9.
「……ってな感じでよ、まあひどいもんだったんだよ。俺ぁ自分のことばっかりで、人の気持ちとか何にも分かんなくてなぁ」
旭は正面の林を見つめたまま笑った。
恥ずかしくて、とても鈴華の方を向いて話せなかった。
本当にひどいものだ。何てザマだろう。
一体いつの話をしているのか。俺の高校時代なんて、こいつが生まれるより前の話だぞ。こんな話はとっくに時効、賞味期限切れだ。分かっている。青春の苦い思い出を語るには、余りに歳を取り過ぎた。
しかしそれでも言うのだ。
敢えて無様を晒す、それが俺なりの誠意の示し方だと思ったから。
「それから自分なりに気を付けて、周りに気ぃ配るように心がけて生きてきたつもりだが、やっぱり分かんねえ。助けてほしけりゃ助けてくれって言ってくんなきゃ、俺には分かんねえ。その代わり、俺ぁ決めたんだ。もし次に誰かが俺に助けてくれって言ったなら、そん時は何が何でもそいつを助けてやろうってな」
恥ずかしかったが、意を決して隣に顔を向ける。
鈴華はまっすぐな目でこちらを見つめていた。
「そんな俺に、お前は言ったわけだ。助けてくれってな」
「……言ったっけ、私」
「覚えてねえのかよ。まあ、あん時はいきなり月城の野郎が乗り込んできて、バタバタしてたからな。言ったんだよ。俺に向かって『助けて』って」
たったそれだけで、ここまでやるのか。たった一言、私がそう言っただけで。
鈴華はそういう顔をしていた。
そうだろうな、と旭も思った。確かに自分の行動は常軌を逸している。他人の目から見ればおかしいのだろう。
だが事実として、やる価値のある事だったのだ。少なくとも旭にとっては。
「お前には、いつか礼を言わなきゃいけねえと思ってた」
「お礼? 私に?」
「助けてって言われたら全力で助ける。そう決心したものの、その後誰も俺に助けなんて求めちゃくれなかった。俺を頼ってくれる奴なんて、一人もいなかった。まさかこの歳になってチャンスが巡ってくるなんて、思ってもみなかった」
目を逸らすな。
相手がガキだろうが関係ない。ここは人間として誠意を示すところだ。
感謝を込めて、旭は鈴華に笑いかけた。
「だから……ありがとうよ。お前がチャンスをくれたんだ。本当に感謝してる」
「そんな」
鈴華は慌てて口を開きかけた。
しかし言葉が出てこない。
何か言わなければならないと思うのに、何を言っていいのか分からない。そんな様子で焦ったように何度も口を開いては閉じる。
良い奴だな、と思った。
多少おかしなところもあるが、基本的に善人なのだ、こいつは。
鈴華、知ってるか。
お前くらいの時に体験した事ってな、引きずるんだ。
俺だってまさか高校生のガキの頃に経験した事を、その後二十年以上も引きずるなんて思ってもみなかった。いずれは記憶に埋もれて思い出さなくなるもんだとばかり思っていた。
だが現実は違った。事あるごとに思い出した。仕事してる最中に。休日、街を歩いている時に。布団に入って寝ようとした時に。いつまで経っても消えなかった。こんなの大した事じゃねえ、長い人生でよくある気持ちのすれ違いだって自分で分かっているにも関わらず、だ。
こいつくらいの歳で体験した事は、引きずる。俺はそれをよく知っている。だからこそ、ひどい青春を送っているこいつを何とかしてやりたいと思うのだ。
長い沈黙があった。
鈴華はずっと何事か深く考えていた。
やがて考えがまとまったか、顔を上げてこちらを見上げてくる。
「私が助けてって言ったから、助けてくれたんだ」
「ああ」
「次に助けてって言った相手を、何が何でも助けようって思ってたんだ」
「そうだ」
「……それなら」
鈴華は力を込めて言った。
「私のこと助けて、もっと」
助けてほしいというより、挑みかかるような目をしていた。
いい目だった。
「まだ足りない。助けてくれるんだったら、最後まで助けて」
その言葉に旭は呆気に取られる。
最後まで助ける。一瞬の間を置いてその意味を理解する。
理解できてしまうと、もはや苦笑を浮かべるしかなかった。
「そう来たか……」
なんて奴だろう。こちとら恥ずかしいのを我慢して、誠意をもって打ち明け話をしたというのに。
