11.

月城は空いていた椅子に座る。旭と向かい合う席だ。

そして注文を取りに来たバーテンに慣れた様子で注文する。

「ブッシュミルズ。十二年。ロックで」

バーテンが下がってから、まず神部が口を開いた。

「ずいぶん庶民的な酒を頼むんだな。部長補佐なんだろ、もうちょい上等なやつ飲んでるのかと思ってたぜ」

「そういうのは、そうする必要がある時だけやればいい。プライベートの時くらい好きな酒を飲むさ」

「プライベートでアイリッシュウィスキーか。何だかんだ言って洒落たもんだな」

「味や香りもそうだが、ブッシュミルズはその歴史が好きで飲んでいるのもある」

「ああ、なるほどな」

神部がうなずいたのを見て、月城は「ほう」と興味深げに神部を見やった。

「分かるのか」

「アイリッシュウィスキーの中で、一番歴史が古いって話だろ。アイルランド最古の蒸留所で作られてるっていう。いちどアイリッシュウィスキーが絶滅危惧種になった時にも、ブッシュミルズと……あとジェイムソンだったか。たった二種だけ生き残ったんだよな」

「もともとブッシュミルズというのは、その最古の蒸留所がある街の名前だ。しかし博識じゃないか。意外だったな、トラック運転手の中にも教養のある奴が居るとは」

「何が教養だよ。こんなもん、ただの雑学だ。自慢にもなりゃしねえよ」

「よう、何の話してんだ」

旭が尋ねると、神部は肩をすくめて答えた。

「月城さんはアイリッシュウィスキー原理主義者なんだとさ」

月城は喉の奥で笑う。

「原理主義とはうまい事を言う。いいじゃないか、お前とは話ができそうだ。ろくに教養も備えていないバカとは、そもそも話が噛み合わないからダメだがな」

しかし神部は白けた様子で取り合わなかった。

「そりゃお前さんが、相手に合わせる気がないだけだ」

「それはそうだ。バカを相手にしてもマイナスがあるだけで、プラスは無いからな」

「もし本気でそう言ってるんなら、お前さん相当な世間知らずのバカだってことになるが、そういう認識でいいのか」

月城は鼻白んだ顔をする。

バーテンがウィスキーグラスと水を持ってきた。月城は一口飲んで少し水を差し、グラスを揺らして氷を鳴らす。

「ところで、お嬢さんはどうしている」

旭が答える。

「温泉に入ってるよ。今日はお前やサバ野郎のせいで、えらい目に遭ったからな。疲れてんだよ。花火大会は明日なのに、ろくに衣装も決められなかったんだぞ。どうしてくれんだ」

「鯖尾については俺も想定外だった。俺も迷惑しているんだ。苦情なら本人に言ってくれ、俺は知らん」

「それで思い出した。月城さん、昨日の話なんだが。あんた街のチンピラを金で雇って、俺たちを襲わせようとしたか?」

神部の問いに月城は首を傾げる。

「何のことだ」

「ああいや、もういい。てことは、昨日のアレは鯖尾って奴の差し金だったのか。あんたにしちゃあ変だと思ってたんだよ」

「何の話をしている。昨日がどうした?」

「いいんだ、話の腰を折って悪かった。続けてくれ」

そう言って旭を促す。

旭は気を取り直して、テーブル越しに月城に詰め寄った。

「このさいサバ野郎のことなんてどうでもいいんだよ。問題は黒幕のジジイだ。お前知ってたんだよな、鈴華の結婚相手が七十も過ぎたジジイだってことをよ」

「……知ってたら何だ?」

「犯罪だろうが! てめえ犯罪の片棒担いどいて、なに涼しい顔してやがる!」

いきり立つ旭とは対照的に、月城はゆっくりとグラスをあおる。

ウィスキーの香りを確かめるように、たっぷりと間を置いてから逆に問いかけてきた。

「犯罪。どこが犯罪だ?」

「七十過ぎのジジイと十七歳の女子高生だぞ? 誰がどう見たって犯罪じゃねえか!」

「民法では、男性は十八歳以上、女性は十六歳以上で婚姻可能と認められている。両者ともにその条件を満たしている。何も問題ない」

「来年から女は十八歳以上に法律改正されるけどな」

神部が茶々を入れるが、月城は取り合わない。

「それでも可能だ、来年にはお嬢さんも十八歳になるからな。まあ急ぐに越したことはないが」

そこへ番場が口を開く。

「よう兄ちゃん、つまんねえ屁理屈はナシにしようや。俺らが言ってんのがそういう問題じゃねえって事くらい、分かってんだろ」

「……失礼ですが、あなたは? お会いするのは初めてだと思いますが」

「番場ってモンだ。こいつらの、まあ平たく言や親分みてえなもんだ。兄ちゃんもそう呼んでくれて構わねえぜ」

「遠慮しておきますよ、番場さん。あいにく私は、あなたの部下でも子分でもないものでね」

テーブルに肘をつき、番場は身を乗り出して月城に威圧をかける。

「俺らが知りてえのは、何で兄ちゃんみてえなお人が、こんなしょうもねえ悪事に手ェ染めてんのかってこった。聞くところによると兄ちゃん、政治家目指してるそうじゃねえか。そんであの嬢ちゃんを黒幕の大先生に差し出せば、地方選デビューに口きいてもらえることになってるんだろ?」

その言葉に月城は初めて驚いた顔をした。

旭に振り返り、憎々しげに尋ねる。

「それも、お嬢さんから聞いたのか」

「鈴華の親父さんが教えてくれたんだよ。何だ、政治家ってのはガキの頃から知ってる娘を売り飛ばしてまで、なりてえモンなのか。ああ?」

「……お前のような人間には分からんよ」

目をそらす月城に、神部が言う。

「その大先生について調べたんだがな。民権党の別所井、なんとこの福岡出身だそうじゃねえか。元・福岡県議会の議長だ。つっても十年以上前の話みてえだがな」

番場が頷く。

「そうそう、どっかで聞いたことあると思ってたんだよ。俺が高校生くらいの時だったか。市の選挙があった時に、そいつのパンフ読んだことあるぜ。別所井さんのおっしょいクイズ。別所井さんが忙しいとき、昼飯でつい注文するものは」

「野菜天うどん」

即答する月城に、番場はニヤリとする。

「消化が良くて野菜も採れると思い込んでるからってなあ。あまりにアホらしかったんで、よく覚えてるんだよ。市の議員やった後、しばらく県議員やってたんだよな。うちの先代……うちの会社の前の社長だが、後援会に入ってたから覚えてるぜ。同一人物だと知った時は、あの野菜天うどんが出世したもんだって驚いたなぁ」

「先生は市議会議員のときは天仁地下街の拡張計画、県議のときは博田湾岸の再開発計画と、立て続けにビッグプロジェクトに携わられ、いずれにおいても大きな功績を残された。福岡の発展に多大な貢献をされた先生は、県知事に当選確実と言われていたが、大きな志を抱いて国政へ打って出られたんだ」

「今はどうしてんだっけ?」

「現在は環境省のインフラ環境調査部で、要職に就いておられる」

我が事のように誇らしげに語る月城だったが、それを神部は鼻で笑った。

「インフラ環境……何だって? 聞いたこともねえ部署だな」

「省内の大臣官房の中にある調査部門だ。公共事業の事前調査を始めとする各種の調査、自治体や地域住民との交渉・連絡調整などを行う重要な部署だ」

「ちょっと待てよ。その大先生は政治家だろ? 官僚じゃねえんだろ? なんで省内にポストがあるんだよ。ちゃんと国家公務員試験に合格して、資格があるのか?」

その指摘に月城は煩わしげに顔をしかめる。

「……先生は特別顧問だ。部署に必要な助言をしておられる」

「うわ出たよ特別顧問。何だよ、ただの天下りじゃねえか。権力持ってる年寄りが、高ぇ給料と退職金かすめ取るためだけに作られたポストだ。何が顧問だ、専門知識もねえド素人のくせに」

神部は嫌悪感も露わにまくし立てる。

「昭和の負の遺産。老害の極み。何が自治体との交渉だ、ただの宴会係だろうが。それで支払われる高ぇ給料は、国民の血税だぞ。何だお前、そんな老害の言うことなんて聞いてんのかよ」

「他の天下り老人どもと先生を一緒にするな。先生には各省庁や自治体との広大な人脈がおありだ。その調整能力は、余人をもって代え難いものがある。環境省、いや国政に不可欠な御方だ」

「はいはい出ました、『余人をもって代え難い』。政治屋さんの常套句だなぁ」

それはそうだ。代え難いに決まっている。

なにせその老人たちは、自分がオンリーワンであり続けるために、後進を育てることを全くして来なかったのだから。才能ある若い新人が現れても、育てるどころか、逆にその才能が開花しないうちに叩き潰して来たのだから。

「自作自演しといて、なーにが余人をもって代え難いだよ。厚かましい」

「ずいぶんとデフォルメされた単純な認識だな。どこかのネット記事にでも書いてあったのか? 時代劇ではあるまいし、そんなに分かりやすい悪の権力者がいるわけないだろう」

神部の鋭い舌鋒を淡々と受け流す月城。

その様子を面白げに眺めながら、番場が口を開く。

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