2.
「……い。おい、旭」
肩を揺すられて目を覚ますと、メガネの男が上からこちらを覗き込んでいた。
「お前、人に仕事押しつけといて昼寝とは、いいご身分だな」
「冴木に出て行けって言われたんだよ。だったら寝るしか無えじゃねえか。こっちは夜通し走って東京から帰ってきたんだよ」
言い返しながら身を起こす。
この男の名は
マチダ運送への入社も旭が三ヵ月早いだけのほぼ同期ということで、何かとつるむ事もある相棒のような存在の男だ。冴木の非常事態宣言により無理やり召集された、被害者の一人でもある。
「荷物どうなった?」
「いま先方に届けてきた所だよ。久しぶりの休みにいきなり呼びつけられて、事情もよく分からんまま働かされて、帰って来りゃあ元凶のお前はグースカ寝てるときた。俺の気持ちが分かるか、おい。しかも何か会社はえらい騒ぎになってるしよ」
「騒ぎ? 何かあったのか」
「呆れた奴だな、知らねえのかよ。いま冴木が応接室に立て籠もって、社長と喧々諤々やりあってるぜ。なんかいきなり明日から休暇取らせろとか言って」
旭は首を傾げた。
「は? 何だそれ」
「こっちのセリフだよ。一体何がどうなってんだ、説明しろ」
説明しろと言われても、こっちだって訳が分からない。
時計を見上げると三時間ほど経っている様だが、俺が寝ている間にいったい何があったというのか。
ともかく応接室に向かうと、町田がドアの前で変な踊りを踊っていた。
「こここ困るよぉ、冴木くん。とにかく落ち着いて、落ち着いて、ちゃんと話し合おうよぉ」
その言葉を本人にそっくりそのまま言ってやりたい狼狽えっぷりである。
ドアの向こうから冴木の強気な声が返ってくる。
「話し合うことがありますか? 明日から三日間、休暇を申請しますってだけの話ですよ。後は社長が承認印を押してくれればいいだけじゃないですか」
声音で瞬時に悟った。
あ、ダメだ。これは冴木のやつ、絶対に譲らないモードだぞ。
野次馬で集まっている事務員たちをかき分け、旭はドアの前にとりつく。
「冴木、俺だ。こりゃ一体何の騒ぎだ」
「旭さん、起きたんですか。おはようございます。ちょっと私用ができまして、明日から三日間ほど休暇を貰おうと。いま社長に申請している所です」
「申請って雰囲気じゃねえぞ。何があった。てか、あのガキに話を聞くんじゃなかったのかよ」
「鈴華ちゃんならここにいます。事情も聞けました。だからこその休暇申請なんです。私、鈴華ちゃんとちょっと旅行に行きますんで」
「旅行だぁ? おいどういうことだよ、ワケ分かんねえっつーの」
ドアノブに手をかけるが、内側から鍵をかけているらしく開かない。
「とにかく中に入れてくれねえか。俺ぁ当事者だろう?」
「じゃあ旭さんからも社長に言って下さいよ。そしたら開けます」
「何が『じゃあ』なんだよ。なんで俺が」
文句を言うものの、このままでは事が進みそうにない。
「親父ぃ……ごめんよぉ。マチダ運送、もう守れないかも知れないよぉ……」
ちなみに町田は一人で悲嘆に暮れている。
旭は溜め息をつきながら、そんな町田に呼びかけた。
「社長、埒が明かねえッスよ。休暇くらい良いじゃないッスか、取りてえってんなら取らせてあげましょうよ」
「で、でも事情もよく分からないのに。それに三日も冴木さんがいないのは困るよぉ」
「冴木の性格は社長も知ってるでしょ。このままじゃ冴木のやつ、仕事やめるとか言い出しかねませんよ。それこそえらい事でしょう」
そう言うと町田は「ひえっ」と小さい悲鳴を上げてガクガクとうなずいた。
「わ、分かったよぉ! 休暇でも何でも取らせてあげるから、もう勘弁してよぉ!」
「聞こえたな冴木。さあ開けてくれよ」
カチャリと鍵の開く音がする。
中に入ると、冴木は腕を組んで不敵な笑みを浮かべていた。
「さすが旭さん、お見事です。信じてましたよ」
「よく言うぜ」
鈴華の方を見ると、三時間前から石化でもしているんじゃないかと思うほど、ソファーの同じ位置に座ったままだった。
「ほーん、そいつが噂のお嬢ちゃんか」
旭の隣に神部がやってきて、無遠慮な目で鈴華を眺める。
「ちょっと何で神部さんまで入ってきてるんですか」
「ずいぶんな言い草だな。こっちは事情もよく分かんねえまま、二週間ぶりの休みを取り上げられて働かされたんだぞ。俺にだって知る権利くらいあるだろ」
もっともな言い分である。
旭はソファーにどっかりと腰を下ろした。
「さ、被害者の会そろい踏みだ。今度こそ詳しい話を聞かせてもらおうじゃねえか」
緊張に身を固くする鈴華。
しかしそんな彼女の隣に冴木が座り、キッパリと首を横に振った。
「申し訳ないですけど、お話しできません」
「え?」
「事情を聴いたところ、これはこの子の人生に関わる深刻な問題であることが分かりました。また非常に高度な秘匿性を要する問題でもあり、たとえ旭さんほどの関係者であっても、おいそれと第三者に漏らしていい話ではないと判断しましたので」
「ひ、ひとくせい? 何言ってんだか分かんねえよ。そりゃないだろ冴木、おまえ人に休暇取る手伝いまでさせといて」
「それについては謝罪します。でもお願いです、ここは何も追求せず、何もなかったことにしてもらえませんか。決して子供のわがままや若気の至りといった類の話ではないんです。本当にこの子にとっては人生に関わる大事な事情があるんです」
「いや、だからよ。その大事な事情とやらが何なのかが分からねえことにはよ、こっちだって判断のしようが」
「ご迷惑はかけません。ここは何も聞かずにこの子を解放してあげて下さい」
お願いします。そう言って冴木が頭を下げたことに驚愕した。
癖の強いトラックドライバーのおじさん達を相手に、常に毅然と立ち振る舞う天下の総務部長閣下に頭を下げられるなど初めてだった。
戸惑う旭の後ろで、神部はフンと鼻を鳴らす。
「冴木がここまでやるとは、ただ事じゃねえな。興味はあるが、やっぱ俺はいいわ。聞くのやめとこう」
「え? 神部お前」
「厄介事なら関わり合いになるのはゴメンだからな」
冴木の態度に防御センサーが敏感に反応したらしい。
自分が受けた理不尽の原因を追究することより、さらなる厄介事を避ける方が優先。いかにも神部らしい判断だ。
「つーわけで冴木、頼まれてた仕事は終わったんだ。もう俺、帰っていいんだろ?」
「はい、お疲れ様でした。ありがとうございました」
「お、おい」
「じゃあな旭。お先」
鮮やかに身をひるがえし、神部は出て行ってしまう。
足音が遠ざかって消え、自然と女性陣二人の視線が旭に集中する。
「いや、でもよぉ。見逃せって言われたってさぁ……」
その時だった。
「な、何だ君たち!?」
「ちょっと、困ります! ちょっと……!」
にわかに外が騒がしくなった。
何事かと思う間もなく乱暴にドアが開かれる。
スーツ姿の男が二人、応接室に入ってきた。
「な、何だ何だ、今度は何だよ!」
驚いている旭や冴木には目もくれず、黒服の男が鈴華の背後に回り込む。
そして。
「探しましたよ、お嬢さん」
一人の男が悠然と部屋に入ってきた。
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