13.
旭の鉄拳が脇腹に突き刺さり、月城の体がくの字に折れる。
さらに追撃で左拳を振り下ろすが、これは上段受けで防がれる。
月城の反撃。正確に
これをまともに受け、旭は大の字になって後ろに倒れた。
「ガッ……! っの野郎、効くじゃねえか……!」
顎の痛みと、グラグラ揺れる視界に吐き気を覚えながら、旭は身を起こす。
「なぜ俺の邪魔をする……」
肩で息をしながら、月城は呪詛のように呟いた。
「なぜ分からんのだ。国の中枢を老人どもが牛耳っている限り、俺達のような悲劇はまた繰り返される。これに外から声を上げていても何も変わらん。本気で変えたいと思うのなら、その中枢に入り込んで内側から変えるしかないのだ」
「またその話かよ」
旭は立ち上がり、血の混じった唾を吐き捨てる。
「理屈は分かるさ。ただ俺が気に入らねえのは、それで鈴華をジジイに売り渡そうっていうお前の腐った性根だって言ってんだろ」
「それが分かっていないと言っているのだ! 老人どもの中枢に入り込むために、そうするしか手が無いからだろうが!」
月城は激昂して叫んだ。
「貴様に分かるか! 正義を成したいと思いつつ、こんな下衆な所業に手を染めなければならん苦痛が! 憎き老人どもに服従して、奴らの下らん欲望のための駒にならざるを得ない屈辱が! 何の力も持たん底辺の無能が、安い正義を振りかざして、それで正義の味方を気取れて満足か! 清濁併せ呑むということがどういう事なのか、貴様は何も分かっていない!」
「……………………」
「変革しようという時、少数の犠牲はどうしても出てしまう。それが現実だ。人間は所詮、最大多数の最大幸福を追求することしか出来んのだ。俺が上に行って大義を成すには、いま里見鈴華の犠牲がどうしても必要なのだ!」
「……………………」
「何も分からんバカが余計な事をするな、いいから黙ってあの
怒りの言葉はもはや絶叫に近かった。
苛烈な魂の叫びに、旭はしばらく沈黙する。
凄惨な目で睨みつけてくる月城の視線を、正面から受け止める。
最大多数の最大幸福。現実的な正義。
それが理想と現実との間でもがき苦しんだ、この月城という男が出した結論なのだろう。それを頭ごなしに否定することは、旭には出来なかった。
「そうかい」
しかし否定できない事は、月城の主張を認める事と同義ではない。
旭は言った。
「そうしてお前も、いつか金で女子高生を買うような、下衆なジジイになっちまうんだろうな」
「なんだと?」
月城は目をむく。
「なるわけがないだろう、貴様ごときに俺の志が分かってたまるか!」
「いいや、なるさ。な~んか分かってきたぜ、なんで偉い奴ほどクズが多いのか、その仕組みってやつがよ」
一歩、月城に歩み寄る。
「今お前、将来もっと多くの人間を救うって言ったな。将来っていつだよ。どこまで偉くなれば、お前は多くの人間を救えるようになるんだ。総理大臣にでもなりゃあ、出来るようになるのか?」
「何が言いたい」
「たぶん最初は、みんなそうなんだろうよ。別所井って爺さんもそうだ。たぶん本人は、自分はまだ志とやらを持っていて、今はまだ途中だと思ってるんだ。途中だから清濁併せ呑まなきゃいけねえ、だから多少の犠牲は仕方がねえってな」
さらに一歩。
ゆっくりと歩み寄りながら、旭は続ける。
「だけど大義とやらはいつまで経っても実現できなくて、何も成せねえまま歳だけ食って、それでも自分はまだ志を持っていて、今はまだ道の途中なんだって信じ込みたくて……そしていつしか、失った青春を取り戻してえ、若い女子高生の娘とヤリてえ、なんて私利私欲にも『大義を成すための必要な犠牲だ』なんて言い訳するようになって」
「黙れ」
「昔の自分なら到底認められなかったはずの、そんな屁理屈を認めちまうほど、心の境界線みたいなもんを見失っちまってよ。いつの間にやらクズ政治家の出来上がりってわけだ。お前、いい見本が近くにいるんじゃねえか。その別所井とかいう大先生が、今から三十年後のお前だよ」
「ふざけるな!」
「今の俺には何の力もないが将来は……なんて、都合のいい言い訳してんじゃねえよ。将来の自分なんてものに丸投げしてんじゃねえよ。救う気があるんだったら、いま救え。身の丈ぶんでいいから、いま救え」
再び月城の前に立ち塞がり、指を突きつけて言い放った。
「戦うんなら、いま戦え」
月城は沈黙した。
握った両拳が震えている。
ゆっくりと構えようとして―――― ふらふらと揺れるネクタイが目に留まった。
煩わしげにネクタイを首から抜き取り、床に叩きつける。
「ああっ!」
そして頂点に達した苛立ちを吐き出すように、シャツを引っ張ってボタンを引きちぎり、上着をまとめて脱ぎ捨てた。
四十歳を過ぎたとはとても思えない、発達した筋肉が露わになる。
それは月城という男が、いかに節制を忘れず己を鍛え、高尚な精神をもって人生を歩んできたのかを如実に表していた。
「殺す」
憎しみに燃える目で構える月城。
旭は大悪党のように笑った。
「いいねえ、燃えるじゃねえか。好きだぜ、そういうの」
自分も金のネクタイを抜き取り、シャツを引きちぎり、床に投げ捨てる。
二十年間、山奥で重いツルハシを握り、巨大な岩を砕き続けてきた。
たとえ記憶に残っていなくても、肉体は覚えている。長い年月をかけてその身に刻み込んだ『鍛え』は、未だ消えることなくその身に宿っていた。
裸一貫、真剣勝負。
かつて喧嘩を祭と称した、今は遠き昭和の時代に生まれた二人。
現代に蘇った二人だけの喧嘩祭を、花火が鮮やかに彩る。
「行くぞオラァーーーーーーーーーッ!!」
「おあああああああああああああああ!!」
雄叫びを上げ、両者は再び激突した。
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