5.
合流の指示はなぜか冴木から来た。
「会社はもうマークされている可能性があります。神部さんのアパートに来て下さい」
言われた通りに神部のアパートに向かう。
築二十数年のオンポロアパートの六畳一間に、神部、冴木、鈴華の三人がいた。
出迎えた冴木は開口一番、
「旭さん汗くさいです」
「え、そうか? そういや昨日風呂入れなかったんだった」
「汚いですね。シャワー浴びて下さい、話はそれからです」
問答無用で浴場に送られる。
「俺ん家なんだけどなぁ……」
後ろで神部がボヤいていたが、当然のように無視されていた。
シャワーを借り、ついでに着替えも神部に借りる。
ちゃぶ台を四人で囲み、出された麦茶で喉を潤したところで、ようやく人心地ついた。
「旭さん大丈夫でしたか? 黒服の男と殴り合いになったって聞きましたけど」
「おう、ぶちのめしてやったぜ。いやー、見せたかったなぁ、俺の勇姿をよ!」
直後に月城に一発KOされたことは黙っておく。
「暴力は犯罪ですよ、自慢できる事じゃありません。男の人ってこれだから」
そう言いつつも、冴木は氷の入ったビニール袋を渡してくれた。ありがたくそれを受け取って患部にあてながら、旭は言った。
「さ、もういい加減たくさんだぜ。これでもう完全に俺も関係者だろ、俺にも事情を説明してくれよ。この期に及んでまさか嫌だとは言わねえよな?」
「……。あの、ありがとうございました。助けてくれて」
鈴華がボソボソとお礼を言ってきたので、
「おう、まあそれは気にしなくていいさ。それよりあん時、自分の足で逃げたのは偉かったぞ。お前が神部の車に避難してくれたおかげで、状況が一気に楽になった」
軽く応じて説明を待つ。しかし説明が始まらない。
どうしたのかと顔を上げると、鈴華は驚いた顔で旭を見ていた。
「どうした?」
「あ、いや。褒められると思ってなかったから」
「誉めるべきとこは誉めるさ。助けられるのを待ってるだけじゃなくて自分で考えて動けたのは偉い」
「怒られると思ってたし……」
「べつに怒っちゃいねえよ。ああ、会社で大声出しちまったのがマズかったか? あれは事情が分からねえことに苛立ってただけだ。でもそれも今から説明してもらえるんだろ?」
冴木が口を挟む。
「トラックに勝手に乗り込んだことは、もう私が注意してますから。同じことで怒ることになるから許してあげて下さい」
「それもあったな。分かったよ、その後に色々あり過ぎて、今さら改めて怒る気にもなれねえわ。それより説明だ」
冴木はうなずき、確認するように鈴華と目くばせして話し始めた。
「まず、この子が家出してきた理由からです。単刀直入に言いますと、この子、親の仕事の都合で結婚させられるんです。結婚すること自体はこの子も受け入れてるんですが、その前に自由の思い出がほしくて、だから家出してきたんです」
旭は麦茶を吹き出した。
いきなり衝撃的な暴露話だった。
「はあ? 結婚!?」
「この子の親は東京の外れで小さな工場を経営してるんですが、経営がだいぶ苦しいらしいんです。それで大手に買収されることになったんですが、裏で提示された買収の条件というのが、この子の結婚なんです」
冴木は鈴華から聞き出したという話を整理し、かいつまんで説明した。
里見鈴華。東京の高校に通う二年生。
父親は郊外で従業員三十人ほどを抱える小さな金属加工の工場を経営している。祖父の代から続く工場だったが、ここ数年業績が悪化し、経営が非常に苦しい状況なのだそうだ。
そこへ、ゴールドプレートという大手鉄鋼企業から買収の話が舞い込んできた。
資金難で有効な打開策もない鈴華の父親は、従業員の雇用を守るため、やむなくその話を受け入れる。ところがそのゴールドプレートが、後から内密に追加条件をつきつけてきたのだ。
その内容が、ゴールドプレートの総裁である会長の八百津家に、娘の鈴華を嫁がせるというものだった。
表向きは「こちらの本気を理解してもらいたい。親族となり、揺るぎない強固な信頼関係を築いて共に繁栄しよう」というものだったが、明らかな脅迫であった。
