13.

神部は持論を展開した。

現在の老人世代―――― 団塊世代およびその周辺の世代は、今日、あたかも高度経済成長期を築き上げた英雄のように言われている。

しかし実際のところはどうだったのだろう。

彼らは、上から言われた仕事を『ただ一生懸命がんばる』ことしかして来なかったのではないだろうか。

当時は皆が車やテレビや洗濯機を欲しがり、商品を作れば作るだけ売れる時代だった。何も考えず、ただ作りさえすれば売れたのである。もちろん商品開発の試行錯誤はあっただろうが、それをやったのは主に彼らよりさらに上の世代、戦中世代であった。彼らの努力の結晶である設計図を見て、単なる労働力でしかない若き団塊世代たちは、設計図通りに商品を作りさえすれば良かったのだ。

旺盛な需要に支えられ、戦中世代が舵取りをし、高度経済成長からバブル景気へ。時代が上り調子だった時はそれで良かった。

しかしバブルが崩壊し、以降日本は三十年も続く不況に陥った。

三十年である。なぜそんなにも長く不況が続いたのか。そのとき会社の経営層や官公庁の重役など、社会の中枢を担っていた者達は、いったい何をしていたのか。

戦中世代はその頃にはもう引退している。日本社会の決定権を握っていながら何ら有効な手を打てず、三十年もダラダラと不況を長引かせた無能な世代は、どこであったのか。

現在の老人世代だったのである。二十代は高度経済成長期、三十代はバブル経済期。ただ一生懸命がんばるだけでどうにでもなった、幸せな時代を生きてきた世代だったのだ。


神部は月城に向かって言う。

「あんたも分かってると思うが、組織ってやつは下がクソでも、上が優秀なら何とかなる。でも下がいくら優秀でも、上がクソなら簡単に潰れるものなんだ。バブル崩壊だのリーマンショックだのピンチもあったがな、インターネットの台頭っていう産業革命級の大チャンスだってあったんだよ。にも関わらず、今の老人世代はそのチャンスをみすみす逃した。激変する世界情勢について行けず、新しいことが出来なかった。結局やった事は、今までやってきた事を『ただ一生懸命がんばる』ことだけだった。その結果が、平成まるまる三十年も続いた不況だよ」

「………………」

「俺たちロスジェネ世代なんて、もろにその失敗のあおりを食った筆頭じゃねえか。若ぇ頃にあんだけ騙されたのに、何であんたは未だにそんな無能世代の年寄りの言うことなんて聞いてるんだよ。良い子すぎるだろオイ」

「……問題をすり替えるな。先生個人の話を、世代論争にすり替えるな」

月城はようやく言葉を返すが、それは旭でも分かるくらい苦し紛れの反論だった。

「まあ、そうだな。極論だった、それは謝るよ」

当然、そんなものが神部に通用する筈もなく、神部はあっさりうなずいて認めた。

「けど月城さんよ。俺達が若かった頃は仕方ねえよ。俺だって社会人なりたての頃は、社会経験豊富な大人の先輩達が、まさかそこまでバカだなんて思わなかったからな。けど今はもう分かってるだろ? いま『老害』なんて呼ばれてる老人どもを見れば分かるだろ? 本当にバカだったんだよ。無能だったんだよ、あいつらは。もう分かってるのに、未だにその老人どもを信じてるなんざ、さすがにそれはあんた自身がバカだと言わざるを得ねえ」

