12.

どうやら月城徹つきしろ とおるという男は。

すなわち、この俺は。

どちらかと言えば優秀な部類の人間らしい。

その事には子供の頃から薄々と気付いていた。

だから、決して驕ってはならないと子供心にも自分に言い聞かせていた。

強い者は弱い者を守らなければならない。

優れた者は劣った者を助けなければならない。

当たり前の道徳心として、そう思っていた。だから勉強が分からない者には教え、相手がそれを理解できなければ自分の教え方が悪いのだと自省し、分かる教え方を模索した。

我ながら生真面目に、誠実に生きてきたと思う。

空手部で心身を鍛え、勉学にも励み、文武両道を貫いた。

だから筑羽大学を卒業し、当時の歴史的な就職氷河期にあっても一流企業であるゴールドプレートに新卒入社できた時には、その成果が出たと思った。ただ、大学で学んだことを全く生かせない社会の就職システムに、疑問を感じはしたが。



働き始めてまず驚いたのは、ろくに仕事を教えてもらえない事だった。

習ってもいないことをいきなりやらされ、出来なければ頭ごなしに怒鳴りつけられる。習っていないと言えば、待ってましたとばかりに「社会人は自分で学ぶものだ」と得意げに言われる。

それは分かるが、いくらなんでも教えなさ過ぎではないか?

違和感を覚えて大学時代の友人に相談したが、誰に聞いても同じような状況だった。「一流企業でもそうなのか?」と逆に驚かれてしまったくらいだ。

そうなのか。なら仕方がない。自分で学べか、良いだろう。やってやる。

反骨心に火がついた。連日、終電まで残業が続く仕事漬けの生活が始まったが、決して折れなかった。

当時の不満は、自分の時間が確保できない事だった。

仕事漬けの日々が続けば、言われた仕事はできるようになる。ノウハウもそれなりに修得できる。しかしその程度で満足していて良い筈がない。もっと学ぶべき事があるはずだと常々思っていた。

自分で学ぶために本を読んだり自己研鑽をしたいのに、こんな生活ではその時間が確保できない。それを上司や先輩に言うと「時間は自分で作るものだ」と、またしても得意げに言われた。

おかしいのは、そうかと思って百二十パーセントの力を出して自分の仕事を早く終わらせれば「お前、手空いたの? じゃあこれもやって」と別の仕事を入れられる事だった。しかも百二十パーセントの力を出したから終わらせることができたのに、「なんだ早く出来るじゃないか。じゃあこれからずっと、そのペースでよろしく」と言わんばかりの要求をされるようになった。

勉強時間は確保できず、仕事量は増え、自分の首を締めただけ。これなら頑張らずに、のんびり当初の仕事だけやっていた方が良かったではないか。

努力が報われない環境に不満は募ったが、ここでヤケを起こすのは愚者の思考であろうと思い直した。

一見不条理に見える先輩達だが、仮にもこの世界で何年もやってきた経験者達なのだ。説明の言葉が足らないだけで、こんな環境にもそれなりの意義と合理性があるのかも知れない。バカではあるまいし、本当に不条理なだけの環境なら、この先輩達がとっくに変革している筈ではないか。

そう思ったから、修行だと思って耐えることにした。

このときはまだ、世の中がそこまでバカげているはずは無いと。上司や先輩達がそこまで愚かなはずは無いと、信じていたのだ。



決して自惚れではなく、若手の中でも自分は優秀な方であったと思う。

成績は申し分なし。仕事に関する知識やノウハウの蓄積量は、何年か先に入社した程度の先輩などあっという間に追い越し、直属の上司にも一目置かれる存在だった。

社内には「長く働いている者が偉い」という謎の空気感があったが、それにしたって自分は入社以来、終電間際までの残業を日常的に続けており、先輩達に決して見劣りしていない。

