6.
「……私、工場で働いてる人達、みんな知ってるから」
「ん?」
「家がすぐ近くで。小さい頃は工場に行って、工場のおじさんや事務のお姉さん達に遊んでもらってた。小学や中学の頃は、学校に行くときに行ってらっしゃいって言ってもらったり、おかえりって言ってもらったり」
「そうなのか。アットホームだったんだな、今どき珍しい」
「あのときのおじさんが、あと二年で定年なの。あと、たったの二年で。去年入った若い男の人はできちゃった婚で、子供二人を養わなくちゃいけないから一生懸命働いてるし、足に障害があって他では働くのが難しいおじさんもいる。社食のおばさんはシングルマザーだし、事務員のお姉さんは親が要介護で、家から近いうちの工場でなきゃ仕事と介護の両立が難しくなっちゃうの」
「お、おう、そりゃあ……」
「うちの工場が潰れたら、困る人がいっぱい居るの」
鈴華は膝の上で両手の拳を握りしめた。
「ぜんぜん知らない人達だったら、嫌だって言えたのかも知れない。でも私は知ってるから。工場で働いてる人達、みんな生活が厳しくて、うちの工場が潰れたら本当に困ることになるって分かるから」
旭は相槌を打つことさえ出来なくなった。
「だから私は結婚することには納得してる。ただ、結婚しちゃうと色々と不自由になると思うから……だから今のうちに、何か思い切ったことがしたかった」
そして鈴華はスマホを操作し、旭に画面を見せてきた。
『福岡・中国工蘇省 友好提携三十周年記念 ドリームベイ弦海花火大会』
「何だこりゃ」
首を傾げる旭に冴木が説明する。
「しあさってに博田湾岸で開催される花火大会ですよ。この街と中国の工蘇省が姉妹都市になって今年で三十周年だから、その記念にあるんです。その花火を福岡海浜タワーから見られる特別席ってのがあって、チケットの抽選がすごい倍率だったって、ネットで話題になったんですよ」
「あー、そういや街中でそんなのを見たような。この時期に花火なんて珍しいなと思ってたんだよ。てことは、お前当たったのか。ラッキーだったじゃねえか」
「ん」
鈴華はうなずいて、自分でそのチケット画面を見つめる。
「だから、これにしようって思ったの。私の人生最後の自由時間、これにしようって」
あと、ついでにこっちの観光もできればと思って。と、遠慮がちにそう付け足す。
人生最後の自由時間。
高校生が口にするには、余りに重い呟き。
画面を見つめるその姿から、旭は思わず目を逸らした。
知っている人間が生活に困るとなれば、心を痛めるのは誰でもできる。
しかし自分の人生を犠牲にしてまで助けたいと思う者が、どれだけいるだろう。
ましてや本当に犠牲になれる人間が、この世に果たして何人いると言うのだろう。
ガキの頃、自分を犠牲にして世界を救うヒーローの話に心を震わせた。
自分もそうありたいと願った。自分ではなく誰かの幸せのために戦える人間でありたいと、確かに願った。
―――― いつからだ?
他人の事などロクに考えず、自分のままならない人生にばかり気を取られて、毎日を浪費していくようになったのは。
「大丈夫。どうせ私、ハッキリした将来の夢とかあったわけじゃないから。そっちのオジサンの言う通り、これって玉の輿だし。やってみれば案外悪くないのかも知れないし」
冗談めかした鈴華の言葉に、寝たふりの神部が身じろぎする。
んなわけねえだろ、と言いたかった。
家出してまで、俺みたいなオッサンが運転するトラックに忍び込んでまで、自由がほしいと思うような、お前みたいな人間が。
他人から強制された結婚で、幸せになんかなれるわけねえだろ。
「いや、しかしよぉ、だってよぉ……」
何か言いたいが、言葉にならない。これが四十も過ぎた大人かよ、ちくしょう情けねえな。
「旭さん」
冴木が真剣な顔で真っすぐ見つめてきた。
「大人として、無責任なことは言うべきではありません。旭さんに鈴華ちゃんのお父さんの工場を救えますか? 何億というお金を融資できますか? あるいは何か画期的な経営戦略を提案できますか? 代案を提示できないのに結婚はやめろだなんて、無責任に言うべきではありません」
「冴木……」
「鈴華ちゃんは、きちんと考えてるんです。もちろん会社経営のことなんて分からないでしょうけど、状況が逼迫している危機感をちゃんと感じて、真剣に考えて、そして決心したんです。こんな子が、最後に望んだ小さなワガママですよ? 花火が見たいって、たったそれだけ。こんな小さな願いも叶えてやれなくて、私たち何のために大人やってるんですか」
「お前、だから休暇を?」
冴木はうなずいた。
