4.
人気のない波止場まで来て黒塗りは停車し、あの月城というインテリ風の男が一人で車を降りてきた。
「俺が行ってくる。神部はここで待機していてくれ。もし黒塗りが走り出したら、俺に構わず追ってくれ」
「厄介事はゴメンだって言ってんのになぁ……マジで今日は厄日だぜ。大丈夫なのかよ」
「知らねえよ。向こうの出方次第だ」
旭は車を降り、月城と対峙した。
太陽がまぶしい。コンクリートの埠頭に打ち寄せる波は穏やかで、上空にはカモメが数羽飛んでいる。
昼下がりの長閑な港の風景の中で、二人の男が睨み合う。
「どういうつもりかな」
「そりゃこっちのセリフだ。俺達はそっちのガキに事情聴取してたとこなんだよ。それを真っ昼間から、人の会社にいきなり押しかけて横からかっ攫って行くたぁ、どういう了見だ」
「我々はあの子の関係者だと言ったろう。ちょっと立て込んだ事情があってね、部外者に興味本位で介入されるのは迷惑なんだよ」
黒塗りの窓から鈴華が心配げにこちらを見つめているのが分かる。
旭は鼻で笑った。
「関係者、ねえ。目の前で人攫いのお手本みてえなシーン見せつけといて、どうやってその言葉を信じろって言うんだよ。あのガキだって嫌がってたじゃねえか」
「怪しいのはお互い様だろう? 我々からすれば君達こそ不審者だよ。我々の調べたところによると、君があの子を大阪でさらって福岡まで連れてきたそうじゃないか」
「そんなデタラメ報告してくるような無能は、さっさと解雇した方がいいんじゃねえのか。あのガキが勝手に俺のトラックに忍び込んだんだよ。……一つだけ分かったぜ。家出してきたとか言ってたが、あのガキは要するに、あんたから逃げてきたんじゃねえのか。見知らぬオッサンが運転するトラックに忍び込んでまで、それくらいあんたから逃げたかったってことなんじゃねえのか。あんた一体何者なんだ」
「部外者がよその事情に深入りするものじゃないよ。いいかい、これは警告だ。いま大人しく帰ってくれれば、君達のことは忘れてあげてもいい。君のトラックに女の子なんて乗っていなかった。何もなかった。これで今まで通り平穏な日常だ。悪い話じゃないだろう?」
「神部なら喜んで呑みそうだな、それ」
旭は不敵な笑みで月城を睨みつけた。
「だが俺は断るぜ。ちいと俺にも退けねえ事情ができちまったもんでな。あのガキ置いて、さっさと失せやがれ」
「警告はしたよ。……おい」
月城はやれやれと首を横に振り、黒塗りの中で控えていた黒服の男に呼びかけた。
黒服はうなずき、ゆっくりと車から降りてくる。
「交渉決裂だ。気の毒だが、ここで少々眠っていてもらおうか。なに、殺しはしないから安心するといい」
「へっ、正体現しやがったな。最初からその気だったくせによく言うぜ。これでますます、あのガキ置いて帰るわけには行かなくなったぜ!」
無言で突進してくる黒服に、旭は素早く身構えた。
相手が掴みかかろうと両手を伸ばしたタイミングで腰を屈め、低い体勢から思い切り体当たりを食らわせる。カウンター気味に入った攻撃はきれいに決まり、黒服は跳ね返されて仰向けに倒れた。
コンクリートに背中を強かに打ちつけ、苦しげに悶える黒服。
「オラァ!」
この隙を逃さず、旭はサッカーのフリーキックのように相手の頭を蹴り抜いた。とっさに両腕でガードされ一発KOとは行かなかったが、ダメージは通ったはずだ。
さらに踏みつけようとするが、黒服も防戦一方ではなかった。足を上げたところで軸足を払われ、後ろへよろめいてしまう。たたらを踏んでいる隙に立ち上がられてしまった。