「なんだそりゃ。つまりアレか? 大企業の社長が金に物言わせて、会社を助けてやる代わりに息子の嫁にお前んとこの娘を差し出せとか、そういう話か?」
冴木は答えなかった。
それを無言の肯定と受け取り、旭は呆れた声を出す。
「おいおいマジかよ。時代劇じゃあるまいし、今どきそんな話があんのか」
そこへ神部が達観したように口を挟む。
「そこまで珍しい話じゃねえよ。どこぞの大企業のM&Aの裏には政略結婚があったとか、ネットのリークサイトとか見りゃ、ちょくちょく出てくる話だ。江戸時代だろうが現代だろうが結局は人間だ、やることは大して変わりゃしねえってわけだろ」
「そ、そういうもんか?」
当たり前のように言われるが納得できない。
政略結婚。つまり合法的な『身売り』である。そんな時代錯誤なことが、AIだのビッグデータだのと近未来的な単語が飛び交うこの現代に、実際に行われているとは。
「まあ悪い話じゃねえんじゃねえのか? 相手は大企業の御曹司だろ、玉の輿ってやつじゃねえか」
「おい神部! おまえ何てこと言うんだよ」
その軽薄な物言いに食って掛かるが、神部はジロリと睨み返してきた。
「悪いかよ。俺は厄介事はゴメンだって、何度も言ったよな? それなのにこんな特大の厄介事に巻き込まれて、あげく今ではこうして家まで占拠されてる」
「それは悪いとは思ってるよ。けどよ、こんな話聞いちまったらよ」
「本当なら今ごろ俺は、二週間ぶりの休みでまだ布団の中で、溜まりに溜まった疲れを癒してた筈なんだぞ? この落とし前どう付けてくれるんだよ」
その態度に思い余ったように、冴木も食ってかかる。
「神部さん。結婚ですよ? この子にとっては人生の一大事です。そんな久しぶりの休みがどうとか」
「だから俺にはその話、悪い話には思えねえんだって。玉の輿に乗って本人の将来は安泰。親の工場も助かって従業員の生活も守られる。若い夫婦なら子供でもたくさんこしらえて、日本の少子化問題にも貢献。いいことづくめじゃねえか。結婚前に自由の思い出がほしい? 悪いが俺には贅沢な感傷にしか聞こえねえな。そんなもんのために俺の休日と安らぎの場が侵害されてるかと思うと、いい気分なんかするわけねえだろ」
「じゃあ神部さんはどうぞ寝ててもらって結構です。お邪魔してどうもすいません」
冴木が怒気もあらわに言う。
しかし神部は皮相な笑みを浮かべただけで、
「そうかい。それじゃ遠慮なく」
押し入れから枕と毛布を取り出す。そして肩身が狭そうに小さくなっている鈴華を一瞥し、
「結婚できる奴は、さっさと結婚すればいいんだ。そうしねえと俺みたいに惨めな人生送ることになるからよ」
そう言って本当にゴロンと横になってしまった。
気まずい沈黙。
旭は鈴華に苦笑いを向ける。
「なんか悪ィな。こいつも普段は悪い奴じゃねえんだが、疲れて気が立ってんだ。気にしねえでくれよ」
「場所を変えましょう。私たちは神部さんの安らぎの場を侵害しているそうなので!」
「ままま、冴木。そう言うなって。神部だって詳しい事情は知りたがってたんだしよ」
旭は咳払いをし、鈴華に向き直って話を続けた。
「お前、それでいいのかよ。言っちゃ悪いがお前の親、正気とも思えねえぞ。会社のために娘の人生を犠牲にするなんざ」
「納得は、してる」
「納得してるってよぉ。んなわきゃねえだろ? 実際こうして逃げて来てんじゃねえか。するってえと、あの月城ってインテリ野郎はアレか。ゴールドプレートとやらの手のモンか」
鈴華はコクリとうなずく。
「確か、部長補佐とか」
「ヒマなのか、その部長補佐ってのは。女子高生一人を追ってわざわざ東京から福岡にまで連れ戻しに来るとかよぉ、ちょっとマトモじゃねえぞ。悪いけどよ、その結婚、端から見てて全然祝おうって気になれねぇぞ」
「うん」
「いや、うんじゃなくてよ。お前まだ高二だろ? ぜんぜん人生これからじゃねえか。嫌だって言って断っちまえよ。親の工場がヤバいとか、そんなのは大人の問題だ。お前が気にするこっちゃねえ」
そう言うと、鈴華は一瞬顔を上げて旭を見た。
そしてうつむき、絞り出すように答えた。
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