3.
「ぶへー」
番場と二人で空に向かって紫煙を吐き出し、旭は疲れ切った声を上げた。
まず袴、続いて晴れ着、そして二着目の袴の試着が始まった所が限界だった。
喫煙者である旭と番場は店を抜け出し、最寄りの酒屋の店先に来ていた。
「信じらんねえ……あいつら何で休憩もなしに延々と出来るんだ」
「分かんねッス。たぶん女ってのは、俺らとは違う生き物なんスよ」
さすがの番場もゲッソリとしている。
店員も含めた女性陣は楽しそうだったが、男からすれば何もやることがないまま、ひたすら待ちぼうけである。しかもそれでスマホでもいじろうものなら「せっかく女の子がお洒落してるのに云々」と説教された挙げ句、再びコメントを強要される例のパターンだ。控えめに言って地獄であった。
「にしても、こんな所にタバコ吸える場所があるとは知らなかったッスよ。助かりました、番場さん」
旭は振り返って店の看板を見上げた。
昔ながらの個人経営の酒屋で、『大谷酒店』と大きく掲げられている。
「ここの酒屋、夜には角打ちやってんだよ。だから灰皿も置いてあんのさ。角打ちだから安く上がって良いぜ、ここ。顔なじみになりゃあ、たまに珍しい酒も飲めるようになるしな」
「へえーっ、なんか良いッスねそういうの。昭和って感じで」
「だろ? だから俺もここにはちょくちょく顔出すんだよ」
どうやらここも番場の行きつけの一つらしい。道理で知っているわけである。
煙を吐き出し、番場は目を細めて周囲を見渡した。
「昔はこの辺も、そういう店ばっかりだったんだよ。灰皿もそこらじゅうにあった。夕方ともなりゃ、電柱のスピーカーから歌謡曲が流れてな。みんなタバコぷかぷか吹かしながら、この道を行ったり来たりしてたんだ。どっかで喧嘩でも始まりゃ、良い余興ってもんよ。みんなで笑って囃し立てて、店の店主が胴元になって当たり前みてえに賭けが始まってなぁ」
「今じゃ有り得ねえッスね。喧嘩なんか始まったらすぐ警察が飛んできて、場の空気が悪くなっちまう」
「これが時代ってやつなのかねえ、昔を知ってる人間からすりゃ寂しいもんだ。なんでこうもつまんねえ世の中になっちまったんだか」
「神部あたりに聞きゃ、そのへん詳しく説明してくれますよ。大泉内閣の構造改革がどうとかって」
「ああ、あいつの話は小難しくていけねえ」
違いないと旭も笑い、短くなったタバコを灰皿に押しつけた。
「さてと、戻りましょうか。これでも一応ボディガードだし、あんまり護衛対象を放ったらかしにするわけにも行かねえんで」
「まーたあそこに戻るのか。ボディガードって、やっぱ大変な仕事だったんだなぁ。ま、今夜を楽しみに頑張るとするか」
酒屋の前を離れ、来た道をたどって貸衣装屋へと向かう。
二人で話しながら角を曲がって―――― のんびりした気分はそこまでだった。
怒声が聞こえる。
遠くの店の前で、神部が三人の黒服に囲まれ袋叩きに遭っているのが見えた。
「この……っ!」
旭は弾かれたように駆け出した。
月城の手下に違いない。どっかで見張ってやがったか。手薄になったところをやられた。やっぱ俺と番場さん、二人もいっぺんに離れるべきじゃなかったか!
もみ合っているところへ跳び蹴りで割り込む。かわされたが、神部を黒服たちから引き離すことには成功した。
「神部、大丈夫か!」
「痛ってえなクソ……俺はいい、嬢ちゃん達だ! 中にもいるぞ!」
三対二で取っ組み合いになる。
こいつらは足止めというところか。くそっ、早く中に行かねえといけねえのに!
