12.
「ずいぶんとその大先生に入れ込んでる様だが、実際ロクでもねえ奴だぞ? さっき言ってた博田湾岸の再開発だがな。埋め立て地にピカピカの商業施設をたくさん作って、最初はその物流を俺たち地場の運送業者に任せてくれるって話だったんだ」
番場は当時の状況を語った。
県議員に立候補した別所井は、選挙活動で後援会の各企業に約束していたのだ。大型複合商業施設を作ることにより人流を集め、多くの需要と雇用を生み出す。後援会の皆様は大口の仕事がたくさん受注できるようになる。みんなが豊かになれる。みんなで力を合わせて福岡を発展させようと。そう聞いた地場の労働者たちは、喜んで別所井に投票した。
ところが、いざ商業施設が出来上がってみると、別所井は手のひらを返して東京の大手の運送会社と契約したのである。大口注文はすべて東京の大手に吸い取られ、地場の会社には儲けの少ない残りカスのような仕事しか回って来なかった。
「それで先代は怒って後援会を抜けたんだよ。先代だけじゃねえ、あの時は地場の製造業とか農家とか、だいぶ抜けたんじゃなかったかな」
「それはお気の毒でした。しかし先生は福岡の発展という大きな視点で物事を見なければならず、時として清濁あわせ呑む事も必要だったんです。結果、一部の方々のご期待には応えられなかったということ。その点は、何卒ご理解頂きたいと思います」
「そんな通り一辺の理屈で納得できるわけねえだろ。さっき兄ちゃん、別所井は大きな志を抱いて国政に打って出たって言ったな。笑わせるぜ。奴はあの一件で、地元からの信用を失ったんだ。もう福岡じゃ選挙に勝てねえから、東京に逃げたのさ」
今にして思えば、最初からそういう筋書きになっていたのだろう。
博田湾岸の再開発で新たに生み出される莫大な利益。本来なら地元福岡を潤すはずだったそれを東京に差し出す代わりに、別所井には東京で国政に進出するチャンスを与えると。
「分かるか。奴は自分の出世のために、地元を売りやがったんだ」
「まあ、そういう解釈ができるのは確かですね。先生もお忙しかったのか、地元の方々の誤解を解けないまま東京へ旅立たねばならなかったのは、無念であったことと思います」
「何が誤解だ、俺たちが勘違いしてるみてえに言うんじゃねえよ。本当、政治家ってやつはそういう物の言い方するよな、誤解だとか解釈違いだとかよ。兄ちゃん、のらりくらりと話をかわす舌先だけは、もう政治家みてえじゃねえか」
月城にあしらわれているにも関わらず、番場はそれを面白がるように笑っていた。
後を継いで、今度は神部が口を開く。
「再開発の件だけじゃねえ。ちょっとネットで調べただけで、疑惑はボロボロ出てくるぜ。こっちもクリーンな政治家なんてハナから期待してねえけどよ、それにしたってかなり悪質な部類なんじゃねえか、この別所井って爺さんはよ」
「政治家ともなれば、あちこちから根も葉もない疑惑を立てられるのは世の常だ。しかし実際問題、先生は起訴されたことも逮捕されたこともない。噂はしょせん噂に過ぎないということだ」
「火のねえ所に煙は立たねえって言うぜ」
「庶民というのはすぐそれだ。明確な根拠もないのに、ただ色んな噂が立っているからというだけで、漠然と先生に悪いイメージを持つ。たとえば、それが先生の政敵が仕掛けるネガティブキャンペーンであるという可能性を考えないのか。疑惑に思うのなら、どうして真剣に先生のことを調べようとしない。調べもせずに、本人と真剣に向き合うこともせずに、安易に噂の方を信じる。庶民はいつの時代も怠惰で愚かだ」
神部は笑った。
「すげえ上から目線のコメント来たな。お前はいったい何様だよ。マンガの悪役みてえなコテコテのエリート意識じゃねえか」
「こんなこと言わずに済むのなら、俺とて言いたくはない。だがそう言いたくもなるのだ、お前達のような人間を見ていると」
神部に振り返り、月城は不快感を隠そうともせずに言う。