「とりあえず今日は市内を観光してもらって、今夜プランを考えます。花火の日まで、なるべくたくさん観光させてあげるつもりです」
「おい待て、二人だけでか?」
「そうですが、何か?」
「あいつらに狙われてんだぞ。あの月城とかいうインテリメガネと黒服の連中に。あいつらのことはどうするんだよ、危険だ」
冴木は押し黙った。
「……常に人目があるところを移動するようにしますよ。そうすれば相手も無茶はしてこないでしょうし」
「分かるもんかよ。真っ昼間に人の会社に堂々と乗り込んで、目の前で人を攫って行くような連中だぞ?」
「じゃあどうしろって言うんですか」
食ってかかる冴木。それでも自分が鈴華を東京まで送るというプランを変更する気は無いらしい。
そういう女だったよな。
旭は腕組みして考えた。
「……仕方ねえ」
そして、腹を括る。
「こうなったら一丁、俺も行くか! ボディガードが必要だろ」
冴木と鈴華は二人して目を丸くする。
「行くって、旭さん仕事はどうするんですか」
「お前が言うか? 俺も休暇取りゃいいじゃねえか。考えてみりゃ入社して早や五年、盆と正月以外で有給なんて使ったことねえや。明日はもともと休みだから、そいつにチョイチョイと追加してだな」
「番場さんがトラック乗れないのに、旭さんまで抜けたらシフトが厳しくなりますよ」
「知らねえよ。だいたい俺の経験上、こういうのは無理だ無理だと言いながら、結局は何とかなっちまうもんだ。お叱りはあるだろうが、まあそれは謹んでお受けするってことで」
「なんで旭さんが、そこまでして」
冴木の問いに、旭は鈴華の顔を見つめて苦笑した。
「……まあ、なんつーかな。俺にも色々と事情があんだわ」
冴木は旭の視線を追い、鈴華の顔を確認し、そして再び旭に向き直る。
「ロリコン?」
「んなわけねーだろ!」
「旭さん、そういうのはですね。同年代の男の子だったらときめくかも知れませんが、相手がオジサンだったら普通に大人に保護されたって感じで、感謝以上の感情には発展しないものですよ?」
「だから違えって! なんでそういう話になんだよ!」
大声で騒いでいると、堪え切れなくなったように神部がムクリと身を起こした。
「あーうるせえな。人ん家でギャーギャー騒ぎやがって」
「わ、悪ぃ。起こしちまったか」
「寝てねえよ。寝れるわけねえだろ。黙って聞いてりゃお前ら二人とも、なに自分たちばっかり休暇取ろうとしてんだよ。俺だって有給なんて盆正月以外で取ったことねえってのに」
「いやそれは、そうしなきゃいけねえ個人的事情が」
「そういうことなら、俺も一枚噛ませろ」
今度は旭も含めて三人で目を丸くする。
「神部。じゃあもしかして、お前も来てくれるってことか?」
「違えよ、俺も休暇が欲しいだけだ。今から申請すんだろ? なら今、乗るしかねえじゃねえか。このビッグウェーブによ」
「何だそりゃ」
「……分からねえならいい」
神部はやりにくそうにしながら、ちらりと鈴華の方を伺った。
「さっきは悪かった。ちょっと大人げなかったと思ってな。まあ……高校生でも色々あるわな。よくよく思い出してみりゃ、俺もチラホラあったわ。大人になった今考えても、バカにできねえような事が」
「え、いえ、はい」
鈴華は驚いたように曖昧な返事をする。
そんな彼女に旭はニンマリして言った。
「な? 言ったろ。悪い奴じゃねえんだよ、こいつ」
「うるせえよ。それよりホラ、会社に電話すんだろ? 観光すんならさっさと出かけねえと日が暮れちまうぞ。冴木、その子の今夜の宿は考えてるのか? まさか自分の家に泊めようとか思ってないだろうな。奴らの強引さを考えたら、人の目は絶対必要だ。ちょっと奮発してでもセキュリティのしっかりした豪華めのホテル取っとかねえと、夜中に奴らの襲撃食らうかもだぞ」
「急に小うるさくなったわね。神部さん小姑ですか」
「誰が小姑だ。お前らの見通しが甘すぎなんだよ」
飯はどうする。福岡っぽいものって何だ。中州の屋台は外せないだろ。あと明太子に卵かけご飯。何で食べ物ばっかりなんですか、観光しないと。それならキャマルシティだろ。いやまずは天仁に行ってだな―――― あれこれと話す大人たちの姿を、鈴華は遠巻きに見守る。
何となく、子供の頃に見た工場の大人たちを思い出す光景だった。
あのときはよく分からなかったけど、たぶん遊び道具が何もない工場で、幼い自分を何とか楽しませようとしてくれていたのだろう。ああやって色々考えて、ああだこうだと言い合って。
「………………」
おそらく福岡に来て初めて、鈴華は笑った。
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