そこへ遅れて番場が到着した。二人がかりで旭に組み付いていた黒服の一人を、力づくで引き剥がす。
「おう、ずいぶんセコい真似しやがるじゃねえか。ブッ飛ばしてやる!」
その豪腕で黒服の胸ぐらを引きつけ、強引に一本背負い。アスファルトに叩きつけられた黒服は悶絶してのたうち回った。
旭の前に立ち塞がる男に神部がタックルし、腰に手を回してしがみつく。
「早く行け旭、冴木だけじゃどうにもなんねえぞ!」
旭はうなずき、二人にこの場を任せてビルの中に駆け込んだ。
貸衣装屋に飛び込むと、店内では一人の黒服に冴木がしがみ付いているところだった。壁際に店員が呆然とした顔でへたり込んでいる。
旭の姿に気付くと、黒服は取り縋ろうとする冴木の頬を張って強引にその手を振り払った。冴木は小さく悲鳴を上げて倒れる。
「冴木!」
駆けつけて抱え起こすと、冴木は赤くなった頬を押さえて涙目になりながら、それでも黒服が逃げて行った社員通用口を指差して叫んだ。
「私はいいです、追って下さい! 鈴華ちゃんが連れて行かれました!」
冴木は心配だったが仕方がない。旭は再び駆け出した。
通用口に入って細い通路を走り抜け、突き当たりにあった下り階段を降り、その先にあったドアを開け放つ。
ドアの向こうは地下駐車場であった。
ちょうど旭が来たのと同じタイミングで、一台の車が猛スピードでスロープを上がって地上へ向かって行ったのが見えた。
駐車場内は騒然としていた。
黒服と、半グレのような十数人の男たちが入り乱れて殴り合っている。怒号が上がり、掴み合い、倒し倒されの大喧嘩だ。
「な、何だこりゃあ……」
呆然と呟く旭の視界の隅に、見知った顔が引っかかった。
月城だ。周囲の争乱から逃れるように、今まさに黒塗りの後部座席に乗り込もうとしている所だった。
「月城!」
叫ぶと同時に猛然とダッシュする。
月城は声に反応して振り返るが、こちらの姿を認めると舌打ちして乗り込み、ドアを閉めてしまう。
車が動き出したところで、間一髪で間に合った。
バックして方向変換しようとする黒塗りの後部ドアを開け、目をむく月城に掴みかかるようにして、旭は後部座席に飛び込んだ。
「月城てめえ! 鈴華返せこの野郎!」
「放せ貴様……っ! ああクソッ、いいから行け! 早く追え!」
旭と胸ぐらを掴み合いながら、月城は運転席に向かって叫ぶ。
黒塗りが急発進した。
猛スピードでスロープを上がり、地上の道路に出る。
後部座席でもみ合う旭と月城。車内を見回し、旭は怒鳴った。
「あ? どこだよ鈴華は! てめえどこに隠しやがった!」
「頭沸いてるのか貴様、こんな狭い車の中で隠せる場所などあるか! こっちには乗っていない!」
「じゃあどこに居るんだよ! てめえが攫ったんだろうが!」
「俺じゃない、向こうだ!」
月城は前方に顔を向ける。
「ええい、いい加減どけ。重い」
旭を押しのけて身を起こし、遙か前方を走るシルバーの車を指差した。
「あれだ。お嬢さんはあの車で連れ去られた。俺はそれを追おうとしていたんだ」
「どういうことだよ。あれはお前の部下じゃねえのか」
「俺の部下なら追う必要など無いだろうが。バカか貴様」
「じゃあ誰なんだよ!」
「知るか!」
シルバーの車は車線変更し、都市高速へ上がろうとしていた。
「上道に上がるぞ」
「見れば分かる。急げ、絶対に見失うな!」
月城が運転手に怒鳴り、黒塗りも都市高速へ上がる。
福岡の中心街を眼下に、カーチェイスが始まった。
前を走る車を右に左にかわし、黒塗りは猛然とシルバーの車に追いすがる。
「お前以外にも鈴華を狙ってる奴が居たってことか? 一体どこのどいつだ!」
「だから知らんと言っているだろうが、ちょっと黙っていろ!」
そのとき旭のスマホが音を立てて震えた。
神部からだった。
「はいもしもし! 神部、無事だったか!」
「お前どこにいるんだよ! 地下の駐車場はメチャクチャだしお前の姿はねえし、どうなってる!」
「悪ぃ、俺もワケ分かってねえ。とりあえず今は、月城の車で鈴華を攫った奴を追いかけてる所だ」
「月城の車で……って、はあ? お前、いま月城と一緒にいるのか? なんでそうなるんだよ」
「いろいろあったんだよ。鈴華攫ったのは月城じゃなくて別の奴らしくて、今そいつを追いかけてる。これ以上のことは聞くな、俺も分かんねえから!」
電話の向こうで神部が別の人間に話しているのが聞こえる。おそらく冴木と番場もそこにいるのだろう。
「くそっ、よく分かんねえが分かったぜ。とりあえず俺たちも追いかけるから、どこに向かってるのか教えろ」
「いや分かんねえって。そんなもん、それこそあのシルバーの車次第……いやちょっと待て」
言いかけた旭は、前方に見えてきた巨大な文字を睨みつけて表情を引き締めた。
「空港だ。何だ、奴ら飛行機でも使う気なのか」
福岡の空の玄関口、博田国際空港が眼前に迫ってきていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます