10.

今日の行動はすべて諦め、早々にホテルへと引き上げた。

冴木は「今日は大変だったから」と温泉付きの豪華なホテルを予約しており、チェックインと同時に鈴華を温泉へ連れて行く一方、神部に貸衣装の返却を命じた。

「オッサンが女物の袴衣装とか、どのツラ下げて返しに行けばいいんだよ……」

神部は苦り切った顔で、しかし従順に命令に従っていた。

午後いっぱいをホテル内の施設で過ごし、そしてレストランで早めの夕食を取った。


「だはははは! 何だよこの格好、傑作じゃねえか!」

スマホを眺めながら番場と神部が爆笑している。

その隣で旭はふてくされていた。

「しょうがねえっしょ、俺だって必死だったんスよ。いちいち格好なんて気にしてられるかってんだ」

二人が見ているのは夕方のニュースの切り抜き動画だった。

空港での騒動を誰かが撮影していたらしく、旭が上昇するヘリの足にしがみついている姿が話題になっていたのだ。

「枝から落ちそうなコアラかっつーの、ぎゃはははは」

「もしくは母親にしがみついてる小猿な。ヘリが平気な顔して普通に上昇してってるのがツボるな」

遠景からの撮影だったため、人らしきものがぶら下がっている、程度にしか分からないのが不幸中の幸いだった。

ニュースのテロップにも「人?」とクエスチョンマークが付いているし、動画のコメント欄にも「ゴミ袋が引っかかってるだけじゃないか?」といった懐疑的な意見がちらほら見られる。これなら旭個人が特定される心配はないだろう。

「で、でも助けに来てくれた時のおじさんは、ちゃんとカッコ良かったから」

「ちゃんとって何だよ……」

鈴華が一生懸命にフォローしてくれているが、下手くそである。

「旭さんが非常識なのは知ってましたが、これはさすがに無茶苦茶にも程がありますよ。本当に死ぬところだったじゃないですか。反省してるんですか?」

唯一、冴木だけが常識的な反応をして怒っていた。

「いや、そん時はもう絶対に逃がすかって必死でよ。でも俺が追いかけてなきゃ、鈴華は今ごろ東京に連れ戻されてたんだぞ。念願の花火も見られずに、そんなの可哀相じゃねえか」

「それはそうなんですけど。でもだからって、やる事が」

「まあまあ、こうして無事だったんだから良いじゃねえか。おう旭、あっぱれだったぜ。俺は誉めてやる」

「番場さん、いまクッソ笑ってたじゃないッスか」

「面白ぇんだから笑うのはしょうがねえだろ。冴木もよ、そうカリカリすんじゃねえや。せっかく社員が手柄立てたんだ、総務部長として誉めてやってもいいんじゃねえのか?」

「……だから私、総務部長じゃありませんってば」

鷹揚に間に入ってきた番場が、改めて動画を再生しながら言う。

「しっかし確かに、命綱もなしに飛んでるヘリの足にしがみつくたぁ、どえらい真似したもんだな。どんな感じだったよ」

「もう二度とやりたくねえッス。とりあえず下だけは絶対見ねえようにしてました」

「だろうな。いいなぁ、若えってのは。そんな冒険ができてよ」

「若えってですね。俺もう四十越えてんスけど」

「若造じゃねえか」

「……いや、まあ……はい」

番場にかかれば、大抵の人間はみな若造である。

隣から神部も感想を述べる。

「まあ無事だったって分かってる今だから、言える事かも知れねえけどよ。ちょっと羨ましいぜ。この歳になってまだそんなド派手な経験ができるなんてよ。こんなハリウッド映画みたいな経験できる奴なんて、そうそう居ねえぞ?」

