二日目

1.

翌日、旭らは太宰府天満宮を訪れていた。

九州自動車道を南下してインターを降り、少し離れたパーキングに車を停める。

徒歩で太宰府駅へ。そこから天満宮へ続く参道が長く伸びていた。

「ぐおぉ……い、痛ぇ。神部、俺はもうダメだ。俺に構わず先に行け」

「誰もお前なんかに構ってねえよ。話しかけんな、返事すんのも億劫だわ」

旭と神部は全身を覆う筋肉痛と節々の痛みに悶絶していた。

参道の両側には名物の梅ヶ枝餅を始め、食堂や土産物屋が立ち並び、大勢の観光客で賑わっている。が、二人はそれどころではない。昨日は気付かなかったが、どこかで足を蹴られていたのか、太股に痛みがあってうまく歩けない。

「気持ちは分かりますけど、もうちょっと普通にできませんか。一緒に歩いていて恥ずかしいんですけど」

呆れたように言う冴木に神部がムキになって言い返す。

「お前、そんな発言が出る時点で俺達の気持ちなんか全然分かってねえじゃねえか。こちとら名誉の負傷だぞ」

「えい」

「や、やめろ、突っつくな! ぐお痛ぇ」

「鍛え方が足りないんじゃないですか。よくそんなんで今まで大型ドライバー務めてきましたね」

「普段と使う筋肉が違うんだよ……だからやめろって!」

冴木に指一本で翻弄されている神部。

こっちに来ねえでくれよ、と旭が内心で祈っていると、鈴華が隣にやってきた。

「大丈夫、おじさん」

「おう、ぜんぜん大丈夫だぜ! ……って言いてえ所だが、正直ちょっとマジで痛ぇかな。情けねえもんだぜ、昔は大喧嘩した次の日だろうと、当たり前にツルハシ担いで山に入ってたのに」

「ごめんなさい」

「いや、お前が謝るこっちゃねえよ。心配すんな、まだ朝だから筋肉が固まってるだけだ。もう少し動いて血の巡りが良くなりゃあ、痛みもなくなるからよ」

平日にも関わらず参道にはそれなりに人手がある。

店頭で梅ヶ枝餅を焼いている店の前を通り過ぎながら、旭は言った。

「帰りに買って食おうな。梅ヶ枝餅、食ったことあるか?」

「ううん。でも、東京のデパートで見たことはある」

「さすが東京にゃ何でもあるなぁ。まあ昔の菓子だからそこまで美味いもんでもねえけど、記念に食っとく分には悪くねえ味だぜ」

「楽しみ」

うなずく鈴華だが、その笑顔には今ひとつ元気がない。

原因は明らかだ。今日の午後には父親が福岡にやってくる。家出してきた手前、会うのは気が滅入ることだろう。

旭は少し考え、言葉を選びながら尋ねてみた。

「あのよ……やっぱ親父さんに会うの、やめとくか?」

「え?」

「だってお前、花火が見たくて家出して来たんだろ? 別に帰らねえって言ってるわけじゃねえ、たった三日くらい遊んで花火見たら帰るって言ってるんだ。たった三日の自由なのに、それすら親父に水差されたんじゃあんまりだしよ」

「でも」

「俺はいいと思う。今はお前の意思こそが一番尊重されるべきだ。お前が嫌だって言うんなら、このまま面会ぶっちぎって行きたい所に連れてってやるぜ」

鈴華は呆気に取られたように目を瞬かせていたが、それから苦笑を浮かべた。

「おじさん、いくら何でもお人好し過ぎだと思う。よく言われない?」

「え、何でだよ」

「会いに来た保護者との面会を無視するのって、いくら何でもまずいと思う。それが私の意思だったとしても。どうかしたら、おじさん達が誘拐犯ってことになっちゃいそう」

「でもお前、そんな暗ぇ顔してよ。たった三日しか時間ねえのに、そんな顔させとくのは忍びねえと思ってよ」

「気を使ってくれてありがと。でも大丈夫、お父さんとは会うから」

鈴華は微笑んできっぱりと言い切った。

「もしできたら、おじさんも同席してほしい」

「お、おう、そりゃあな。月城の野郎もいるし、親父さんにもスジ通さなきゃなんねーし、会うんなら俺も行くつもりでは居たけどよ」

義侠心からの提案だったが、堂々とした鈴華の返事に拍子抜けしてしまう。

結論が出たところで、冴木が軽く拍手しながら話に入ってきた。

「どうなることかと思って聞いてたけど、さすがね鈴華ちゃん。旭さんなんかより、よっぽど大人だわ」

「何だよ、どういう意味だそりゃ」

「鈴華ちゃんの方がよっぽど常識があるって言ってるんですよ」

「そうだぜ。ただでさえ俺たち非常識なマネしてるってのによ。保護者との面会拒否を教唆したとあっちゃ、もう弁解の余地ねえじゃねえか」

神部も尊大に腕を組んで言う。

「それでなくとも、東京からわざわざいらっしゃるお父様を無視するなんて、常識的に考えて、ねぇ」

「面会ぶっちぎるとか言い出した時はマジで焦ったぜ。お前、自分が四十過ぎのオッサンなんだって事、もうちょっと自覚した方がいいぞ。このご時世、中年のオッサンなんて社会的には一番の弱者なんだからよ」