こいつ恐縮するどころか、ブッ込んできやがった。やるなら最後までやれと。半端せずに、最後まで責任持てと。なんてズル賢く、図々しい奴だろう。
そう、それだ。それでこそ里見鈴華だ。
「結婚か。お前が俺の嫁、ねえ」
どうすればいいだろう。大人として、どうするのが正解なのだろう。
要するにこいつは今、寄る辺がほしいのだ。「いざとなれば、こうすればいい」という最後の手段みてえなモンがほしいんだ。そのために俺ができる事といえば。
旭は考えた。
考えた末、うなずいた。
「悪くねえかもな。万策尽きて、もう本当にどうしようもなくなったなら、するか。結婚」
鈴華は驚きに目を見張った。
「い、いいの?」
「そりゃ俺のセリフだ。お前こそいいのかって話だよ、偽装とは言え相手がこんなオッサンでよ」
「……偽装?」
「ほとぼりが冷めるまでの時間稼ぎなら、付き合ってやるって事だよ。どうせ結婚なんて、市役所に紙切れ一枚出せばいいだけだしな」
日本では法律によって重婚は禁止されている。
市役所に婚姻届を提出して、鈴華を旭の籍に入れてしまえば、その後で別所井なる爺さんがどんな手を尽くそうが、鈴華を自分の嫁にすることはできない。
法律の盾ができるのだ。
手軽にできて効果は絶大。結婚というものを神聖視せず、割り切ってドライに考えれば、先に結婚してしまうというのは決して悪い手段ではないのである。
「ひとまず俺の籍に入っといて、お前がいつか本当に好きな奴見つけたら、離婚届出してそいつと結婚すりゃいいんだ。しかし偽装とは言え、バツイチはバツイチだからな。お前それでいいのかって話だ」
旭は作戦を説明するが、しかし恋や結婚に夢もある女子高生には、そんな大人の狡猾な考えは受け入れ難いものがあるのだろう。鈴華はあからさまに不服そうな顔をした。
「おじさん、そんなに私と結婚したくないの?」
「オッサンと結婚とかおかしいって、お前も自分で認めてただろうが。まだ条件があるぞ、もし本当にどうしようもなくなったら、まず親父さんに言って適当な相手を見繕ってもらえ。自分で見つけるんでもいい。学校で探しゃ、男なんぞ掃いて捨てるほど居るだろ。どんな相手でも四十過ぎのオッサンよりはマシだろうからな。俺はあくまで本当に、最後の最後の保険だと思っとけ」
「やだ。おじさんがいい」
「やだじゃねーんだよ。言っとくがな、これが俺の最大の譲歩だ。これが呑めねえんなら、そもそもこの話はナシだ」
敢えて突き放すように強く言うと、鈴華は唸り声を上げて黙り込んだ。
「おら、返事はどうした。呑むのか呑まねえのか」
「……分かった。それでいい。今は」
「今は? お前な、俺がどんだけ世の中のタブー破って譲歩してると思ってんだよ。人の苦労も知らねえで」
「そんなの知らない。いいよ、分かった。とにかく言質は取ったから、これからじっくり攻略して行けばいいだけ。なんかムカついた。やる気出てきた」
「誰が誰を攻略だって? セリフ逆だろうがよ」
さっきまでのしおらしさが嘘のように、また訳の分からないことを言い出す。しかし甚だ遺憾ながら、そんな鈴華にホッとする自分が居たのも確かだった。
そうだよ、こいつはこうでなくちゃ。
「じゃあ話戻すけど。ぶっちゃけおじさん巨乳派? 貧乳派?」
「どこに戻ったんだよ。いつそんな話した」
「はい巨乳派。男の人ってみんなそう。オジサンは特にそう」
「偏見だ」
「オジサンは若くて可愛くて巨乳で黒髪ロングで料理上手な女が好きなの。あと性格が従順なこと、これ重要。知ってる。そんな女、この世に一人もいないってのに」
「なにヤケ起こしてんだお前は。やめろ面倒くせえな。そんなこと言ったら今時の若い女なんざ、どうせイケメンで金持ちで理由もねえのになぜか自分にベタ惚れで、自分だけに優しい男が好きなんだろうが。神部に聞いたから知ってんだぞ。架空生物かっての。夢見てんじゃねえぞ」
それから先は愚にもつかない言い合いが延々と続く。
そして神部らが到着した頃には、なぜか「青少年に悪しき幻想を植え付ける、少年マンガと少女マンガはどちらが罪深いか」について白熱した議論に発展しており、神部らを困惑させたのだった。
雨はいつの間にか止んでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます