2.
少女は暗い夜道を歩いていた。
ここがどこなのか、自分でも分かっていない。大阪のどこかだと思うが、もう大阪駅からずいぶん歩いたから、ひょっとしたら兵庫県に入っているのかも知れない。
よし、家出しよう。一人でこっそり福岡まで行くんだ。
そう決心して東京駅で新幹線に飛び乗った。
福岡行きが残っていれば良かったのだが、東京駅に着いた時には夜遅く、大阪止まりの便しか残っていなかった。家では今ごろ私がいなくなった事に気付いて騒ぎになっているはず。もう後には退けない。
だからその新幹線で大阪までやって来たのだった。
歩き疲れて足が痛い。いい加減に今夜の寝ぐらを決めなくては。
お金を節約するため野宿は覚悟しているが、どうせなら少しでも環境の良い所を見つけたかった。
暗がりの中、まるで空中に浮かび上がるように明々と照明がついている建物があった。高速道路のサービスエリアだ。
サービスエリア。いいかも。屋根はあるし、自販機あるし、トイレもあるし。
うん、いい。すごくいい。あそこに決めた。
夜闇の中で煌々と輝く光に吸い寄せられるように、少女は痛む足をこらえて向かって行った。
/
旭がブツクサ言いながらハンドルを握っていると、またスマホが鳴った。今度はディスプレイに『マチダ運送』とある。事務所の固定電話からだ。
こんな時間に誰か残ってたのか?
不審に思いながら出ると、よく知った女性の声が聞こえてきた。
『お疲れ様です旭さん。聞きましたよ、この度はご愁傷様です』
「こいつは驚いたな。冴木総務部長閣下ともあろう御方が、こんな時間まで残業とはね」
『ちょっと月締めの計算が合わなくてですね。本当に残業なんてするもんじゃないですよ。会社にいるせいで、自分に関係ない仕事の処理までさせられるんだから』
「ははは、残業あるあるだな」
電話の相手は
年齢は三十代前半ということだけ分かっている。
旭はからかい半分に総務部長などと呼んでいるが、もちろん小さな運送会社であるマチダ運送に総務部だの人事部だの、ご立派な部署分けがあるはずもなく、あらゆる事務作業を何でもこなす事務局があるだけだ。
冴木は入社三年目にして事務局の中核的な存在であり、社長の信頼も厚い、やり手の事務員であった。
「それで何か用か?」
『実は夕方、旭さんがいま積んでるナインコーラさんから確認依頼があったみたいなんです。パレット指定の積荷だったと思いますけど、ナンバー外の出荷があった可能性があるって。すいませんけど、ヒルクヤードが何パレットあるか確認してもらえませんか? あとロットも』
「今か?」
『今です。明日の朝イチまでにメールで報告するようになってたんですけど、電話受けした子がメモだけ書いて、そのまま忘れて帰っちゃったみたいなんです。さっき私がその子の机にあったメモを、たまたま見ちゃってですね。こうして電話してるってわけです』
「それはそれは。余計なもん見ちまったもんだな、そっちこそご愁傷様だ」
『だから残業なんてするもんじゃないって話ですよ』
「分かった。適当な所で停まって見てみるから、ちょっと待っててくれ。ハルクヤードだっけ?」
『ヒルクヤードです』
「変な名前のジュースだな。何味なのか全然想像つかねーぞ」
電話を切る。
時間を見ると、もうすぐ日付が変わる時間帯である。事務員の給料もそんなに高くないはずなのに、本当にご苦労なことである。
「仕事忘れてさっさと帰った奴が今ごろグースカ寝てて、がんばる奴が余計な仕事まで押し付けられるとはな。世の中どうかしてるぜ」
わざわざトラックを停めて確認など面倒くさい限りだが、自分より十以上も年下の女が頑張ってんだ。ここは気持ちよく協力してやろうじゃねえか。
手近で停車できる場所を探そうと目を向けると、ちょうど三キロ先にサービスエリアがあるという標示があった。
ここでいいか。
すぐに到着し、トラックの駐車スペースに駐車する。
深夜のサービスエリアは閑散としていた。
当然ながら店は閉まっており、自販機とトイレの明かりだけが、やけに自己主張も激しく輝いている。駐車場に乗用車はおらず、ここで一夜を過ごすつもりらしいトラックが数台駐車しているのみであった。
リヤドアを開き、懐中電灯をかざして積荷を確認する。件のヒルクヤードは後方に積んでいたためウイングを開く必要がなかったのは幸運だった。
再び冴木に電話をかける。
「もしもし、旭だ。確認したけど、やっぱヒルクヤードってのは四パレしかないぞ。ロットも伝票通りだ」
『すいません、その伝……ってる可能性があるんです。旭さ……ってました? ……こっちで積み替えの必要があるかも知れ…… 申し訳…… んか?』
「あん? 何だって? ぜんぜんブツブツで聞こえねえよ! 電波悪ぃのか? ああクソが」
ここで旭は致命的なミスをする。
電波状態の良い場所を探して、旭はリヤドアを開けたままその場を離れたのである。
深夜で周囲が閑散としていたため油断していた。そのとき遠くから小さな人影がトラックに近づいて来ていることに、旭は気付かなかった。
/
あれ、開いてる?
