浮かべて吐き捨てた。
「あーウゼぇウゼぇウゼぇ! 年寄りの負け犬世代がまじウゼぇ! もう面倒くせえわ、老いぼれは全部まとめて死ねやーーーッ!」
旭が駆け出し、鯖尾の手下の一人に向けて飛び蹴りを入れる。
それを皮切りに戦いが始まった。
飛び蹴りは防がれたが、体勢を崩した相手の腹に追撃のボディブロー、とどめに顔面を殴り飛ばす。
神部は別の一人と取っ組み合う。そこへ番場が背後に回り、首に腕を回して締め上げる。仲間を助けようと番場の背後に迫る男めがけて、今度は神部がタックルでぶち当たる。
月城と黒服たちも飛び込んできた。
鯖尾を含めた六人と、旭・月城の陣営八人が真正面から激突する。
旭が横からタックルを受けて床に押し倒される。マウントを取られ、振り下ろされた拳を辛うじて防ぐ。相手はさらに追撃の拳を振り下ろそうとしたが、駆けつけた番場の強烈なラリアットを側頭部に受け、のけぞって倒れる。
ビール瓶を割って鋭利な割れ口を向け合い、牽制し合う半グレの男と黒服。そこへ神部が背後から忍び寄って半グレを羽交い締めにする。意図を察した黒服は、すかさず瓶を放り出して顔と腹に連打を叩き込み、半グレを床に沈める。
椅子を振り回す男の一撃を受け、後退する番場。さらに追撃しようと男が椅子を振りかぶったところで、ガラ空きになった脇腹めがけて黒服が回し蹴りを叩き込む。体をくの字に折って苦悶する男の顔面を、走り込んできた旭が勢いそのままに殴り飛ばし、男を文字通りに吹き飛ばす。
これが利害の一致か。旭・月城の即席連合軍は、事前に申し合わせたわけでもないのに二人がかりで一人に当たり、鯖尾の兵隊を一人一人確実に潰して行った。
そんな中、月城は一直線に鯖尾に向かって行った。
飛び込み横蹴りからの鋭いローキック。ワンツーからの脇腹、鳩尾(みぞおち)へと繋ぐ四連撃。さらに頭を両手で掴み、無理やり引き寄せて膝蹴りを叩き込む。
「ブフゥ!」
鯖尾は鼻血を吹いて後退した。
「っの、ダラァ!」
鬼の形相で大振りのパンチを繰り出すが、月城は左にスウェーして簡単にそれをかわし、その背中に蹴りを入れる。鯖尾はつんのめって床に倒れた。
ちくしょう、と吐き捨てて身を起こし、振り返る鯖尾。
だが振り返った次の瞬間、再び床に叩きつけられていた。月城は相手が立ち上がるのすら待たず、サッカーのボレーシュートのように鯖尾の頭を蹴り抜いたのだ。そこに、蹴ったのは人間の頭部だという躊躇はいっさい無かった。
「月っ……て、め……!」
言わせない。
何もさせない。
鯖尾は明らかにケンカの素人だった。それに対し、月城の動きは明らかに格闘技経験者のものだった。
経験者が、最速最短で素人を壊しにかかっていた。それはもはやケンカと呼べるものですらなく、一方的な蹂躙であった。
一方、旭らによる鯖尾の手下の掃討も大勢が決しようとしていた。
「おら……よぉ!」
すでに逃げ腰になっていた最後の一人の腹に、番場の重い拳が沈み込む。
体をくの字に折って悶える男の腕を取り、神部が自分を軸にして回転し、男を振り回す。
「旭ッ!」
神部の呼びかけにその意図を察して、旭は駆け付ける。振り回されてきたタイミングに合わせ、男の顔面に渾身のパンチを叩き込んだ。回転の遠心力と、旭の全体重を乗せたカウンターのブン殴り。男の体は一瞬宙に浮き、背中から床に落ちてビクビクと痙攣し、動かなくなった。
集団戦は単純な引き算ではなく、人数が多ければ多いほど圧倒的有利になるのは、大昔からの人の戦いで証明されている。
即席連合軍の人数の有利はそのまま戦局に反映され、終わってみればこちらは一人の損害もない。
圧勝であった。
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