「人の上に立ったこともなく、大勢の人間に対して責任を負ったこともない凡人が、安全な所から訳知り顔で無責任に言いたい放題だ。必死に戦っている者を悪人に仕立て上げて、それで自分は善人気取り、虐げられる可哀相な被害者気取りだ。上から目線をされるのが嫌なら、対等に見られるだけの発言をしてみろという話だ」
うんざりしたように吐き捨て、グラスをあおる。
「そんな不毛な話をするために呼び出したのなら、もう帰らせてもらうぞ。時間の無駄だ」
腰を浮かしかけた月城を、旭が鋭い声で止めた。
「勝手に帰ろうとしてんじゃねえ。まだ肝心な質問に答えてねえだろうが」
「質問?」
「番場さんも最初に言っただろうが。俺たちが聞きてえのは、何でお前がこんなしょうもねえ悪事に手ぇ染めてんのかって事だ。さっきから黙って聞いてりゃ、お前こそ何くだらねえこと話してやがる」
立ち上がり、今度はテーブルに両手をついて身を乗り出し、旭は再び月城に迫る。
「未成年の娘を金で買おうって時点で、そのジジイはクソ野郎に決まってんだろ。そんなクソ野郎に媚売ってまで、政治家ってのはそうまでしてなりてえモンなのかよ、ああ?」
いきり立つ旭に、月城はため息をついた。
「やはりバカと話しても時間の無駄だな。仕方がない、バカな貴様でも分かるように、敢えてこう言ってやろう。ああそうだ、そうまでしてなるものなんだよ。俺は政治家になる。上に行って、やらなきゃならん事がある。そのためには多少の犠牲は仕方がない」
「てめえ……!」
旭が拳を握りしめるが、そこへ神部が間に入ってきた。
「よせよせ。いま言われたばっかだろ、敢えて分かりやすく言ったって。簡単に煽られてんじゃねえよ」
そして月城に振り返り、尋ねる。
「何だい、そのやんなきゃなんねえ事ってのは」
「貴様らに話してやる義理はない」
「そう言うと思ったよ。まあいいや。しかし月城さん、あんたまさか本気でそんな爺さんのハッタリ、信じてるわけじゃねえよな?」
「……なに?」
「嬢ちゃんを爺さんの前に連れ戻して来りゃ、次の地方選で口利きしてやるってやつ。どう見たって、あんたに汚れ仕事押しつける気満々じゃねえか。もし事が表沙汰になったら、あんたに全責任押しつけてトカゲの尻尾切りするんだろ。そんくらいのことは当然分かってるよな?」
「………………」
月城は沈黙する。
神部は大仰に驚いて見せた。
「おいおい、やめてくれよ。いま話を聞いただけの俺ですら分かるくらい、見え透いたデケェ釣り針なのに。マジか?」
「お前、目ぇ覚ませ! お前がどんなご大層な志を持ってんのか知らねえけどな、現実のお前がやってることは、ロリコンエロジジイの変態プレイのお手伝いだぞ!」
「……うるさい」
押し殺した声で呟く月城。
そんな彼に、神部は諭すように言った。
「その大先生、七十過ぎってことは俺たちの親世代、団塊世代あたりだ。戦後最悪のクソ世代と名高い、あの団塊世代だぞ? 俺たちのガキの頃を思い出してみなよ。大人たちが言っていた事が、正しかった例しがあるか? 必死こいて勉強して受験戦争勝ち抜いて、それで今幸せになっている奴がどれだけいる?」
「勉強が足らん様だな。団塊世代は戦後の高度経済成長の原動力となった世代だぞ。今日の日本の豊かさは、団塊世代の頑張りがあってこそ―――― 」
「って風に言われてるな、通説では。俺に言わせりゃ、とんでもねえ事実歪曲だぜ」
反論しようとする月城の機先を制し、神部は鋭く言い放つ。
「よく考えてみろよ。高度経済成長期、団塊世代はまだ二十代だった。つまり上から言われた仕事をただ一生懸命やるだけの、単なる労働力でしかなかったわけだ。本当に凄ぇのは、その労働力が正しい方向に向くよう采配を振るった、当時の経営者世代。すなわち戦中世代だったんじゃねえかって俺は思ってるんだよ」
その指摘に、月城は嫌なところを突かれたという渋面で沈黙する。
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