月城は再び沈黙した。

長い、長い沈黙だった。

間合いを切ろうとしたのか、ドリンクのメニューを取り上げかけて、やめる。

「言いたいことはそれだけか」

「月城、お前!」

「話が終わりなら、これで帰らせてもらう」

今度は旭の制止も聞かずに立ち上がる。

「明日こそお嬢さんを返してもらう。貴様ら、もう許さん。それなりの制裁を覚悟しておくんだな」

「明日って、もう明日の花火が終われば、鈴華は放っといても東京に帰るんだよ。ここまで来たら、もう好きなようにやらせてやれば良いじゃねーか!」

旭の言葉に耳を貸さず、自分の伝票だけ持って、さっさと立ち去ってしまった。

月城の背中がドアの向こうに消え、旭は吐き捨てる。

「くそっ、あの偏屈ヤロウが!」

「まあまあ、潮時だったぜ。あれで良いんだよ」

神部は笑いながら番場に振り返った。

「で、どうッスか番場さん。あれが月城って男ですけど」

「なるほどねぇ」

番場は腕組みして、なるほど、なるほどと呟きながら何度も頷く。

その顔には最初の頃から変わらない笑みが浮かんでいた。

「お前や冴木の言ってた通りだな。あの兄ちゃん、悪役向いてねえわ。こうしてちょっと会って話しただけで分かる」

「でしょう?」

「きっと優等生だったんだろうな。何つーか、真面目なんだわ。もしウチの取引先に奴がいたら、まあ信用できる担当だって会社には報告するかな」

太鼓判である。

番場にしては珍しく、初対面の月城がえらく気に入ったらしい。

「なーんかあるんでしょうね。退くに退けない事情みたいなのが」

「そんな感じだな。可哀相に、生きづらそうな人生送ってるぜ。そうまでして政治家なんか目指したって、楽しい人生が待ってるとは到底思えねえがなぁ」

同情的な意見を言い合う二人に、旭はふてくされた。

「何すか何すか、二人して。事情がどうあれ、結局あいつがやってる事はクズっすよ。奴の事情なんざ知った事かってんですよ」

そんな旭に、二人は苦笑するのみで何も言わなかった。

神部が追加注文でもする気になったか、メニュー表を手に取る。

そしてメニューを眺めながら言った。

「あの月城くらいのもんなんだけどな、別所井から嬢ちゃんを助けられる可能性を持ってんのは」

あまりにサラリとした呟きだったので、うっかり聞き逃すところだった。

旭は目をむいて神部に詰め寄る。

「なにっ? 何でだよ」

「情報持ってるからだよ。民権党の別所井が、あろうことか未成年の女子高生に手を出そうとしたって情報を。なにせ指令を受けた張本人だからな。たとえば別所井からの指示文書でも持ってて、それをマスコミにリークでもしてくれりゃ、状況は少しは変わってくる」

「そ、そうか! よーし、なら俺がブン殴ってでも!」

思いがけず見えた光明に、旭は歓喜して立ち上がる。

しかし番場が首をひねった。

「そう上手く行くか? あの兄ちゃんが裏切ったところで、そんなもん別所井には想定内なんじゃねえのか。お前もさっき、トカゲの尻尾切りがどうこうって言ってたじゃねえか」

神部は肩をすくめた。

「そうッス、月城はもう二度と日の当たる所には出られなくなるでしょうね。でも政治家ってのはイメージが大事です。このことが漏れりゃ、世間の目が厳しくなって、別所井は嬢ちゃんには近づけなくなります。……まあそれでも、女子高生とヤるのが諦め切れなければ、別所井は次の獲物を探すでしょうけどね」

「あくまで、嬢ちゃん助けられるってだけか。次の標的になった女子高生には気の毒な話だな」

さらに神部は、鈴華も無傷ではいられないと語る。

世間の目が厳しくなるということは、すなわち鈴華が不特定多数の人間から注目される状態になるということだ。その中には当然、ロクでもない人間も混ざっている。そうなれば、どこの誰が脅威なのか分からない、今よりさらに悪い状況になってしまう可能性だってあるというのだ。

「自分の人生なげうっても、その程度のことしかできないんだ。こんな話に月城が乗ってくるわけないだろ。それなら嬢ちゃん手土産にしてジジイに取り入って、政治家になった方があいつとしては合理的だ」

「何が合理的だ! お前、鈴華の人生を何だと!」

「俺に怒んなよ、状況を説明してるだけだろうが。政界にコネもねえ月城が、今から成り上がって行くためには、そうでもするしかねえんだろ。知らんけど」

「くそっ、俺は認めねえからな!」

一人でいきり立つ旭をほったらかしに、神部は番場に向き直る。

「色々ゴチャゴチャしてますが、いちおう明日で全部終わりです。番場さん、明日はどうします?」

「どうって何だ」

「や、だから嬢ちゃんのボディーガード。今日一日やってみて、もう飽きたりしてねえかなー、と」

「お前は俺を何だと思ってんだ。やるに決まってんだろうが」

番場は即答して神部の頭をはたいた。

「先のことゴチャゴチャ考えるより、目の前の仕事だ。嬢ちゃんに花火を見せるんだよ。あの兄ちゃん、どうやら最後まで諦める気はなさそうだし、明日もまた仕掛けてくるんだろうからな」

「明日が最終日ですもんね。ったく、しんどい一日になりそうッスね。最後まで諦めないとか青春ドラマじゃねえんだから、勘弁してほしいですよ」

話に乗り遅れまいと、旭も口を出す。

「あのサバ野郎だって、あのまま引き下がるとも思えません。あと一日、何としても鈴華のこと守り抜いてやらねえと」

「おっさんが三人も集まって、お姫様を守るナイトごっこか。楽しいねぇ全く」

番場が愉快そうに笑い、「よっしゃ」と膝を叩いた。

「そんじゃあ明日の景気付けだ、もうちょい飲んで行こうや。おう神部、バーテン呼べ、バーテン」

「ええ? 番場さんと飲み出すと長くなるじゃないッスか。俺、この後もう一回温泉入りてえんですけど」

「ちょっとだけだって。ほら、あの兄ちゃんが飲んでたブッシュ何とかってやつ。うまいのか?」

「まあ洋酒がいけるんなら、普通にアリだと思いますよ。もともと大衆向けのウィスキーなんで」

「けっ、月城と同じ酒なんて冗談じゃねえや!」

「誰もお前にゃ聞いてねえよ。好きなの飲みゃいいだろ、面倒くせえな」

状況は一向に明るい兆しが見えないが、それを思い悩んでいても仕方がない。先の不安の前に、まずは目の前の仕事を完璧にこなすこと。旭らトラック運転手は、いつだってそうなのだ。

月城が去った後も三人はしばらく残り、ホテルのバーを満喫するのだった。


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