3.

ひと目で分かる「社会的強者」の男だった。

高級そうなネイビーブルーのスーツ。光沢のある黒フレームの眼鏡。一見して政府の官僚や大企業の役員を連想させるような、インテリ然とした風貌の男。歳の頃は、おそらく旭とそう変わらない四十代前半。

鈴華の顔が一気に青ざめた。

「月城さん……? なんで、早すぎ」

「ずいぶん思い切ったことをしましたね。先生も大変心配されていますよ。大事な体です、あまり無茶はしないで頂きたい」

「待って下さい、家には帰ります。ただ、その前にちょっと」

「連れて行け。撤収だ」

何事か訴えようとする鈴華を無視し、月城と呼ばれた男は黒服に命じた。

「ちょっと、いきなり現れて何なのよあんた達!」

冴木が食ってかかるが、月城と呼ばれた男は容赦なく彼女を突き飛ばす。たまらず冴木は床に倒れた。

「冴木!」

旭は慌てて駆け寄り彼女を抱き起こす。

「ご心配なく、我々はこの子の関係者です。どうもお騒がせしました」

旭と冴木を傲然と見下ろし、月城は慇懃に言う。人を見下すことに慣れ切った人間の目だった。

鈴華が黒服に拘束されて応接室から連れ出される。

必死の顔で振り返り、旭と目が合うと、彼女は言った。


「助けて」


月城らは去って行った。

まるで嵐のようなひとときだった。

「え、な、何? 何だったの今の人達、ホントにもう勘弁してよぉ!」

町田は狼狽しすぎて駄々っ子のようになっている。

「鈴華ちゃん! ……旭さん、鈴華ちゃんが!」

冴木は旭に訴えようとした。

そして驚く。冴木が顔を上げたその時には、旭はすでに月城らの後を追って猛然と駆け出していたのだ。

呆然とする冴木を置き去りに、旭は会社の外へ飛び出して行った。



会社の玄関前で周囲を見回す。

黒塗りの高級車がエンジンを吹かして道路へ出て行くところだった。

「くそっ!」

毒づく旭の前へ、軽自動車がゆったりと近づいてきた。

「よう、血相変えてどうした。また何かあったのか」

神部だった。これから家へ帰るところなのだろう。

「ナイスだ、いいぞ相棒!」

旭はすかさず助手席へ乗り込んだ。

「ああ? 何だよお前? 俺ぁこれから家に帰るんだぞ」

「前の黒塗りだ! 追いかけてくれ、早く!」

「は? 何だよ黒塗りって。厄介事なら俺ぁゴメンだぞ」

「いいから出せ、早く! 四の五の言ってんじゃねえ!」

今まで見たこともないような旭の剣幕に、神部は怯んだ様子で慌ててアクセルを踏んだ。

勢いよく発進した車の中で叫ぶ。

「ロクな日じゃねえな今日は! 今度は何なんだよ、いい加減にしろ!」

「鈴華が黒服のワケ分かんねえ奴らに攫われた。それがあの黒塗りだ。見失うんじゃねえぞ」

「攫われたぁ? さっきの嬢ちゃんがか。警察呼べよ、なんで俺がこんな映画みてえなカーチェイスごっこしなきゃいけねえんだよ!」

「仕方ねえだろ!」

「だから何で!」

神部の至極もっともな言い分に、旭は首を横に振る。

「助けてって言いやがった」

「あん?」

「連れて行かれる時、あのガキ、俺に向かって助けてって言いやがった! だったら助けるしかねえじゃねえか!」

「お前が一番ワケ分かんねえよ!」

黒塗りは右に左に車線変更しながら、猛スピードで国道を走り抜けて行く。

ろくに洗車もしていない小汚い軽自動車がそれに食い下がる。

「高速に上がる気だぞ」

黒塗りがウインカーを出し、都市高速道路へと上がる。

ETCの入口ですぐ後ろに肉薄した際、鈴華が必死な顔でこちらを見ているのが分かった。

「待ってろ、いま行く!」

高速に上がるとエンジン性能の差が如実に出た。

力強くスピードを上げる黒塗りに対し、神部の軽は早くも限界を訴えて喘いでいる。

「もっとスピード出ねえのかよ!」

「無理だろ、大人の男が二人も乗ってんだぞ!」

福岡海浜タワーとBayドーム、近未来的なシルエットの街並みを右手に、自然美溢れる博田湾と海の中路の遠景を左手に。左右対称な風景が飛ぶように窓の外を流れて行く。

ぐんぐん差を広げられ、もはやこれまでかと思われた時だった。

「しめたぞ、渋滞だ!」

遥か前方で車が大行列を作っているのが見えた。電光掲示板によると追突事故があったらしい。渋滞を抜けるまで一時間とある。

「渋滞で喜ぶ日が来るとは思わなかったぜ」

前を走る車はこれを避けるため、手近なインターで次々と下道へ降りて行く。黒塗りもそれに続いていた。

下道へと引きずり下ろせればこっちのものである。福岡市内中心部の昼間の交通量を甘く見てはいけない。すぐにでもどこかの信号で捕まえられるはずだ。

「ん。なんかあいつら、港の方に行くっぽいぞ」

高速を降りて黒塗りの出したウインカーに、神部が何かを察したように固い声を出す。

旭もすぐに気付いていたため、黙ってそれにうなずく。

信号だらけの下道では逃げ切れないことは、向こうも当然察したはずだ。ならば、次はどう出るか。取る行動は自ずと絞られてくる。

にわかに増していく緊張感に、無言で走ること数分。

やがて二台は港へと到着した。

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