「いやだから、俺だって親父さんにスジ通す気はあったんだって。けどこいつが元気ねえみてえだからよ、そんな顔させとく位ならって思ってよぉ」

慌てて弁解するが、二人は取り合わない。

鈴華は偉い、旭はダメ大人、で評価が確定してしまった。

「ちくしょう、どうせ俺ぁバカだよ! 大学にも行ってねえよ!」

「いや大学関係ないですから」

「せっかく大宰府まで来たことだし、頭良くなるようにお願いでもしたらどうだ」

ふてくされる旭を置いて、二人はさっさと歩き出してしまう。

「おじさん、ありがと」

二人について行く鈴華がそう言って笑ってくれたのが、せめてもの救いだった。



鳥居をくぐり、心字池にかかる三つの橋を渡る。

楼門を通り抜けると、広々とした境内と荘厳な本殿が眼前にあった。

「おお~。久々に来たが、やっぱ立派だなぁ、天神様は」

「そりゃ福岡屈指の観光名所だからな。受験生の聖地だし、最近じゃ令和の元号の由来になったとかで、また知名度上がったからな」

「それなら俺も知ってるぜ。なんか大宰府に関係ある和歌が元ネタなんだろ?」

「旭さんにしてはよく知ってるじゃないですか。大宰府の長官が梅の宴を開いた時に詠んだ歌で、万葉集に収められてるやつなんですって」

「へー……って、冴木よぉ。お前、俺に対してだんだん遠慮がなくなってきたな」

さっそく手水屋で手を洗って本殿の参拝列に並ぶ。

受験シーズンでもないのに、なかなかの混雑ぶりである。聞き慣れない言語が飛び交っていることから察するに、中国あたりの団体観光客でも来ているのだろう。

小銭を用意しながら列が進むのをのんびり待っていた時だった。

「旭さん、あそこでお守り買えるみたいですよ」

冴木が後方の授与所を指差して、そんなことを言ってきた。

「あん? 欲しいのか?」

そして旭が振り返って授与所に目をやると、急に声を落として言葉を続ける。

「そのまま顔を動かさずに、目だけで確認して下さい。怪しい奴がいます、絵馬をかける所の近くです」

思わずそちらを向いてしまいそうになるのを、辛うじて自制できた。

目線だけで確認して見れば、なるほど絵馬掛所の陰に隠れるようにしてスーツ姿の男が二人、こちらの方を伺っている。

「こっちが素人だからってナメられたもんだな。こんな場所でスーツなんて、思いっきり悪目立ちしてるじゃねえか。あれで尾行してるつもりかよ」

「あの月城って人の部下でしょうか」

「だろうな。なぁに、気にするこたぁねえよ。こんな人目が多い場所で人攫いなんてできっこねえ。ただの監視役だろ」

順番が来たので参拝を済ませる。

来た道を戻り絵馬掛所を通り過ぎる際に、聞こえよがしに呑気な会話をしてやった。

「改めて考えてみるとよ。何でここが受験生の聖地なんだろうな」

「そりゃお前、菅原道真が学問の神様なんて呼ばれてるからだろ」

「じゃあその菅原ってのがもし今、大学受験したら合格できるのか?」

「いや……平安時代の人間だから無理だろうけどよ。そういう問題じゃねえから」

参道まで帰ってくる。

梅ヶ枝餅のお店を物色しながら、さらに話し合った。

「それにしても、相手はどうして私たちの居場所が分かるんでしょう」

「今どきそんなもん、いくらでもやり様あるだろ。あんな風に監視を付けてるのかも知れねえし、嬢ちゃんの荷物に発信機でも付いてるのかも知れねえ」

言われてリュックを降ろしかける鈴華を、神部は手で制止する。

「今やらなくても、後でゆっくり探してみようや。発信機は俺の車に付いてるのかも知れねえし、もしかしたら発信機じゃなくて嬢ちゃんのスマホの位置情報を拾ってるのかも知れねえ。でもだからって、いまスマホ捨てるわけにも行かねえだろ?」

「別に居場所がバレてたって、どうってことねえよ。人目のある所に居ればおいそれと手出しできねえんだし、それでも来るならブッ飛ばしてやりゃあ良いだけだ」

パシンと自分の手に拳を打ち付ける旭。

その単純な思考に、他の三人は苦笑を漏らすのだった。


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