死角は無い筈だった。

評価されるに値する実力と成績を兼ね備えている筈だった。

一時など、無能な上司の年間スケジュール作成を手伝い、ほぼ一人で完成させ、上司よりよほど実力があることを立証して見せたほどだ。

しかし功績が認められることはなく、昇進したのはその無能な上司の方だった。

なぜ無能が昇進するのか人事部の知り合いを通じて確認したところ、「その上司が今年で勤続十五年だったから」というだけの理由だった。

年功序列。

有能も無能も関係ない。結果を出しても関係ない。すべては順番。

優秀な人間ほど損をして、無能な人間ほど得をする、悪しき平等主義。

その弊害を、身をもって知らされた。



飲み会が死ぬほど嫌いだった。

この世にこんな無駄なものは無いと常々思っていた。

「いいから来い。来れば分かるから。皆でワイワイ飲んで、普段言えないこと言い合ってさ。嫌なことはパーッと忘れてさ」

先輩達の言っている事が理解できなかった。実際に参加してみても。

普段言えない事とは何だ。なぜ言えない。不満があるなら正々堂々、上司に面と向かって言えばいいではないか。酒の力を借りなければ、言いたいことも言えないのか。それでも男か。情けない。

嫌なことはパーッと忘れるとは何だ。嫌なことがあるのなら、必要なのは忘れることではなく、改善する努力ではないのか。こんな所でグダグダしている間に、その嫌なことが起こった原因の究明、二度と繰り返さないための処置対策を講じるべきではないのか。

酒など決して美味いものではない。それなのに金ばかりかかる。

そして金を無駄使いさせられるより更に我慢ならなかったのは、時間を無駄にさせられる事だった。

ただでさえ本を読む暇がないのに、なぜこんな無駄なことに貴重な時間を費やさなければならないのか。これならいっそのこと、会社に残って残業を続けた方が、明日の負担が軽くなるだけまだマシというものだ。

得るものなど一つもない、時間と金の完全なる無駄使い。

あるとき、しつこく飲みに誘ってくる厄介な先輩にとうとう我慢できなくなり、皆が見ている前で飲み会の意義について徹底的に問い詰めてやった。飲み会の無意味さを列挙し、相手の反論をことごとく論破し、完膚無きまでに叩きのめして晒し者にしてやった。

和を乱してけしからんということで人事評価は下がったようだ。しかしその後、その先輩はもちろんのこと、他のバカな先輩からも飲みに誘われることは無くなり快適になった。

もっと早くやれば良かったと後悔した。



入社十年目には悟っていた。

先輩が後輩を教えないのは、単に教える能力がないだけ。

上司が理不尽に仕事を押しつけてくるのは、単にタスク管理の能力がないだけ。

個人の努力など誰も見ておらず、人事は機械的な年功序列。

「いくら何でもそこまでバカではないだろう」と信じた上司や先輩は、本当にそこまでのバカだったのだ。自分が十年間もバカに利用され続け、時間を無駄にしたのだという事を悟っていた。

これではダメだ。

危機感と、そして使命感が胸に芽生えた。

こんな組織体制は間違っている、これでは誰も幸せになどなれない。人間らしい生き方などできない。

まずは自分にできる事から始めよう。そう思って後輩の教育に力を入れた。

かつて自分が新人だった時、先輩の中に知識やノウハウを自分一人で抱え込み、それで自分の存在価値を守ろうとする愚か者がいた。

そうではないだろう。

リープフロッグという言葉を知らんのか。自分が十年かけて得たものなど、後輩には二年で習得してもらう。そして後輩には、さらにレベルの高い仕事をしてもらう。

後進が先達を追い越して行くのは当たり前だ。もともと人類は、そうやって発展してきたのではないか。

自分がしてもらえなかった事を、後輩にはしてやろう。そう思って自分が毎日残業を繰り返し、体で覚えてきた知識やノウハウを、後輩には最初から一切の出し惜しみなく与えてやった。

この程度のこと、さっさと習得しろ。俺のレベルくらい、さっさと追い越せ。本番はその先だ。この旧態依然とした体制を俺達でブチ壊すのだ―――― そう思って。

しかし後輩は思うように成長してくれなかった。

ある程度ノウハウを身につけて日常業務をスムーズにこなせるようになると、後輩は遊びに流れてしまうのだ。

いくら自分が苦労して後輩たちのタスク管理を完璧にし、無理がないよう配慮し、自分が若い頃にあれほど渇望していた自由時間を確保してやっても。

後輩はその貴重な時間を自学研鑽のためではなく、仲間や彼女との遊びや、自宅でのゲームに湯水のごとく注ぎ込んでしまう。自ら学ぼうという意志はなく、一向に自分の頭で考えようとしない指示待ち人間になってしまう。