「そう思うんなら代わってやるよ」

「丁重に御免こうむるね。お前みたいなバカでもない限り、そんな真似できるわけねえだろ。常識的に考えて」

「お前、誉めてんのか貶してんのかどっちなんだよ」

鯖尾の登場、月城との共闘、そしてヘリに乗り込んでの上空での戦い。旭の大冒険でひとしきり盛り上がり、食事もあらかた片づいた所で、不意に番場が言い出した。

「ところで旭よ。お前、この後ヒマだよな」

「ええ。まあせっかくの温泉なんで、寝る前にもうひとっ風呂浴びようかとは思ってますけど」

「後にしろ。この後お前、あの月城って野郎を呼び出せ」

「えっ?」

「どんな奴か、ちょっと話してみてえ。呼び出せ」

驚いて周りを見回すと、鈴華は同じように驚いた顔をしているが、神部と冴木は落ち着いていた。どうやら彼ら三人の間では話がついているらしい。

「いや、急にそんなこと言われてもですね。会って何話すんスか、あいつ敵ですよ」

「本当に敵なのかどうか分かんなくなってきたから、ここらでちょっと本人に聞いてみようって事になったんだよ」

神部がそう答えた。

「どういうことだよ」

「昨日、嬢ちゃんの親父さんが情報流してくれたろ。あれから色々調べたのさ。これまでの奴の行動も加味して、疑問が沸いてきたってこった」

「個人的な意見ですけど、私にはあの人って、悪い人には見えなかったんですよ。良い人が頑張って悪者ぶってるって言うか……まあ単純に会った感想でしかないんですけど」

冴木もそう口を添える。

最後に番場が自信満々にふんぞり返って言った。

「そこでだ。ここは一丁、この俺様が直々に面接してだな、どんな奴か見極めてやろうってわけよ」

傍目には爺さんがただ威張っているようにしか見えないが、これでも番場の人を見る目については、マチダ運送の内部でも定評がある。

あらゆる取引先と付き合いがあり、広大な人脈を築いてきたその膨大な経験値が成せる術か、番場が「あいつは使い物にならねえ」と言った新人はほぼ半年以内にやめていくし、番場が「あの会社は伸びそうだから仲良くした方がいい」と言った取引先はその後、大口の発注をしてくれたりする。

その番場が、月城という男をどう見るか。確かに興味は沸く。

「でも俺、あいつの連絡先なんて知らねえッスよ。言ったところで来るかどうか」

「電話番号なら嬢ちゃんのスマホにあるだろ。それに今日はお前がいなきゃ、鯖尾って奴に嬢ちゃん奪われるところだったんだろ? 奴はお前に借りがある。俺の見立てじゃ、そこを突けば奴は出てくるはずだ」

「本当かよ……」

神部の弁に半信半疑の呟きを漏らしながらも、こうして旭は月城を呼び出すこととなった。





「今回だけだぞ」

神部の見立て通り、月城は呼び出しに応じてきた。

旭、神部、番場の三人はホテルの地下のバーで月城を待つ。席は店の一番奥にある四人掛けのテーブル席を確保していた。

冴木と鈴華も同席したがったが、それは番場が許さなかった。

「男同士が腹割って話そうってんだ、女の出る幕じゃねえや」

昭和感丸出しの言いぐさに、当然のごとく冴木は反発したが、問答無用であった。

「それに嬢ちゃんは、そもそも未成年だろ。バーに入れるわけねえじゃねえか」

つい朝方、廃校になった小学校の前で鈴華を連れてバーに行こうと言っていた事は、すでに忘却の彼方のようだ。冴木はすっかり怒って、鈴華を連れて二回目の温泉に行ってしまった。

「………………」

「………………」

「………………」

夕食時と打って変わり、三人の男たちは険しい顔で、それぞれ手にした酒を黙々と口に運ぶ。

もともと夕食時の陽気な振舞いが演技だったのである。

「胸糞悪ぃ。孫みてえな年頃の娘に、なに欲情してやがるんだクソエロジジイが。脳みそブッ壊れてんじゃねえのか」

番場が吐き捨てる隣で、神部はグラスを握りしめて歯をギリギリと軋ませている。

「七十過ぎってことは、団塊世代か……またあの世代か……。俺達だけに飽き足らず、孫の世代までしゃぶり尽くそうってのか……っ!」

ゴルフ場で合流してホテルにチェックインした後、旭は隙を見て鈴華の本当の結婚相手のことを神部らに話した。

驚いたことに、冴木はすでにそれを知っていた。最初に鈴華から聞いていたらしい。冴木は黙っていたことを謝罪し、旭らに懇願した。

「せめて私たちと一緒に居る間は、鈴華ちゃんの思い出を楽しいものにしてあげて下さい」

その思いを汲んで、夕食時には旭の動画でバカ笑いした。しかしそれで怒りが消えるはずもない。

とりわけ神部の怒りようは激しかった。全身から怨嗟の念を沸き上がらせながら、しきりに「またあの世代か」と繰り返している。よく分からないが、なまじ知識がある分、余計に怒りが助長されるような何かがあるのだろう。

旭はひたすら出入口のドアを睨みつけていた。

グラスを少しだけ傾け、口の中を湿らせる。ウィスキーの強い香りが鼻孔を突き抜けて行く。先ほどから何度も繰り返しているが、口の中は湿らせたそばから乾いていくような気がした。

やがてドアが開き、ネイビーブルーのスーツ姿の男が姿を現す。

月城だった。目が合うと、感情の伺い知れない無表情で真っ直ぐ歩いて来る。

「お招き頂き光栄です、とでも言えばいいか」

「どうでもいい。……まあ座れや」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る