9.

「逃げましょう!」

戦局が決したところで、冴木が旭に呼びかけた。

「警察が来ますよ、巻き込まれたら面倒です。今ならまだ避難した一般客に紛れて脱出できるかもです!」

もっともだった。

神部らとうなずき合い、エレベーターへと走り出す。

しかしレストランから出て行こうとした旭の視界の隅に、引っかかるものがあった。

「………………」

月城が、鯖尾に馬乗りになって殴り続けていた。

後の面倒のことなど思いつきもしていない様子で、執拗に拳を振り下ろし続けている。いい加減やりすぎと感じたのか、黒服の一人がやめさせようと腕を掴むが、それを振り払ってさらに殴る。他の黒服も手を貸し、もみ合いになっていた。

「旭さん何やってるんですか、行きますよ」

エレベーター前の冴木が呼びかける。

旭はそれには答えず、冴木の隣に立つ鈴華に向けて言った。

「悪ぃ、鈴華。おまえ先に行け」

「えっ」

「俺がいなくても、みんながいるから安心だろ。俺ぁ、ちょっくら月城と決着つけてくるわ」

え、と呟いて言葉を失くす鈴華。

冴木が慌てて言う。

「ちょっと何言ってるんですか。警察が来たら捕まっちゃいますよ。捕まらなくても、取り調べに巻き込まれて面倒なことになりますって」

「分かってる。だからみんなは鈴華を連れて先に逃げてくれ。こいつは俺の、単なるわがままだからよ」

鈴華は首を横に振った。

「おじさんが行かないなら、私も残る」

「ダメだ。お前は行け」

「なんで」

「俺はお前の親父さんから、お前を無事に東京に送り返すって約束してんだ。よそ様のガキを警察沙汰に巻き込むわけには行かねえからな」

「納得いかない」

「お前が納得するかどうかなんて聞いてねえよ」

鈴華の顔が、みるみる不機嫌になった。

頬を紅潮させて旭を睨みつけ、何度か物言いたげに口を開きかける。

しかし結局何も言わず、プイッと横を向いてしまった。

「旭さん、言い方」

冴木が呆れたようにたしなめてくる。

「少しは鈴華ちゃんの気持ちも汲んで下さいよ。そんな言い方ってないでしょう」

「だって残ってる理由がねえだろ。お前が言ったんじゃねえか、もうすぐ警察が」

「そういう問題じゃないんです。女の子がそういう不利益を承知で残りたい理由なんて、一つしかないじゃないですか。旭さんがモテない理由がよく分かりますね」

「へ? ……あ」

そう言われて初めて理解できた。

鈴華を見る。すっかり機嫌を損ねてしまったらしく、目も合わせてもらえない。

「あ~。悪ぃ」

かたくなに顔を背け続けるその仕草がやけに子供っぽく感じ、いけないと思いつつ苦笑してしまう。

エレベーターが到着し、扉が開く。

旭は苦笑を浮かべたまま、鈴華の両肩を押してエレベーターに追いやった。

「ひどい。横暴。理不尽」

「悪ぃ」

「なんでダメなの」

「ん~……」

旭は少し考え、それに答えた。

「何て言うか。俺、昭和の男なんだわ」

我ながら、これで分かってもらえるとは思えなかった。

「意味分かんない」

そして、元より分かってもらおうとも思っていなかった。

鈴華の反抗を無視して、旭は番場に振り返って頭を下げる。

「すんません番場さん。こいつのこと、お願いできませんか」

「旭よ。お前いつの間にそんな口が達者になったんだ」

番場はニヤリと笑みを返してきた。

「昭和の男ときたか。そんなこと言われちゃ断れねえじゃねえか。いいぜ、行って白黒つけて来いや」

ガハハと笑い声を上げながら、エレベーターに乗り込む番場。

冴木が溜息混じりに首を横に振る。

「ここでみんなで下に降りれば、この後ホテルで祝勝会でもやれるのに。どうしてこう面倒くさいのかしら。なにが昭和の男なんだか」

「悪ぃな。鈴華のこと、頼むわ」

エレベーターに乗った冴木は、続いて乗り込もうとしていた神部に目をやる。

ここにいるメンバーの中で、冴木だけが気付いていた。先ほどから神部が、何か言いたげに旭の方を見ては考え込んでいた事に。

目が合った神部に向けて首を傾げて見せる。その意図が伝わったかは不明だが、神部は目を瞬かせた。

「………………」

「どうした神部。早く行けよ」

呼びかける旭を無視して、神部はしばし冴木と無言の会話を続け。

やがて諦めたように息を吐いた。旭に振り返り、皮相な笑みを浮かべる。

「女子高生より四十過ぎのオッサンに構うのかよ。やっぱお前、頭おかしいわ」

「放っとけよ」

「いいや、放っとかねえ」

そう言って乗り込みかけたエレベーターを降りてしまった。

「俺も残ります。番場さん、嬢ちゃんと冴木、よろしく頼みます」

突然の宣言に旭は驚くが、

「やっぱそう来たか。分かったよ、行ってこいガキども」

対照的に番場は不敵に笑い、冴木もその宣言に薄く微笑んでいた。

エレベーターのドアが閉まり、地上へ向けて降り始める。ドアが閉まる直前の、鈴華の訴えかけるような眼差しに、少しだけ罪悪感を覚えた。

残ったのは、旭と神部の二人。

「良かったのか?」

尋ねると、神部は迷いなくうなずいた。

「……お前と一緒に来て良かったよ、旭」

「え?」

「やっぱ俺もさ、ずっと心のどこかで思ってたんだよ。こんな人生つまらねえって。もっと充実した人生を過ごしてえ、生きてる実感を味わいてえって。……この三日間さ、楽しかったんだ。嬢ちゃんには悪いが、生きてるって実感をちょっとだけ味わえてよ、それが嬉しかったんだ。こんなことでもなきゃ、一生不完全燃焼のままだったと思う」

階数を減らしていくエレベーターのランプを見上げたまま、しみじみと言った。

「もう四十過ぎまで生きたからよ、分かるんだ。こんなドラマ、人生で二度とねえ。ここが俺の人生の天辺てっぺんだってな。だったらここで、人生で一番熱くなってみてえ。真っ白な灰になるまで思いっきり燃え上がってみてえ。おかわりがあるのなら、食いつかねえ手はねえだろうがよ」

そう言って笑う神部は、今まで見たことがないほど生気に溢れた目をしていた。

旭は嬉しくなって、大きくうなずいた。

「よく言ったぜ相棒! そうともよ、やっぱ熱い戦いに魂焦がしてこその男だぜ! 女子高生なんぞとママゴトやってるより、よっぽどアガるぜ。これが昭和男児の生き様ってもんだ!」

笑って肩を小突き合い、気合いを入れ直す。

「よっしゃ、行くか旭」

「おうよ、行こうぜ神部!」

そしてエレベーターに背を向け、レストランへ引き返して行った。


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