4.

地上123メートル、360°全面ガラス張りの展望室。南には九州一と名高い繁華街の街並みが広がり、北側は一面の空と海という対照的な風景が広がっている。

タワー内は展望室となっている三つの階がすべて解放され、招待された二十組の客は自由に行き来できるようになっていた。

料理や飲み物は主に展望二階のレストランにビュッフェスタイルで用意されており、他の階でも種類はだいぶ少ないが、軽食と飲み物を用意しているコーナーがそれぞれ設置されている。

この時期は日が落ちるのが早い。到着した時はまだ明るかったのに、三十分も経った頃にはもう外の景色は群青色の闇が色濃くなり、空には星が瞬き始めていた。

「恋人の聖地」

そして旭は絶望的な気分になりながら、目の前の看板を見上げていた。

展望室の一角に大きなハート型のアーチが設置されており、そう書かれた看板が掲げられているのだ。アーチの奥は壁際に腰下くらいの高さのフェンスがあり、無数の南京錠が取り付けられている。

さらに少し離れた所には、その南京錠が売られている自動販売機があった。

「恋人たちの永遠を約束する誓いの鍵。大好きな人と愛の誓いを込めて鍵をかけると、その二人は永遠に結ばれるという『愛鍵伝説』。誓いのフェンスに、大好きな人と永遠の愛を誓いつつ、愛鍵をロックしてください」

そこに書かれている説明文を、旭は真顔で読む。

愛鍵とは。そして誓いのフェンスとは。

何と言うか、ツッコミどころ満載である。よくもまあこんなにも胡散臭いスペースを作ろうと思ったものだ。

自販機を見る。ノーマルの愛鍵は千円、メダル付きは千五百円。

こんな小さな南京錠が千円とか、どんだけボッタクリだよ。絶対これ百均で売ってる安物の南京錠だろ。

そう思うのだが、しかし壁際のフェンスを見ると、これがびっしりと無数にロックされているのである。タワーに来た記念にノリでやったのかも知れないが、どいつもこいつもチョロすぎだ。

そんなことを考えながらふと隣を見ると、鈴華がこちらを見上げていた。

互いの視線が正面衝突する。

「………………」

ガン見していたくせに、鈴華は「たまたま目が合ったんだ」と言わんばかりの何食わぬ顔で、ゆっくりと視線を逸らした。

「何だよ」

「何が」

「見てただろ」

「別に」

「もしかしてやりたいのか、コレ」

「やりたくない。やるわけないし、こんな頭悪そうなの。恥ずかしい」

なぜか不機嫌そうに吐き捨て、さっさと歩き出してしまう。

「おい離れるなっての」

うさんくさい恋人の聖地を離れ、東側に移動する。

そこからは福岡市の中心街である天仁・博田地区、さらにその郊外までが一望できるパノラマが広がっていた。

博田空港へ向けて飛行機が高度を下げて着陸しようとしているのが見える。それを見ながら旭は感慨に耽った。つい昨日、あそこからヘリにしがみついて飛んだのだ。我ながら無茶をしたものである。あそこからこう行って……と昨日の経路を辿ろうとした旭は、高台にある自分の母校を見つけて思わず声を上げた。

「お。俺の高校があるぜ」

「どこ?」

鈴華が間髪入れずに食いついてきた。

ついさっきまで不機嫌だったはずだが、旭の体を押しのけんばかりにグイグイ寄ってくる。

「あそこだよ。ほら、あそこにコブ二つある山があんだろ。手前のコブのてっぺんに学校あるだろ」

「分かんない。どこ?」

「あ~、ほら。あそこに空港があるだろ? そっから右に行くと高い鉄塔があって」

「鉄塔? どれ?」

苦労しながら場所を教えてやると、ようやく鈴華も見つけたらしい。

ここからではゴマ粒ほどにしか見えない旭の母校を、目を細めて見つめた。

「あそこが、おじさんの高校」

「もう三十年くらい前の話になるがな。お前がまだ生まれてすらねえ頃の話だよ」

「あそこで、あの事件があったんだね」

鈴華の言葉で、旭の胸にほろ苦いものがこみ上げてきた。

友達だと思っていた女生徒の絵の中に、自分がいなかった時の驚き。気まずそうに釈明する仲間たちを前にした時の、いたたまれなさ。

あそこに、確かに俺は居た。

あのグラウンドで毎日、情熱の限りを燃やしていた。

自分の努力はいつか必ず報われると、無邪気にも愚かにも、心から信じることが出来ていた頃。

それがまさか三十年後、こんな苦い思いを抱えることになろうとは。

「おじさんは悪くない」

横からかけられた声に振り返る。

鈴華がこちらを見上げていた。強い光を宿した真っすぐな目が、そこにあった。

「……そうだったな」

旭は笑みを返す。

鈴華はガラスに手をつき、もういちど遠くにある旭の母校を見つめた。

「行ってみたい」

「残念ながら時間切れだ。お前、明日東京に帰るんだろうが」

「家出の期間、一ヶ月くらいにしとくんだった。五日なんて全然足りなかった」

「どんだけ学校サボる気だよ。……また今度な」

鈴華は驚いたように振り返る。

「また来ていいの?」

「来るぐらい別に構わねえさ。仕事が空いてりゃ付き合ってやるよ」

「言質取ったよ。大人の社交辞令とかじゃないよね。私、本気にするからね?」

「疑り深い奴だな」

そのとき館内アナウンスが鳴り響いた。


「たいへんお待たせ致しました。ただいまより福岡県・中国工蘇省、友好提携三十周年記念、ドリームベイ玄海花火大会を開催いたします」


「お、始まるみたいだぜ」

旭は鈴華に笑いかける。

「お前が福岡に来たメインイベントの時間だ。しっかり楽しんで行け」

「うん」

まもなく海の中路から上がった花火が、群青色の空に大輪の花を咲かせた。


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