ある日とうとう我慢できなくなって、強めに叱ったことがある。すると後輩たちは、一斉に「パワハラ」「昭和マインド」「老害」を大合唱して被害者気取りだ。

子供の頃にそうしていたように、後輩が成長しないのは俺の教え方が悪いのかと思い悩んだ。無力な自分に打ちのめされた。



自分と同期で入社した五人のうち、一人が自殺し、二人が退職した。いずれも理由は上司による苛烈なパワハラだった。

あとの一人は心を病み、窓際族となって休職と復職を繰り返している。理由は上司からのパワハラに加えて、後輩からの逆パワハラ。満足に仕事ができず日常的に叱られている様を後輩に見られ、バカにされるようになったのが原因だ。

実際のところ、彼は無能だったわけではない。単にその上司が自分の権威を見せつけたいばかりに、見せしめとして怒鳴りまくっていただけだ。周囲もそれに薄々気付いていながら、触らぬ神に祟りなしとばかりに誰も助けようとはしなかったのである。

本来ならバカな上司や周囲の人間に、仲間を潰されたことを怒るべきだったのだろう。

しかし自身もうまく行っていなかった反動か、逆に脱落して行った仲間達を内心で「根性なしが」と罵った。そして自分は、自分だけは違うと更に必死になった。

自分が視野狭窄になってきている事は分かっていたが、日常の膨大な仕事量の前ではどうしようもなかった。忙殺され、立ち止まって考える自由を奪われ、自分が冷静な判断を下せなくなっている事にすら気付けなかった。

今にして思えば、おそらく他の同期たちも同じような状態だったのだろう。結果として自分たちの世代は、数少ない同期とすら団結できず分断されてしまっていたのだ。



なぜこんなに報われない? なぜこんなに生きづらい?

ある程度優秀であるはずの自分ですらこんなに苦しいのなら、他の同世代の者たちは一体どうなっているのだ?

多忙な毎日を過ごす中で、漠然とそんな思いが浮かぶようになっていた。

そんなある日、ネットで「ロスジェネ」という言葉に出会った。

今まで何となく耳にしたことがある言葉だが、そういえばどういう意味なのだろう?

検索してみて、それが自分達の世代のことだと初めて知った。

実はこの生きづらさが自己責任などではなく、時代のせいであり、社会の構造的問題だったということを初めて知り、驚いた。

派遣切り、ワーキングプア、パラサイトシングル……同世代たちの惨状を、十年以上も過ぎた今になってようやく知った。今まで毎日仕事に忙殺され、こんな大事な知識に触れる機会さえ奪われていたことに気づき、愕然とした。

そして考えた。

ならば、どうするか。

知ったからには何かしなければならないと思った。少なくとも、バカな先輩どものように居酒屋でクダを巻くだけの無能になり下がるのだけは、死んでも嫌だった。

根本原因は、もちろん不況だ。しかし不況は自然災害のようなもので、いつか必ず起こる。大切なのは不況になった時にいかに早くそれを克服するかだ。

本当に問題なのは、日本の不況が二十年も長く続いた事なのだ。不況が続いた理由は諸説あるが、そのすべてが要約すれば政府の失策。

政治だ。

政治を変えない限り、この生きづらさは、俺達の不幸は終わらない―――― 。

心密かに青雲の志を抱き、ない時間を削って情報を集めた。

別所井という政治家の講演セミナーがあることをネットで知った。何かの参考になるかも知れない。それを聞いた鯖尾という後輩が興味を示したので、一緒に参加することにした。



ある日、仕事の都合で都心から外れた小さな工場を訪れた。

工場内の空き地で、小学生くらいの少女が工場の従業員たちとバドミントンで遊んでいた。聞けば社長の娘なのだという。

まるで古い時代のような、人情味溢れた光景に胸が熱くなった。

無邪気にラケットを振り回す幼い少女を見つめて、思った。

あの子が大人になった時、どうか幸せであってほしい。

あの子に俺達のような、残酷な未来を残すわけには行かない。

自分が不幸な目に遭ったからこそ。

子供達に同じ不幸を味あわせてはいけないのだ、絶対に。

決意も新たに空を見上げる。

工場の尖塔には、『里見工業所』と名前が大きく掲げられていた。


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