少女はその奇妙なトラックに近づいて行った。
夜中とは言え、荷台が開けっ放しだなんて不用心なことだ。一体どうしたんだろう。
トラックのすぐ後ろまで来て、少女はハッとする。
ナンバープレートに『福岡』とある。そしてここは下り線のサービスエリアだ。
ということは……このトラックは、福岡行きだってこと!
荷台の中を覗いてみる。ダンボールが山と積まれているが隙間はある。
離れた所から男の声がする。運転手だろうか。電話に夢中な様子だが、何を話しているのかはよく分からない。
怒られるかな?
当然考えた。
もちろん怒られるに決まっている。分かり切った事だ。そして見知らぬ厳ついトラックのおじさんに怒られるなんて、怖いに決まっていた。
しかし少女は自分に問いかける。
じゃあ、やめておくか?
それも答えはNoだった。福岡に行くと決めて、家出までしてきたのだから。
それにこれなら追っ手を撒ける。月城さんも、まさか私が通りすがりのトラックに乗って福岡へ行くなんて考えもしないだろう。
これはきっと神様の導きに違いない。神様なんて信じてないけど。
少女は意を決し、ステップに足をかけて荷台に上がり、荷物の陰に身を潜めた。
/
「福岡着いたらまず会社に寄れだぁ!? 冗談だろ、すげえ遠回りになっちまうじゃねえか!」
旭は思わず大声を上げてしまった。
さっきの電話から更に詳しい事情が判明したと冴木から告げられ、その説明を聞いたところ、
「もしロットの違う商品が積まれていた場合は、九州にある支店から正しいロットの商品を朝イチでマチダ運送に送る。納入先には商品を入れ替えて持って行ってほしい」
というのが先方の要求。そのため旭には福岡に帰ったら一旦会社の方に寄ってほしいということだった。旭の言う通り、高速道路から直接納入先に向かうのに比べて、かなりの遠回りになってしまうのだ。
腹立たしいのは、このミスの原因が、その先方の事務員による伝票の書き間違いであるという点なのだ。
「俺、昼から四ツ星に行く仕事もあんだぜ? ただでさえギリギリなのに、そっちはどうしろって言うんだよ!」
『四ツ星の方にはこちらから連絡しておきます。旭さん、ブランドオーナーの要求です』
なにがブランドオーナーだ、偉そうに。
てめえらはてめえらの得意先に正しい商品が送れさえすればそれでいいんだろうが、こっちはその後、別の会社との仕事があんだぞ。自分たちさえ良ければマチダ運送と四ツ星飲料との契約や信頼関係なんざ、知ったこっちゃねえってのか。
知ったこっちゃねえのだろう。取引先とはそういうものだ。
心の中で毒づくものの、しがない地場運送屋の社員にそれ以上のことができるはずもない。
旭は了解の旨を告げ、乱暴に電話を切った。
冴木が悪いわけではないのに八つ当たりのようになってしまい、直後に自己嫌悪。
「くそっ、そもそも悪ィのは伝票打ち間違えたテメェん所のバカ事務員じゃねえのか! なんでテメエらの尻ぬぐいで俺らが振り回されなきゃいけねーんだよ!」
深夜のサービスエリアに無力なロスジェネ中年の遠吠えが空しく響き渡る。
旭はトラックに戻ると力任せにリヤドアを閉め、運転席に乗り込んで出発した。
―――― まさにこの瞬間。
穴掘りと石運びとトラック運転しかなかった四十数年の人生が、かつてないほど大きく動き始めた事になど。
当然ながら旭は、気付くはずもなかった。
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