仕切り直して、黒服が前蹴りからワンツーのコンビネーションを放ってくる。相手が打撃で来ると見切った最初から、大きく斜め後方へ飛び退いたおかげで難を逃れたが、空を切るローキックの滑らかなモーションに、相手が格闘技経験者だと察せられた。
「ブランク明けの復帰戦にしては、ハードな相手だなクソが」
殴り合いの喧嘩など、いつ以来だろうか。
鉱山労働者だった頃は度々あった。人も通わぬ山奥で、肉体労働系の粗忽な男ばかりが小屋にすし詰めだったのである、ほとんど治外法権の世界だった。学校を卒業するまで空手やってた、なんて奴ともやりあったし、ある程度の喧嘩の要領もそこで習得した。
しかしあれから数年。歳ももう四十を越えてから、再び現役復帰する羽目になるとは思いもよらなかった。
とにかく顔面だけは殴られないようガードを固めながら隙を伺い、旭は再び体当たりで黒服をよろめかせる。さすがに今度は黒服も無様に背中から倒れることはなかったが、踏みとどまろうとする姿に余裕がない。どうやらウェイトは旭の方が上らしい。
ならば。
「オラ! オラッ! オラアッ!」
相手が殴ってこようが蹴ってこようが構わず、ひたすら体当たりを繰り返す。
相手が打撃で来たからといって、それに付き合ってはいけない。打ち合いになれば経験者の方が絶対有利に決まっているからだ。多少の技術差なら、体格でゴリ押せる。だから相手のパンチやキックが当たればもちろん痛いが、痛がってはいけない。
肉を切らせて骨を絶つ。旭のような素人が格闘技経験者に勝つにはこれしかない。それが山奥の喧嘩で、身をもって学んだことだった。
息をもつかせぬ連続突進で相手の体勢を崩し、旭はとどめのブチかましをしようと力を貯める―――― フリをする。そして黒服が慌てて体当たりの衝撃に備えようと、身構えたところで。
「ドラァ!」
渾身の右ストレートを繰り出した。
とっておきの拳は完全な奇襲となり、体当たりが来るとばかり思っていた黒服の顔面にクリーンヒット。黒服は大きくのけぞり、背中から大の字になって倒れた。
「なっ……!?」
「どうだオラ、実績と信頼のマチダ運送ナメんじゃねえぞ!」
目を丸くする月城に勝鬨を上げる。
その時だった。
車の中から様子を見ていた鈴華が、急に動いた。ドアを開けて黒塗りを飛び出したのだ。
そして旭や月城の目の前を通り過ぎ、神部の軽自動車めがけて全力で走り、ドアを開けて勝手に乗り込む。神部が驚いているのがここからでも見えた。
「チッ」
舌打ちして追いかけようとする月城の前に、旭は素早く立ち塞がる。
「ガッツあるなぁ、待ってるだけのお姫様じゃねえってか。よう、お姫様もお前より俺らの方がいいんだとよ。……神部、行け! そのガキさえ取り返せば俺らの勝ちだ!」
神部が頷いて軽自動車を発進させる。
「どけ!」
「誰がどくかよ。こっちはまだまだ遊び足りねえぞ? もうちょっと俺に付き合ってくれよ」
勝利を確信して笑う旭に、月城の目がスッと細くなった。
……ん? あ、ヤベ。
一瞬感じた悪寒は、殺気だったのかも知れない。
しかしそう感じた時には手遅れだった。
月城の右手が一閃。旭の視界が揺れた。
「かっ……」
気付けば旭は膝から崩れ落ちていた。
脳を揺らされた。辛うじてそれを理解する。遠い昔、鉱山の喧嘩で相手のパンチが偶然アゴをかすめた、あの時と同じだ。
「調子に乗るな。負け組が」
月城が冷たく言い捨てる言葉が遠くなっていく。
「ち、ちく、しょ……」
慢心だ。情けねえ。久々のケンカ、久々の勝利で調子に乗った。
月城が黒服を助け起こし、黒塗りに乗り込んでいる姿を最後に、旭はガクリとコンクリートの上に倒れ伏した。
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